地域で輝く企業

【岐阜発】老舗の酒蔵が挑むウイスキーづくり、「飛騨の匠」の心意気

岐阜県高山市 有限会社舩坂酒造店

国内外から年間約500万人が訪れる日本有数の観光地・飛騨高山。情緒ある古い町並みに店を構え、江戸時代から続く酒蔵「舩坂酒造店」が、廃校となった小学校をウイスキーの蒸留所として再生し、ウイスキーづくりを始めている。経営不振に陥った酒蔵を事業承継した現社長の有巣弘城氏(39)は、卸売りがメーンだった酒蔵を「日本酒のテーマパーク」にモデルチェンジし、観光名所に育ててきた。暮らしの中に日本酒が息づく街に、新しくウイスキーの文化を根付かせようと情熱を注いでいる。

「飛騨高山蒸溜所」のポットスチル(ウイスキーの蒸留器)は廃校の体育館ステージ上に並ぶ

高山の「銀座通り」で挑戦したい!経営不振の酒蔵を承継

飛騨高山には7つの酒蔵があり、その多くが江戸時代から続いている。舩坂酒造店の前身「大文屋」は元禄年間の創業だ。老舗の酒蔵として地元の人々に愛されてきたが、日本酒の国内消費量が減り続ける中で経営が悪化、さらに後継者が不在で、廃業の危機に陥った。高山市で旅館業などを展開する「アリスグループ」が経営不振を知り、2009年に事業承継して再生に取り組んできた。アリスグループは有巣社長の実家で、昭和初期の洋食店からスタートし、事業を多角化してきた。現在は旅館業の「株式会社本陣平野屋」が中核事業となっている。

旅館の跡取り息子として高山市で育った有巣社長は、東京の大学を卒業後、経営コンサルタントの会社に勤めていたが、祖父と共に舩坂酒造店の経営を再建するため2010年に故郷に戻った。その後、店長、常務を経て、2015年5月に社長に就任している。

有巣社長は「事業承継の理由は2つありました」と話す。「一つは、店が面している古い町並みは観光地・高山の一等地、言わば『銀座通り』なので、商人として挑戦したい強い気持ちがありました。そのチャンスが訪れたことです。また、古くからの酒蔵という地域の魅力を守ることが旅館にもプラスになると考えたことが二つ目の理由です。高山は昔のものを大切に保存、維持して引き継いできたからこそ、魅力ある観光地になっています。旅館の魅力は地域の歴史・食・文化と共にあります。酒蔵は高山を大きく支えてきた業種の一つであり、残さなければならないと考えました」

取材に訪れた3月下旬は日本酒の仕込み作業が行われていた

新酒を味わい、背中に電撃走る「人生をかけてPRしていく」

ただ、有巣社長は、大学生の頃、コンパで結構飲まされた経験があり、元は日本酒があまり好きではなかったという。舩坂酒造店に入って最初の冬、杜氏が「今年最初にできた酒を飲んでください」と持ってきたとき、「いや、日本酒は得意じゃないんで…」と、つい本音が出てしまった。「でも、勧められて新酒を飲んだとき、背中に電撃がバーッと走りました。うまさ、フレッシュさに感激しました。これほどのおいしさなら、自分の人生をかけてPRしていける、と感じた瞬間でした」と振り返る。

経営のコンセプトを「酒蔵×観光」とした。その理由を「目の前の通りに人がたくさん歩いているのに、以前はBtoBが中心で、観光客にウェルカム状態ではなかった。我々はもともとサービス業なので、どうしたら日本酒を楽しんでもらえるかを考え、『日本酒のテーマパーク』を作ろうと考えた」と話す。有巣社長自身が「うまさに驚いた」という生酒の魅力を伝えようと、ラインナップを増やし、新たな日本酒ファンを掘り起こす試みも始めた。日本酒を使ったリキュールや化粧品も開発し、拡充した売店には地元の土産品も置いた。さらに、飛騨牛と日本酒の組み合わせが楽しめるレストランを新たに作った。観光客を呼び込むこうした取り組みで、舩坂酒造店の売り上げは2017年には5億円を超えるほどになった。

観光の復活を模索する中で、ウイスキーと出会う

2020年からのコロナ禍は、舩坂酒造店にも大打撃となり、売り上げはそれまでの半分以下になった。しかし、有巣社長は「Go Toキャンペーン」などで訪れた人々を見て「人は他の土地で文化体験をする喜びを欲しがるはず。観光はなくならない」と確信。2021年には高山市で初の「日本酒コインサーバー」を設置するなど、コロナ後の次なるエンターテインメントに向けた布石を打つことをやめなかった。「日本酒コインサーバー」は現在、外国人観光客にも大人気で、多い日では2千杯も売れる「名物」に育っている。

