政策特集デジタルが拓くプラントの未来 vol.8

疑似体験通じ保安力アップ 出光興産の体感教育最前線

配管詰まりの正しい対処方法を学ぶ貫通体験

 次代の石油化学産業を担う人材をどう育てるかー。デジタル技術の活用はこの点においても可能性を秘めているようだ。その最前線を出光興産の取り組みにみた。

身をもって体験する意義

 「決められた手順に基づいて配管の詰まり除去を行わないと内容物が一気に噴き出してしまいます。もし、これが危険物だったらどうなりますか」。
 講師の問いかけに、顔に水を浴びながら思わず苦笑する若い従業員。彼ら・彼女らが行っているのはドレイン詰まり貫通体験。安全教育の一環として実施する「感性教育」の一場面である。同社技術研修センターの高橋利春所長はその意義をこう語る。
 「私たちは事故やトラブルを通じて、その恐ろしさや安全の大切さを身をもって経験し、苦い経験をもとに安全のルールや禁止事項を整備してきましたが、今の若い世代はこうした経験が圧倒的に不足し、座学やマニュアルだけではその大切さが理解できません。危険予測や異常の早期発見には知識だけでなく、身をもって感じることが不可欠だからこそ、疑似的に体験する研修を重視しています」。
 実際、トラブルだけでなく、国内では新設プラントの減少や定期検査周期の長期化に伴い、設備の立ち上げや停止操作に携わったことがある従業員も少なくなっているのが実情という。

技術研修センター所長の高橋氏

 そこで、同センターでは、工程ごとに定められている22項目の「禁止事項」ごとに、それを順守しなかった場合、どんな危険に遭遇するのか、実際に体感できる装置を備えている。水蒸気爆発体験のような大がかりなものから回転機巻き込まれ体験など卓上の装置まで多種多様。しかもただ、体験するのではなく規則やルールにひも付けて心から納得した上で、訓練を通じて「身体で覚える」ことで、論理的思考に基づき行動できる人材育成を目指している。

よりリアルに五感を刺激

 五感を直接刺激する体験として新たに導入したのがVR(仮想現実)技術である。これを用いた墜落・落下体験では、安全帯を装着せずに高所での作業中、目の前の工具に手を伸ばしたとたん、15メートル下にたたき落とされる様子がVR画像で表現される。専用ゴーグルを装着した体験者の後方で補助員が支えないと、実際に転倒しかねないほどの臨場感である。

VRで事故を体験する研修メニュー

転落体験では画面左のような映像が眼前に

 一方で、こうした映像コンテンツを利用する上では留意すべき点もあるという。
「リアリティーを追求するあまり、過剰に恐怖感を与えては心理的なダメージにつながりますし、『ああ怖かった』で終わってしまっては研修目的を果たしたことにはなりません。テクノロジーを生かしつつ、そこから何を学ぶのか、何を目指すのか、この視点を見失ってはならないと思います」(信賀浩章技術研修センターグループリーダー)。

技術研修センターグループリーダーの信賀氏

 トラブル経験の少なさゆえ抱える不安は、「直長」と呼ばれる保安係員も同様だ。知識や自らの役割に対する認識は十分持っているものの、とりわけ有事の初動に対する不安を抱いているという。緊急時には「頭で分かっていても実際には身体が動かないことが少なくありません」(高橋氏)。
 現場の保安力向上へ向けた取り組みの舞台となるのは、徳山事業所(山口県周南市)内に設けられた訓練プラントである。灯油脱硫装置を改造したこのプラントは実装置にシミュレーターを組み合わせた世界でも類を見ない自社開発の訓練プラント。あたかも、本物のプラントをオペレーションしているような臨場感のある研修を実現している。

火災やガス漏れARで表現

 その訓練プラントで、3月にも新たな研修がスタートする。実在する風景にバーチャルの視覚情報を重ねて表示することで目の前にある世界を仮想的に拡張するAR(拡張現実)技術を用いて、火災やガス漏れを表現。非常時対応能力を習得するのである。実際の光景はウエアラブル端末を通じて現場で見ることができるだけでなく、計器室のモニターにも表示される。

ウェアラブル端末を通すと左の光景が右のように見える

 訓練は、夜間や休日の事故を想定し、課長や係長が現場に到着し指揮権を委譲するまでの30分から40分ほどの間、直長として求められる対応を習得、あるいは再確認する。現場の模様は火災の勢いやガス漏れの量は時間の経過とともに変えることができるため、さまざまな事態を想定した訓練が可能だ。
 保守や安全管理の実務を担ってきたベテラン従業員が引退の時期を迎え世代交代が急速に進む日本の製造業。新たな技術を取り入れながら、「経験不足による不安を自信に変える」(高橋氏)ことを目指す同社の取り組みは、同様の構造的な問題に直面する企業にとって、参考になる面が多々ありそうだ。

 設備保全やオペレーション、さらには次代を担う人材育成まで、さまざまな場面に広がるプラントにおけるデジタル技術の活用。一連の特集から浮かび上がるのは、これら戦略はまさに緒に就いたところであり、その先には大きな可能性が広がる現実である。急速に進展する「スマート保安」から目が離せない。(おわり)

 ※ 次回から「令和時代をどう生きる~働き方・学び方」がスタートします。