政策特集標準と経営が恋をする vol.5

AIが主戦場!日本発「標準」を世界に広める経産省の戦略とは

日本発の国際標準をいかに創り出していくか――。日本産業標準調査会 基本政策部会が2023年に取りまとめた「日本型標準加速化モデル」では、新たな市場を創出するため、「戦略的活動」を拡大し、「ルールテイカー」から「ルールメイカー」になる必要があると指摘している。

日本が克服しなければならない課題は少なくない。企業の取り組みは、政府の施策は……。そして今、国内外で大きな注目を集めている人工知能(AI)を巡って、どんな動きが起きているのか。

経済産業省で日本発の標準化を広めていく最前線に立つ3人に話を聞いた。

空気のように日常を支える「標準」。ビジネス成功の武器に

―――「日本型標準加速化モデル」を取りまとめた目的は。

武重 標準はそこら中に転がっているものに使われています。空気と同じです。普段は認識していないけれど、無かったら大変なことになる。それをあえて認識してみると、ビジネスにとって非常に役に立つし、社会を良い方向に変えていくために、有効なツールになります。そこに気づいてもらおうと、「日本型標準加速化モデル」として打ち出しました。

研究開発の段階から、どんな製品・サービスをつくり、どんな社会を目指すのか、標準化をうまく使って戦略的にプランニングする。新しい常識、新しい社会の姿を描いていく。それが結果的に自分たちのビジネスを成功させるためのツールになります。標準化活動のそうした側面を、我々は「戦略的活動」と呼んでいます。

電気や電子、情報に関する標準を担当している国際電気標準課の武重竜男課長「標準は普段は認識されていないけれど、空気と同じで無くなったら大変なことになる」

国の支援事業の評価項目に標準化戦略。研究開発段階から市場を意識

―――戦略的活動を強化するために、経済産業省としてどんな施策を進めていますか。

植松 日本は、「良い技術はあっても、市場を取れずにビジネスで勝てない。」と指摘されてきました。イノベーションを起こすためには、研究開発とともに、将来像を描いてルールメイキングなどにより市場を創り、研究開発の成果が実際に使われることが重要です。そのため、国の支援で研究開発事業を行う際の評価項目を昨年度に改正し、プロジェクトの事前、中間、事後の評価における評価項目の一つに、「将来像を描き、どのように市場を創っていくか」、特に「その将来像を実現するために標準や知財戦略をどのように活用していくか」という点を加えました。元々は、「グリーンイノベーション基金事業」で始めた取り組みですが、これを経産省の研究開発プロジェクト全体に広げています。
※グリーンイノベーション基金事業・・・カーボンニュートラル実現を目指す国の基金。研究開発から社会実装までを見据えた企業等の取り組みに対して、最長10年間継続的に支援する。

武重 研究開発段階から市場を創るための標準化戦略を考えようとしても、「何をしたら良いか分からない」という企業は少なくないと思います。そこで、大型の研究開発プロジェクトに携わっている企業については、国際標準課長と国際電気標準課長の私が手分けをして、直接ヒアリングしアドバイスするということも始めています。

基盤的活動と戦略的活動のイメージ(日本型標準加速化モデル図11参照)

AIの標準で日本から多数提案。ISOやIECでも採用

―――標準化をめぐる最新のテーマにはどんなものがありますか。

植松 多くの研究開発事業がある中で、最先端であり、かつ様々なルールづくりが必要になってくるのがAIの分野です。

生成AIが開発・公開され、AI研究は更に一段階進みましたが、AIの透明性を高めることが世界的な課題となっています。AIは様々なデータを組み合わせて入力し、そのデータを基に色々な結果を出力します。そのため、入力されるデータやアルゴリズムの透明性を高め、AIの出力結果の信頼性を高めることが必要です。そこでルールや標準を先につくっておけば、製品やサービスとして市場に出す際に、このAIあるいはこのAIを活用した製品やサービスは一定の基準を満たしていると、示すことができます。そのための強力なツールの一つが標準です。今、経産省が所管する産業技術総合研究所の研究者や様々な企業の方々が知恵を出し合って、AIの標準づくりを進めています。

武重 バイアスがかかっていたり、倫理的に問題があったりするデータがインプットされてしまうと、AIのアウトプットが問題となる恐れがある。AIが取り込むデータの品質をどう判断していくべきかという議論になります。実際に国際標準化機構(ISO)と国際電気標準会議(IEC)の合同委員会(JTC1)において、AIを担当する分科委員会(SC42)では様々な議論が行われてきました。日本では、産業技術総合研究所を中心とした国内専門委員会がAIの標準化活動を担っており、日本からも多数の国際標準を提案しています。これにより、日本の価値観が世界の中で受け入れられる素地をつくることになると思います。