次に「観光を復活するには、お客さんを待っているだけでなく、連れてこなければ」と考えた。当時、北陸新幹線の敦賀までの延伸工事が進んでいた。「これからは北陸からの観光客を呼び込みたい。例えば、富山から高山までの酒蔵見学ルートを作れないか」と思い立った。高山市を含む飛騨地方と富山県南部は「飛越地域」と呼ばれ、昔から人々の交流が盛んで結びつきも強かった。その交流の歴史から日本酒事業や高山の観光業の回復策を見出そう、との思いがあった。

知人の紹介で富山県砺波市の「若鶴酒造」を訪れた。若鶴酒造は日本酒だけでなく、ウイスキーを細々と製造していたが、5代目社長兼CEOの稲垣貴彦氏が同社の老朽化した「三郎丸蒸留所」を改修し、本格的なウイスキー作りを始めていた。稲垣氏から「50年前に曽祖父が仕込んだウイスキーを飲んで感動し、蒸留所の再生を決意した」との話を聞き、有巣社長は「私の日本酒のストーリーとシナジーがあると感じ、背中に2度目の電撃が走りました。高山でこれから勝負するべきことは、これなんじゃないかなと直感しました」という。こうしてウイスキー事業への参入が決まった。

「昔から交流の『飛越地域』の歴史から、観光の復活を考えたことがウイスキーに結び付いた」と話す有巣社長

人々の愛着が残る旧校舎に感動、「ここを蒸留所に」と決意

ウイスキー蒸留所の場所探しが始まった。候補地を探すうちに、2007年に閉校した旧高根小学校の校舎が残されていることを知り、訪れた。現地は飛騨川の上流に位置し、豊富な水ときれいな空気があり、冷涼な気候でウイスキーづくりに最適な条件がそろっていた。校舎は樽の貯蔵場所として利用できる。建物は閉校当時のまま良好な状態で維持されていた。黒板には当時の小学生が閉校式の折に黒板に書いた「ありがとう」の文字がそのまま残っていた。地域の人たちの愛着を感じ、この場所を蒸留所にすることにした。

2022年4月、岐阜県初のウイスキー専門蒸留所「飛騨高山蒸溜所」開設を発表。同時期に実施した「飛騨高山蒸溜所プロジェクト」のクラウドファンディングは地元の人々やウイスキーファンから大いに注目され、合計929件3760万円の支援金が寄せられた。2023年3月25日、ウイスキー蒸留所に生まれ変わった旧高根小学校で“開校式”が行われた。「皆さんが笑顔でした。当時の校長先生が『閉校のあいさつをした私が、まさか開校のあいさつをするとは思わなかった』と喜んでくれました。多くの方に応援していただいていることを実感でき、とてもうれしかった日でした」

蒸溜所はこの年の5月から本格稼働している。この地でつくられたシングルモルトは2026年秋以降、販売する計画だ。有巣社長は「シングルモルトは濃厚でフルーティーな味わいを目指したい。山の息吹が感じられるような風味が出てくればうれしい」と顔をほころばせる。それまでは蒸溜所内で熟成した海外原酒を使ったブレンデッドウイスキーをリリースしていくという。

旧体育館全体がウイスキーの蒸留施設になっており、窓側の通路を活用した見学コースが設けられている。

原料から樽まで、オール岐阜県産ウイスキーをつくりたい

有巣社長は「全国でウイスキー蒸留所が増えています。生き残り策として地域性を前面に出し、オール岐阜県産のウイスキーをつくりたい」と目標を語る。「県南部の美濃地方で大麦をつくり始めています。その大麦を原料に、我々が飛騨の地でウイスキーをつくり、飛騨産の木でできた樽で熟成します。オリジナルの樽をつくる家具メーカーと連携も取っています」と話し、着々と準備を進めている。また、三郎丸蒸留所との交流を深め、「飛越ブレンド」のウイスキーにも取り組んでみたいと夢を膨らませる。

「日本酒がフレッシュさを売りにしているのに対し、ウイスキーは歴史を積み重ねるほど価値が増すという違いはあるが、大きく『酒づくり』という点で相互に生かせる技術がある」と話す有巣社長。「昔、全国各地で精巧な技術で建築物や木工品を作ってきた『飛騨の匠』は高山に外から文化を持ち込みました。ウイスキーの文化を持ち込んだ我々にも、そのDNAがあるのかな、と誇りに感じています。山の中にありながら年間500万人もの観光客が訪れる稀有な観光地、飛騨高山にウイスキーという新たな価値を創造することで、地域の発展にも貢献していきたい」と、故郷の将来を見据えている。

【企業情報】▽公式サイト=https://www.funasaka-shuzo.co.jp/▽社長=有巣弘城▽社員数=57人▽創業=江戸時代