
「推し」の語りに導かれて書店クルージング! 店内滞在を高付加価値化する仕掛け
あこがれの人と一緒に書店を回れたら――。そんな夢をかなえようと開発されたのが、音声MR(複合現実)サービス「ボイスフレンド」だ。俳優や声優の声に導かれて店内をめぐるうちに、物語の中に入り込んだような感覚にとらわれる。静かに本を選ぶのもいいが、お気に入りの声に導かれての書店クルージングも楽しいと、書店を訪れる人も増えている。最新テクノロジーが書店の新たな客層を掘り起こしつつある。

ボイスフレンドを体験する人は、イヤホンを着け、スマホを首にかける。イヤホンはオープンイヤー型なので、体験中も周囲の音が聞こえる
「ボイスフレンド」 日販とテック企業が共同開発
ボイスフレンドは、出版取次大手の日本出版販売(日販、本社・東京)とGATARI(ガタリ、本社・東京)が共同で開発した。GATARIは現実空間と仮想空間を融合させたXR(クロスリアリティ)サービスの企画開発や運営を手がけている企業だ。ボイスフレンドにはGATARIが作った音声MRプラットフォーム「Auris(オーリス)」が使われている。Aurisは、目が不自由な人のための案内システムとして実証実験も行われているシステムだ。

個性的なラインナップとジャンル分けで読書ファンをあきさせない「文喫 六本木」の店内。イヤホンから流れる声に導かれて店内をめぐる
日販の子会社が運営している書店「文喫 六本木」(東京都港区)で、筆者もボイスフレンドを体験した。
カウンターでイヤホンと専用のスマートフォンを受け取り、両耳にイヤホン、スマホはストラップで首にかける。
音楽と共に案内役の男性の声が響く。声の主は、俳優の梅津瑞樹さんだ。ストーリー仕立てになっていて、書店の各コーナーの書棚に誘導しては、本の紹介をしてくれる。移動にまごついていると、「少し迷ったかな?」と言われてドキッとした。
音声は、梅津さん自身が脚本を書きおろし、ラジオ局J-WAVEが録音を担当したものだ。タイトルは「僕から君へ」。
梅津さんの語りは、何かをほのめかすようなささやきから、切迫した言い回しまで緩急自在だ。耳元で声が聞こえるから、舞台上の芝居を見るというよりは、同じ空間に一緒に投げ込まれたような感じになる。
ただ、ストーリーに没入しながらも、書店にいるという意識ははっきりしている。イヤホンはオープンイヤー型なので、周囲の音もしっかり聞こえる。声に浸りながらも、ストーリーに関係のない、自分が興味を惹かれた本を手に取ることも自然に出来た。約30分間の不思議な体験だった。
必要なのはスマホとイヤホンだけ

店内に設けられた仮想の境界線をスマホが読み取り、体験者の位置を特定。それに連動して音声が流れる
「たくさんの本がある書店では出会い方にも物語がある、というところがこの企画の出発点です」と話すのは、ボイスフレンドの開発に携わった日販プラットフォーム創造事業本部IPソリューションチーム・リーダーの加藤隼士(はやと)さんだ。
書店内でイベントやフェアを開催する場合、あちらこちらにポスターやプレートを掲示したり、機器を設置したりしなければならない。しかし、ボイスフレンドで必要なのは、イヤホンとスマホだけ。店内に仮想の境界線を設定しておけば、それをスマホが読み取る。特定のエリアに入ると、対応した音声がオンになる仕組みだ。前後左右の移動だけでなく、しゃがんだり立ったり、階段の昇降など上下の移動も感知できる。
大事なのは、希望した客だけがその世界に浸ることができることだ。加藤さんは「書店そのものの景観を大事にしたいという気持ちもありました。お客さんそれぞれのお気に入りの空間を大事にするために、デジタル技術を使ってその人だけの特別な体験を実現することを目指しました」と語る。
出演者の紹介本 1700冊売れた!
文喫のボイスフレンドは、2023年11月から12月にかけて第1弾として俳優でアーティストの七海ひろきさんを案内役とする企画を実施。24年1、2月には声優の斉藤壮馬さん、3、4月は梅津瑞樹さんがそれぞれ声の出演を務める企画を実施した。三つの企画を体験したのは計約3000人、出演者が紹介した本は約1700冊売れた。
文喫以外にもボイスフレンドを利用する書店が増えている。2024年秋には啓文社BOOKS PLUS緑町(広島県福山市)、2025年2月には川又書店エクセル店(茨城県水戸市)と書泉ブックタワー(東京・秋葉原)でイベントが行われた。工事不要のため、開店前や閉店後だけでなく営業時間内の短い時間でも準備できるため、各店でもスムーズに運営できたという。
川又書店エクセル店の場合、舞台は店内だけにとどまらず、茨城県内各地の観光スポットでも音声の体験ができる大がかりな企画になった。案内役は水戸市出身でもある七海ひろきさん。「七海ひろきと茨城めぐり」と題し、七海さんの声を聞きながら県内の観光地を訪ねる企画で、偕楽園、国営ひたち海浜公園など8か所がピックアップされた。川又書店エクセル店から出発し、このうち2か所以上を訪れて七海さんの音声を聞くと、記念品がもらえる仕掛けで、七海さんの写真が入ったガイドブックも用意した。
「持続可能な書店」を作るために
今回筆者がボイスフレンドを体験した「文喫 六本木」は、かつての青山ブックセンター(ABC)六本木店の跡地に2018年12月にオープンした。販売書籍数は約3万冊。書籍のラインナップと店内のおもむきは、個性的な品ぞろえで知られ、六本木の待ち合わせの定番スポットでもあったABC時代を彷彿とさせる。
1階の無料スペースは雑誌や企画展の会場。中2階からが有料スペースで、入場料(平日は1650円、土日祝日は2530円、名古屋と福岡は別料金)を払えば、午前9時から午後9時まで、店内の書籍を自由に読むことができる。閲覧室、喫茶室など座席は計90席。コーヒー、せん茶もお代わり自由で飲むことができる。

青山ブックセンター六本木店の跡地にある「文喫 六本木」

企画展のコーナーと雑誌がメーンの無料スペース。奥の階段から先が有料スペース
書店と言えば、買っても買わなくても気ままに入ることができるイメージがあるが、あえて有料にした理由は?
「本を選ぶための空間やサービスを再定義し、持続可能な書店にするためにどうすればいいか検討して出た答えがこの形でした」
日販の加藤隼士さんの答えはこうだった。
全国で無書店の自治体が増えているなか、本の売り上げだけの収入で書店を続けるのは厳しい状況だ。加藤さんは「書店を経営していく上での課題の一つが粗利が少ないことです。入場料制を導入することで、まずはこれを改善できるのではないかと思いました。次に、お客様にとっても、長い時間滞在できて、ゆっくり本と出会える場所と体験があれば、入場料を払うことも受け入れてもらえるのではないかと考えたのです。そんな文喫と、特別な体験によって空間に新たな価値を加えるボイスフレンドは、非常に相性が良かったと思います。人と文化が出会う場所、人と本の接点である書店を守る取り組みをしていくことで、本をめぐる業界全体の新たな方向性を示すことができますし、ビジネスチャンスも生まれるのではないでしょうか」と話す。

「ボイスフレンドの体験によって書店の新しい魅力を提供したい」と語る日販IPソリューションチームのリーダー・加藤さん(左)とマネジャー・鈴木風薫さん(右)
持続可能な書店をどう作っていくのか。その方法の中に、現在のボイスフレンドもしっかりと位置づけられているのだ。