70年の熱狂を「知らないからこそできる」 若者が描く未来
「いのち」のあり方 考える
万博は若い才能が開花し、羽ばたく場となってきた。1970年の大阪万博では横尾忠則氏や黒川紀章氏、磯崎新氏といった気鋭のクリエーターらが結集。テーマ館のサブプロデューサーを務めた小松左京氏、みどり館の映像脚本を担当した谷川俊太郎氏も当時まだ30代だった。それから約半世紀ー。2025年の大阪・関西万博の主役の多くは、当時の熱狂を知らない世代だが、「知らないからこそできることがある」と若者ならではの感性で万博を見据えている。
パビリオン出展目指して
とりわけ、万博開催地のお膝元・関西では学生主導でパビリオン出展を目指す動きが広がる。誘致段階から積極的に万博に関わってきた関西の医大生を中心に構成される「WAKAZO」は、「いのち」をテーマにした独自パビリオンを計画している。医学と建築学を融合した新たな表現スタイル「エピジェネティクス建築」による建築設計案をすでに発表。2019年11月末には大阪市内で、12月26日から万博記念公園(大阪府吹田市)でミニパビリオンを展示したばかりだ。
大阪・関西万博のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」について、WAKAZO執行代表を務める京都大学医学部6年の川竹絢子さん(24)はこう語る。
「一分一秒でも長く生きることだけでなく、『よりよい生き方』とは何なのかー。大人から投げかけられた問題意識に向き合いながら、これをきっかけに大阪が世界で最も『いのち』を考える都都市になるムーブメントを若者から創り出し、SDGs(国連が掲げる続可能な開発目標)の課題解決に貢献したい考えています」。
WAKAZOは、これらテーマを議論する「2025年万博若者会議」を2019年、東京、札幌など4都市で開催するなど、万博の推進機運を地元だけにとどまらず全国に広げるとともに、未来の「いのち」のあり方について多くの若者と議論を重ねてきた。
休学してドバイ行きを計画中
高校時代からメンバーとして活動していた京都大学工学部1年の四反田(したんだ)直樹さん(19)は、もともとはアイデアをオンラインで投稿できるウェブサイトづくりに興味があったが、活動を通じて「未来社会の実験場という万博コンセプトに惹かれ、理工系学生の立場からも発案したいと考えるようになりました」。その「万博熱」は2020年、半年あまり休学してドバイ万博のスタッフに応募する決断をしたほど。「初めは両親も驚いていましたが折れてくれたみたいです」(同)
そんな四反田さんの中学時代の同級生でWAKAZO次期執行代表の神戸大学国際人間科学部1年の槌橋秀嗣さん(19)は「当初は万博そのものというよりも、わくわくすることに興味があったので活動に加わったのですが、今では日々、やりたいことが更新されていく日々です」と目を輝かせる。
周囲を巻き込みながら
「Honaikude(ほないくで)」は大阪府立大学と大阪市立大学の学生が中心の学生団体として2019年1月に発足した。今年11月にWAKAZOが開催した、2025年万博に向けて若者たちが集い考えるイベント「mini WAKAZO Pavillion展示」ではミニパビリオンを出展。宇宙関連研究が充実している両大学の特徴を生かし、映像と手の感覚だけで宇宙空間を模擬体験できる装置を出展。生命にとっては厳しい宇宙環境を体験することで、生きることに適した地球の尊さを訴えた。
代表の大阪府立大学現代システム科学域4年の森本優子さん(23)は団体名に込められた思いをこう語る。
「関西弁の『ほな行くで』って周囲を巻き込んでいく感じがしませんか」。WAKAZOをはじめとする他の学生団体はもとより、行政や企業関係者とも交流しながら、万博を契機に「大阪を、日本をもっと元気にしたい」と考えている。でもなぜ、万博なのかー。
「祖母はよく『大阪万博はすごかったんやで』と話していましたが、これが日本のピークだったと思いたくはありません。太陽の塔を超えるほどのインパクトあるようなパビリオンを若者の手で作り上げたい」(森本さん)。
森本さんと同じ堺生まれで、次期代表となる大阪府立大学工学研究科博士課程1年の川岸啓人(ひろと)さん(24)は、万博のテーマである「いのち」にこんな思いを重ねている。
「僕の曽祖母は現在、104歳ですが、もはや意思疎通できず、最後に話したのはもう10年も前のことです。僕ら研究者が目指す未来ってこういうことなのかと。そんな違和感を皆でぶつけ合いながら、若い世代がこれから築いていく『いのち輝く未来社会』を模索していきたいです」
今回タッグを組んだ大阪府立大と大阪市立大。両校の運営法人は統合し、2022年に新大学開学を目指しているだけに、大学側もこうした学生の活動を歓迎し、全面的に支援している。
そんなHonaikudeの目下の悩みのタネは活動拠点を持たないこと。メンバーの夢は皆が集いやすい「ハウス」を作ること。森本さんは「これが新大学第一号キャンパスになればいいのに」といたずらっぽく笑う。
彼ら・彼女らは確かに大阪万博を知らない。だが家族の話で、あるいは遠足で訪れた万博記念公園で、熱狂の残滓を感じ取りながら育ってきた。若いエネルギーが「爆発」する舞台としての万博-。そのDNAは半世紀を超えて受け継がれているのかもしれない。(おわり)
※ 1月は「デジタルが拓くプラントの未来」がスタートします。