政策特集君は万博を知ってるか? vol.3

万博に魅せられた「あの日の私」

心に何を残すのか

2200万人を超える入場者を記録した「愛・地球博」の賑わい

 地球的規模の課題解決に貢献する21世紀型万博の端緒となった2005年の「愛・地球博」。テーマが重視されるほど、さまざまな制約の中でその世界観を具現化するのは難しい。展示や表現方法、運営面でどんな苦労があったのか。前回に続き、2005年日本国際博覧会協会事務総長を務めた中村利雄さんの話に耳を傾けてみよう。

テーマをどう表現するか

 「愛・地球博」のテーマは「自然の叡智」だった。今でこそ、持続可能な社会の意義は広く受け入れられつつあるが当時はこれをどう解釈、表現するかが、起点となった。
 「万博を機に、自然の摂理や仕組みを学び、持続可能な社会をどう構築するか、一人一人が考え、行動を起こすきっかけにしてもらいたい。私なりに開催テーマをこう解釈していました。その上で、社会システムが変わっていく様子を最新技術でどう表現するか、あるいは多様な文化や価値観の共有、NGOや市民の参加といった具体的なコンセプトが固まっていきました」

「愛・地球博」運営組織の事務総長を務めた中村利雄さん

 70年の大阪万博は、公式参加国や企業に土地を提供しパビリオンを建設してもらういわば「不動産会社型」。これに対し、愛・地球博は協会自ら企画立案した多くの事業を行う「総合商社型」。中村さんはこう表現する。
 「テーマが重視される今後の万博には、運営組織が自らプロデュースする力量が問われてきます。もちろん容易なことではありません。変化の早い時代にあってテーマはすぐに陳腐化してしまいますし、地球規模の課題を浮き彫りにすることは、各国が抱える事情や矛盾を時に露呈し、解決策についても何ら合意があるわけではありません。机上の議論ではなく、万博ならではの表現で来場者の心に訴えるのは至難の業でした」
 大阪万博の「月の石」が今なお語り継がれるように万博には目玉展示がつきもの。愛・地球博では地球温暖化問題の象徴として冷凍マンモスの発掘展示が話題を集めた。しかしその裏にも曲折があった。
 「発見の確率は2割程度で実現可能性が高かったわけではありません。幸運にもロシア・シベリアの北極圏に近い村でリアルな頭部が発見されたのですが、極地探検家や地元共和国など多くの利害関係者が存在し、どのような枠組みで万博展示にこぎつけるか調整はぎりぎりまで難航しました」

目玉であったユカギルマンモスに多くの人が見入った

何を継承すべきか

 来場者数は目標を大きく上回る2204万人。7兆円を超える経済効果があったとされるが、客観的な指標に表れない万博の成果や継承すべき理念とは。
 「未知との出会いを通じて、確かに人々の行動変革のきっかけになったと感じています。愛・地球博の特徴のひとつに市民参加がありますが、閉幕後も団体同士のネットワークが拡大したり、新たな組織が結成されるなど社会の新たな担い手としての活躍につながっていることは成果のひとつといえるでしょう。私たちの経験、そこから得られた教訓が2025年に向け、少しでも役立てば嬉しく思います」

「万博マニア」二神さんが語る魅力

万博を通じ世界中の人と交流してきた二神さん

 これまで訪れた博覧会は150あまり。万博だけでも10カ所以上に上る自称「万博マニア」の二神敦さん。阪神高速道路の社員として働くかたわら、国内外に足を運んできた。心をつかんで離さない万博の魅力を熱く語る。

悔しい思い出が僕を駆り立てた

 博覧会デビューは1981年、8歳の時。地元で開催された神戸ポートアイランド博覧会です。目の前に繰り広げられる未来社会に心躍らせ、その後、もっと大きな「万博」というものが数年後に茨城県で開催されると知って心待ちにしていました。万博PRで全国を巡ったブルートレインが神戸駅にやって来た時は見に行きましたし、人気ドラマ「スクールウォーズ」の合間に流れる日立グループ館のCMで「最新技術が作る夢を見せてあげる」などと訴えかけられると、一体、どんな「未来」なんだろうと胸を踊らせていました。
 そこまで思いを募らせていたのに、関西在住の子どもだった僕は85年のつくば万博に行けなかった。グッズを手に喜々として土産話をする友達がうらやましかったですね。
 72年生まれの僕は大阪万博の熱狂も知りません。「つくば」だけでなく、さまざまな人によって語り継がれる「大阪」を体験できなかった悔しさも、万博にのめり込んでいったきっかけかもしれません。社会人になってからは、羽が生えたように来場者として、時にボランティアとして世界中の万博の雰囲気を満喫しています。会期最終日には決まって祭りの後の寂しさを実感し、セビリア、シアトル、上海など万博の「跡地巡り」もしてきました。

万博とともに歩んできた二神さんの人生を物語るグッズの数々。富士山をデザインした左上のバッグは上海万博の「日本産業館」のもの。

 もちろん愛・地球博には毎週末通いました。一棟建てのパビリオンばかりでなく、ショッピングモールのような会場構成や、スタッフとの距離感が近かったこと、作り物ではない本物の自然があったことが印象に残っています。これらを通じてさまざまな事象を、自らのこととして考える機会になったのは事実です。

体感することに価値がある

 今やインターネットで、あらゆる世界を知ることができるのになぜ万博が必要なのか。僕ならその問いにこう答えるでしょう。「知ったつもり、見てきたつもりになっている時代だからこそ、実際に足を運び、体感し、自分の頭で考えることに価値がある」。
 いかに最新技術を駆使してテーマを表現するかも僕にとっては、さほど重要ではありません。食をテーマにした2015年のミラノ万博のEUパビリオンでは、展示表記が一切なく、小さな子どもでも楽しめるよう映像と音だけで世界観を表現していましたが、心にじんわり染みわたる何かがありました。「月の石に匹敵する目玉展示」を追い求める大阪万博の呪縛からそろそろ解き放たれてもいいのではないでしょうか。
 いのちがテーマの2025年の大阪・関西万博は、白いTシャツに各国言語で「いのち」という文字を書いてもらいながら、世界の人と交流したいと思っています。同時に、次代を担う子どもたちに万博ならではの雰囲気を感じ、大いに刺激を受けてほしい。未来を夢見ることは、前向きに人生を切り拓く原動力ですから。(談)

そして再び舞台は大阪へー。次回は2025年大阪・関西万博について紹介します。