三陸常磐いいものうまいもの

常磐もののヒラメに合う日本酒。そのマリアージュは「記憶に残る味」だった

「西洋の酒でどんな料理にも合うのはシャンパンだけであるが、日本酒というのはその点でも工夫がしてあって日本の料理である限りどんなものでも味さえよければそれで飲めるようになっている」。作家の吉田健一は『酒、肴、酒』という酒食に関するエッセーにそう記している。先付から始まって、刺し身や膾が出される向付、鉢肴や止め椀や水菓子に至るまで、本格的な会席料理でも日本酒があればそれだけで済んでしまう。日本酒は成り立ちが複雑で、実に懐の深い酒なのだ。

だから、様々な魚介類ごとの相性に的を絞った専用の日本酒が福島で今年初め、売り出されたと聞いたときは正直、驚いた。鈴木酒造店の造る「磐城壽(いわきことぶき) 魚酒(ぎょしゅ)マリアージュ」という。とりわけ、福島県沖で水揚げされた「常磐もの」と呼ばれる魚介との相性が出色だという。アンコウ、ヒラメ、イワシ、モクズガニ、ホッキ貝、スズキ、カツオ、そしてカレイにそれぞれ合う酒、全8種。しかも、AI(人工知能)を活用して食材の持ち味を分析しながら酒造りをしているという。どんな思いで酒を造っているか? 上戸の勝った邪(よこしま)な好奇心も頭をもたげてきて、11月上旬の週末、酒蔵のある福島県浪江町へ向かった。

→記事の最後に、東京で福島を丸ごと味わえるとっておきスポットも紹介

AIで開発した磐城壽。常磐もののヒラメとぴったり合うよう味を導き出した

津波で酒蔵が被害、2021年に醸造を再開

東京のJR上野駅から特急ひたちに乗車。いわき駅で各駅停車の常磐線に乗り換え、浪江駅まで計3時間半近く。福島の浜通りにある鈴木酒造店は、漁港に近い請戸地区で江戸時代後期に創業した老舗。酒蔵を代表する銘柄の「磐城壽」は大漁の祝い酒として地元の漁師らに親しまれていた。ところが、2011年3月11日の東日本大震災の津波で請戸地区は大きな被害を受けた。酒蔵も自宅もなくなり、隣の山形県への避難を余儀なくされた。すぐに浪江に戻ることが難しくなり、山形県長井市の酒蔵を買い取って醸造再開にこぎ着けた。震災から8か月後のことだ。

「自分たちの造る酒は常に地域とともにあり、海の暮らしに寄り添ってきた。酒蔵を続けることが住民の帰還の足がかりにもなると思った」と鈴木酒造店の社長で杜氏も兼ねる鈴木大介さん(50)は古里を離れた場所での醸造再開の思いについて話す。現在は山形での醸造を続けながら、浪江町に21年3月に開業した「道の駅なみえ」に併設された酒蔵の運営も手がけている。震災と原発事故の傷痕は今も深い。実際、浪江駅から請戸川沿いにある道の駅へ向かう途中、住宅や店舗を解体して更地になった所があちこちに目立つ。「だからこそ、この浪江から元気な古里の姿を発信したい」。そんな思いも込めて開発に取り組んだのが「魚酒マリアージュ」だという。

道の駅なみえにある鈴木酒造店の酒蔵

道の駅なみえにある鈴木酒造店の酒蔵

親潮と黒潮が交わる海で獲れる「常磐もの」に合う酒を開発

福島県沖は「潮目の海」と呼ばれ、北からの千島海流にのった寒流(親潮)と南からの日本海流による暖流(黒潮)が交わる日本でも珍しい漁場だ。黒潮は貧栄養で魚のえさとなるプランクトンが少なくて透明度が高く、海面が青黒く見えることからそう呼ばれる。一方、親潮は栄養が豊富でプランクトンが多く繁殖し、「魚を育てる親となる潮」という意味が込められている。黒潮によって北上してきた魚が親潮で発生したプランクトンをたくさん食べて育つため、良質で脂ののった魚が獲れるという。「さらに海流も複雑なので魚たちがよく泳ぎ回り、マッチョというか筋肉質で見た目から違う」と鈴木さんも話す。そうした魚介類は漁業関係者を中心に「常磐もの」と呼ばれて一目置かれ、市場で高級魚の相場を決める指標となるケースも多いのだという。

鈴木さんたちが子どものころから当たり前のように食べてきた「常磐もの」の豊かな恵み。「それぞれのおいしさを引き出す酒があれば、一般の人にも福島で水揚げされた『常磐もの』に関心を持ってもらい、その魅力に触れるきっかけになるはず」と鈴木さん。その取り組みが浜通り、そして福島の復興にもつながる。まず、「常磐もの」の甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の五つの味覚とコクを東京にある調査会社に依頼して分析。人はそれら五つの味覚を同時に感じると、おいしさにつながりやすいという。食材の味覚を5角形のチャートにして、数値の低い部分を、仕込みなどを工夫して酒の味わいで補い、食材と酒を合わせたチャート図が正5角形に近づくようにする。例えば、ホッキ貝を使ったホッキ飯は塩味と旨味が強いが、苦味と酸味が弱い。それを苦味と酸味の際立つ辛口の純米吟醸酒で補うといった具合。それが2年以上をかけて取り組んだ、鈴木さんの考える常磐ものと磐城壽のマリアージュだ。

