「技術開発」「社会価値創出」両輪で進む量子技術の産業化
国内での量子コンピュータの産業化に向けた開発で、主導的な役割を果たすのが、国立研究開発法人「産業技術総合研究所」(産総研、茨城県つくば市)だ。
世界的に競争の激しさが増す中、日本の技術開発をどのように進めていくのか。産総研で量子技術のとりまとめ役である執行役員兼エレクトロニクス・製造領域長の安田哲二氏に話を聞いた。技術開発に先行しても、ビジネスの世界で果実を享受しそこなった過去の失敗を踏まえ、開発段階から産業化を強く意識していくことが大事という。
「いま準備しておかないと大変…」産業界に高まる危機意識
――― 社会の量子コンピュータへの認識は変わってきましたか。
50以上の企業がQ-STAR(一般社団法人「量子技術による新産業創出協議会」)に加わるなど、産業界の期待の高まりを感じます。日本企業は近年、新しいものに関しては様子見になる傾向が強かったように見受けられます。しかし、量子コンピュータに関して言えば、何ができるかは具体的に分かっていなくても、「準備しておかないと、後で大変だ」と危機感を抱いている企業が増えているようです。これはある意味、健全なことだと思っています。
アカデミアの世界でも、量子コンピュータがこのように注目を集める前から研究を続けてきた先生の周辺やその研究室の卒業生を中心に、新しい研究室が立ち上げられるなどコミュニティが広がっています。産総研でも半導体研究者が量子技術の開発に関わるようになっています。
大学で量子関係のセミナーを開くと、たくさんの学生さんが参加しているそうです。これまでになく関心が高まっていると感じます。
――― 量子コンピュータの技術的な見通しは。
最適化問題の計算に使うことができるアニーリング方式はすでに実用化の入口にあると言えます。日本の各社も非常に熱心に取り組んでいて、物流や金融などの分野を中心に、産業的な関心が集まっています。
ただ、現状では扱える問題の大きさに限界があります。また、量子力学的な重ね合わせ状態を維持する「コヒーレンス時間」が短いという問題もあります。計算結果が得られたとしても、賞味期限の切れた材料で料理をしているようなところがあり、結果の正確さには注意が必要です。
汎用のゲート型量子コンピュータでは、単独で意味のある計算ができるようになるには、早くても20年ぐらいかかるというのが、開発に携わるコミュニティの一般的な見方です。ただ、従来のコンピュータに、量子の機能を「アクセラレータ」として付け加えるハイブリッド型が、もっと早い時期に広まる可能性は十分にあります。
すでにいろんな提案が出ていますが、ハイブリッドで何ができるかを明らかにするために、新しい技術の実証試験を重ねていくことがとても大事です。
産総研はデバイス開発を加速 研究施設を産学に開放
産総研は、量子デバイスの開発に特に力を入れています。我々がこれまでに研究してきた超電導回路や半導体の技術の蓄積が生かせるからです。開発を加速させるため、3つのクリーンルーム施設を一体的に運営していきます。
Qufab(超電導量子回路試作施設)は、これまでのデジタル・アナログ向けの超電導回路を量子向けにするために必要となる新材料や新構造について、実験を重ねます。
量子コンピュータでは、超電導ではなく、シリコンを使う方式にも可能性があるといわれています。2つ目の施設であるCOLOMODE(未踏デバイス試作共用ライン)では、シリコン量子ビット素子を含むさまざまな半導体電子デバイスを開発します。実験用ではなく製造用の装置をそろえているため、試作にかかる時間を大幅に短くできるのも特長です。3つ目はナノプロセシング施設(NPF)であり、超微細の加工や計測などができます。
いずれも産総研自身の研究に利用するだけでなく、大学、民間企業などからデバイス試作を引き受けたり、外部ユーザーに装置を供用したりします。デバイスの試作場所の確保に苦労している研究者は多く、すでに多くの問い合わせをいただいています。
NECと共同開発も進めていて、2019年に「NEC-産総研量子活用テクノロジー連携研究室」が設立され、現在はNECと産総研から合わせて約70名の研究者が参加しています。今後、このような連携を他の企業とも展開できるように、拠点を強化する構想を練っているところです。
日本の強みを発揮して「逆転のブレークスルー」へ
――― 日本は技術開発に成功しても、その後のビジネス化が苦手な傾向にあります。
これから20年、30年経ったときに、量子技術は現在の我々が想像もしていないようなところに使われているかもしれません。1950年代に研究が始まったレーザーが、現在の社会では幅広く使われているのと同じように、広がりのある技術となる可能性を秘めています。
そういった技術を中長期的な視点で育てることはもちろん怠ってはなりません。一方で、何に使えるのかを常に問いかけ、途中段階でも実際に使ってみて、収穫できる果実は順次社会に出していく。このように中長期的な研究開発とタイムリーな実用化とをバランスよく進めていくことが大切だと考えています。
――― 国際的な開発競争は厳しいです。
日本は現時点で、米国や中国にかなり引き離されているというのが、正直なところです。しかし、世界で最初に超電導の量子ビットを開発したのは日本であり、基礎研究には一定の強みがあります。そもそも、今の技術の単なる延長では、インパクトの大きな実用化にたどり着けません。量子ビットの大規模集積には大きなブレークスルーが必要であることは明らかであり、どこかに逆転のきっかけはあると信じています。
これは、産総研の人間だけで出来るものではありません。産学官の方々とのコラボが不可欠です。今後のシステム化などでは日本の得意な技術のすり合わせが生きるということもあります。
まずは、多くの方が量子技術に触れることのできる環境を産総研が作っていく。そうすることで開発の仲間が増え、日本の存在感が高まっていくことを願っています。