政策特集RCEPの世界へようこそ vol.8

交渉会合議長 イマン・パンバギョ氏が語る「産みの苦心」

日本とともに歩んだ8年


 2020年11月、日本など15か国がRCEP協定に署名した。8年におよぶマラソン交渉では、いくつもの困難な場面があったことだろう。RCEP交渉会合議長として、交渉立ち上げ前から妥結まで10年近くにわたって交渉の進展に尽力した、インドネシアのイマン・パンバギョ氏(前インドネシア貿易省通商交渉局長:昨年12月末に退官)に、交渉過程の苦労やRCEPの目指すべき姿について語ってもらった。

5、6年だろうと思っていた

 今でも思い出しますが、2011年1月、マリ商業大臣(当時)と朝食を取りながら、インドネシア議長年の成果について4時間くらい議論しました。
 その際、私たちは、既存のASEAN+1・FTAを統合し、ASEANを中心とした、地域の経済連携を作っていく構想を思いつきました。それが、同年の「ASEANによる地域的な包括的経済連携の枠組み」の提案につながり、この提案はRCEP協定の基礎となりました。
当時、日本が提案していたASEAN+6によるEPA(CEPEA)と、中国提案のASEAN+3による自由貿易地域(EAFTA)の2つのイニシアティブがありました。上述の議論の末、私たちはASEANが、それらのどちらかを選ぶのではなく、むしろ我々ASEAN自身が中心性・主導性を発揮して、CEPEAともEAFTAとも呼ばない形を目指すべきではないかと考えるに至りました。
 その頃、APECではFTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)に向けた議論が進んでいて、刺激を受けた面もあります。また、アジア地域では様々な自由貿易協定の「スパゲッティボール現象(経済効率性の優劣に基づけば考えられないような状態)」が顕著になっている中、地域のEPAを将来に向けて整理・統合していかなければならないという確信もありました。もっとも、当時は交渉が長引くとしても、せいぜい5、6年だろうと思っていましたが。
 結局、8年かかりましたが、合意にたどり着き、本当にほっとしています。交渉期間中に、誰も頼れずに一人で解決策を見つけようとして、会議場の片隅で1人で何時間も考え込んでいたこともありましたから。まるで自分一人しかいない世界で、自問自答を繰り返しつつ、解決策は必ずあると自分に言い聞かせるような状態でした。

協定レベルをどう保つか

 言うまでもなく、交渉過程では日本に本当に助けられました。日本は、RCEP協定について、特にルール面で質を保つための役割を果たしてくれました。多様性を持つ16カ国での議論の中で、ややもすると質を低くする方向に議論が行きがちです。日本が強い主張をしたおかげで、合理的なレベルの野心度合いを持つ協定に仕上がったと思います。また、たとえば日本の世耕弘成経産相(当時)がASEANのFTAパートナー国(ASEANと経済連携協定等を既に締結している国々〈日中韓印豪NZ〉。以下、「AFP」)として初めて閣僚会合を開催してくれた(2018年7月)ことも、各国に日本のRCEPに対する強いコミットを示す観点で非常に意味があったはずです。
 交渉が8年といった長丁場だっただけに、いくつか印象的な場面があります。最初の危機的な場面は、2012年8月にカンボジアで開かれたAEM(ASEAN経済相会議)ですね。ASEAN10か国及びAFP6か国で、交渉のGuiding Principles(基本指針)の合意を目指したのですが、交渉範囲を巡って各国の意見が対立しました。結局は、15か国の大臣と、インドネシアの大臣の代理として出席していた私の16人だけで別室に移って、真剣かつ率直な議論を行うことになりました。その場にいた者として「これは大変な交渉だな」と感じた記憶があります。
 もう一つはインドがRCEPへの懸念を表明し、交渉からの離脱を示唆した時ですね。この時は、まる2日間、眠れませんでした。「インドが離脱してしまうことで、ドミノ的に、他のRCEP交渉参加国の幾つかも交渉から離脱してしまったら困るな」と心配でなりませんでした。
 インドには各分野で多くの柔軟性を示したつもりでしたが、それでも交渉に戻ってきませんでした。その時点までの交渉結果に不満を持つ国が、交渉のリオープン(再交渉)を要求したり、離脱したりしないだろうか。それまでの交渉の枠組みが崩壊してしまうのではないかという危惧しかありませんでしたね。
 インドには、ASEANも、かなり苦労させられています。インドは「大東アジア圏(greater East Asia)」において、経済的にも戦略的にも重要な国であることは言うまでもありません。日本が、産業競争力協力等を通じてインドを地域に巻き込もうとしていることは、非常に歓迎されるべき取り組みです。ただ、残念ながらニューデリーの雰囲気は、RCEPやASEAN印FTAに限らず、貿易・投資の自由化に積極的とは言えません。現時点では厳しいかもしれませんが、将来的には、インドにRCEPにぜひ戻ってほしいですし、その機会は十分にあると思っています。

TPP/CPTPPが加速した

 RCEPの交渉は、何年にもわたってTPP/CPTPPと同時並行で動いていました。ですから、RCEP交渉が、TPP/CPTPPのプロセスから、少なからず影響を受けたことは間違いありません。
 2010年代前半、TPP交渉に参加していなかった国々にとって、「TPPには入らない・入れないが、他の方法で地域経済統合を動かそう」というモチベーションがありました。たとえば、インドネシアは地政学的な観点からも多くの参加国による地域経済統合の重要性を理解していました。だからこそ、TPPには入れずとも、RCEPを進めようという思いがあったわけです。
 そうした観点で、TPP/CPTPPがRCEP交渉の勢いを高め、結果的に加速したと言えるはずです。ただ、RCEP交渉はTPP/CPTPP以上に多様な国々が参加していましたから、TPPのルールをそのまま持ち込むような議論については、必然的に慎重にならざるをえませんでした。

「二つの巨人」が果たす役割

 将来の話をしますと、RCEPが16か国の「大東アジア圏」の国々で経済統合を進めるための良いプラットフォームとして発展していくことを期待しています。その観点から、インドには一日も早く戻ってきてほしいと強く願っています。RCEPが地域的なプラットフォームとして発展していけば、地域やグローバルな経済にとって良い効果をもたらすでしょう。短期的にはCOVID-19からサプライチェーンを回復していくうえで、また、中長期的にはFTAAPに向けた道のり、ビルディングブロック(積み石)としてもRCEPは大きな役割を果たすはずです。

RCEP交渉議長の大役を終え、いまはリラックスした日々を過ごすイマン氏


 
 CPTPPとRCEPという「2つの巨人」がともに発展していくことで、貿易・投資が活性化されます。それが結果的にWTO(世界貿易機関)に代表される多国間貿易体制の強化や、グローバルな経済成長にも良い影響をもたらすことが期待されます。足元がCOVID-19で難しい状況にある今だからこそ、RCEP参加国が志を高く持って(aim high)取り組むべきです(談)。

(聞き手:経済産業省通商政策局経済連携交渉官 田村英康)