「常磐もののおいしさを引き出す酒があれば、常磐ものに興味を持ってもらえるはず」と鈴木社長

常磐ものは本当にうまいのか?ヒラメ、ワラサ、ホッキ貝を買ってみた

もっとも、こちらは東京暮らしが長い。刺し身はよく食べるし、「大間のマグロ」や「閖上(ゆりあげ)の赤貝」などはニュースなどで知っている。ところが、「常磐もの」を意識したことはこれまで全くない。本当にそんなにうまいのか? そんな思いを見透かしたように、「食べればわかりますよ」と鈴木さん。それならどこで? 「この時期の旬は何と言ってもヒラメ。カツオもあるかな」。幸い、町内に請戸で水揚げされた「常磐もの」を扱う鮮魚店があるという。ただ、午後4時になると店を閉めてしまうらしい。時計を見ると3時半過ぎ。取材もそこそこに(失礼!)、鈴木さんに教えられた柴栄水産へ巡回乗り合いのミニバスを捕まえて向かった。

すでに魚酒マリアージュは何種類か買ってある。あとはそれに合わせる常磐ものが残っているか。閉店10分前。冷蔵ショーケースを見渡すと、あった! ヒラメと赤身のワラサ、そしてホッキ貝の刺し身を冷蔵パックに入れてもらい、その夜泊まるいわき市のホテルに持ち帰った。ヒラメが630円、ワラサが450円、そしてホッキ貝が650円。すべて今朝、請戸漁港に水揚げされたもので、思ったよりも高くない。柴栄水産でタクシーを待つ間、鈴木酒造店の社長にすすめられて買いに来た旨を伝え、「常磐もののヒラメを食べると、よそのヒラメが食べられなくなると言われたんですけど、本当ですか?」と、不躾な質問を投げかけると、販売員は何も言わずにニコリと頷くばかり。

鈴木社長に「食べればわかる」と言われ、柴栄水産に急いで向かう。近くの請戸漁港で上がった魚が並ぶ

福島の海を全身で感じられる魚と酒の組み合わせ

その笑顔の理由が、買ってきた刺し身と魚酒マリアージュを、ホテルのラウンジスペースで試してわかった。本当においしい! ヒラメは脂がのり、身も厚くプリプリしている。「常磐もののヒラメと呑みたい磐城壽」と銘打った魚酒マリアージュは甘口の純米吟醸酒で、合わせると昆布〆(じめ)にした時のようなヒラメの旨味と塩味が引き立ってくるように感じられる。確かに、たまにスーパーの特売で買ってくるヒラメの刺し身とはひと味もふた味も違う。鈴木社長の断言とは違い、これからもうっかりしていれば、よそのヒラメも食べてしまうだろうが、魚酒マリアージュと常磐ものの組み合わせはしっかりと「記憶に残る味」なのだ。ワラサしかり、ホッキ貝しかり。この夜の食卓はあり合わせで華やかさには欠けていたたが、常磐ものと磐城壽のおかげですこぶる贅沢な気分になった。酔いも手伝って、福島の海を全身で感じているような気分。そうした豊かで安全な海の恵みを、酒造りを通して一人でも多くの人に知ってもらいたいという鈴木社長の気持ちもわかるような気になった。

常磐もののヒラメは脂がのり、身も厚くプリプリしていて、本当においしい

福島の酒や加工品なら「日本橋ふくしま館MIDETTE」

ただ、福島県外の人がいつでも気軽に浪江町へ行けるわけではない。地元漁師が減っていることもあって常磐ものの水揚げが以前より少なくなってしまい、福島県以外で見かける機会もまれになった。では、どうするか? 首都圏で生活している人なら、東京・日本橋室町に14年4月にオープンした「日本橋ふくしま館 MIDETTE(ミデッテ)」がある。福島県観光物産交流協会が運営する福島の情報発信拠点。

東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅から徒歩3分、JR神田駅からでも徒歩5分の都心にあり、磐城壽など福島県内の各地域の日本酒やワイン、果物や野菜、そして工芸品など計約2500種を扱い、メヒカリなど常磐ものの加工品が入荷することもある。館内には日本酒をおつまみと試せる有料カウンターなどもあり、ほぼ毎日のように物産のPRなどのイベントが開かれている。夜7時まで開いていて、場所柄、ふらりと立ち寄る勤め帰りの会社員も目立つという。広さ約320平方メートルの館内に、1万3780平方キロメートルの福島県がギュッと凝縮している感じ。「福島を旅する際の入り口としても当館を利用してほしい。福島の多彩な食の魅力と安心・安全に対する取り組みも積極的にアピールしていきたい」と佐々木貴史館長。復興が進み、豊かな自然と海の幸に恵まれた福島は都心でもより身近な存在になりつつある。

日本橋ふくしま館 MIDETTEは東京メトロ三越前駅から徒歩3分。磐城壽を手にする佐々木館長

福島県内の日本酒やワイン、果物や野菜、工芸品など計約2500種を扱う。メヒカリなど常磐ものの加工品が入荷することもある