植松 生成AIの世界は今後、言語だけでなく映像や音響などにも様々なデータを組み合わせる「マルチモーダル」に広がっていきます。それにより、ロボットや機械の動きを生成する、例えば周囲の音や状況に応じて、ロボットがあたかも自発的に動作するといったことも可能になるでしょう。そこでも、安心してAIを使うために、データの品質やどういう形でデータを取り込むかといったことについて、今後、標準がつくられていくと思います。

量子やAIといった先端技術に関する研究開発政策を企画・立案する研究開発課の植松黎課長補佐「最先端でありかつ様々なルールづくりが必要になってくるのがAIです」

リスク踏まえ活用を。AI事業者ガイドライン策定へ

酒匂 AIガバナンスに関して国内外で様々な議論がなされる中、経済産業省では総務省とともにAIを活用する事業者向けに「AI事業者ガイドライン案」をとりまとめました。元々は経済産業省と総務省で計三つものガイドラインがあったのですが、これを統合しながら、生成AIの勃興などの新たな流れも踏まえ、アップデートしたものです。その中でも標準は一つの大きな要素となっています。

AIについては経済協力開発機構(OECD)や欧州連合(EU)、米国などでルールメイキングが進んでいます。2023年5月のG7広島サミットでは、「広島AIプロセス」という国際的なルールづくりの枠組みが立ち上がりました。「AI事業者ガイドライン案」にはこうした国際的な動きも取り入れています。2024年1月からパブリックコメントの受け付けを開始しており、3月には正式決定の運びです。

武重 新しい技術が出現する時、そのインパクトが大きいゆえに「怖い」という発想が出てきやすいと思います。ロボットにもインターネットにも脅威論がありました。脅威論や規制に対応するだけではなく、不安に思う人たちの気持ちをくみながら、将来のビジネスを想定し、どういう社会を目指すのか議論し、民間主導でルールを形成していこうとする取り組みが、いまの標準化活動に現れています。

酒匂 AIはリスクももたらす一方で、イノベーションの源泉にもなります。「AI事業者ガイドライン案」は、リスクも踏まえながら、AIをどう活用していけば良いかという一つの指針です。何がリスクなのかを考えながら、AIの活用を後押したいというメッセージだと受けとめていただければと思います。

情報経済課の酒匂隆幸係長「AIはリスクもある一方で、イノベーションの源泉にもなります」

AIの安全性評価の基準づくりを担う「AIセーフティ・インスティテュート」設立。欧米と連携

武重 AIについて全体としてよく分からないことが、不安につながっています。

酒匂 2023年11月には英国のスナク首相が主催してAI安全性サミットが開催され、英国としてAIセーフティ・インスティテュートを立ち上げると発表しました。これと前後して米国ではAIに関する大統領令が出されました。米国もAI安全性サミットの機会を捉えて、AIセーフティ・インスティテュートの立ち上げを発表しています。米英に共通しているのは、市場投入前のAIについて政府が安全性評価ツールを策定しようとする動きです。日本としても、こうした国際的な動向も踏まえて、AI安全性評価の手法を確立すべく、2023年12月のAI戦略会議の中で、岸田首相がAIセーフティ・インスティテュートの設立を表明し、2024年2月には、正式にAIセーフティ・インスティテュートが正式に設立され、所長には損害保険ジャパンCDO(最高デジタル責任者)の村上明子氏に就任していただきました。

内閣府をはじめとする関係省庁だけでなく、産業技術総合研究所、理化学研究所、情報通信研究機構など関係機関に参加いただき、日本におけるハブとなってAI安全性の評価の手法を確立することを目指しています。AI安全性の確立という共通の目標に向けて、産官学の多様なステークホルダーが結集するコアになって欲しいと考えています。

武重 最初のマネジメントシステム規格として有名なISO9000シリーズは、戦後に米国の統計学者デミング博士が日本で広めた品質管理の手法「PDCAサイクル」が日本で根付き、逆輸出されて品質マネジメントシステムとして国際標準となったものです。AIについては、昨年末に、新たなマネジメントシステム規格としてISO/IEC42001が発行しました。これにより、企業によるAIの開発や使用などについてどうマネジメントしていくか、世界共通の考え方のベースができました。
※PDCAサイクル・・・Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)のプロセスを循環させ、マネジメントの品質を高めようという考え方。

人間とAIはチーム!日本的価値観ベースに標準づくり目指す

植松 昨年、手塚治虫さんの名作「ブラック・ジャック」の新作を、生成AIを活用してつくろうというプロジェクトが行われました。このプロジェクトでは、生成AIを用いてストーリーやキャラクターの原案をつくりましたが、重要なのは、生成AIがつくったものをそのまま使うのではなく、人間がAIをサポートツールとして活用し、AIとともにブラッシュアップしたという点です。AIが人間を追い越すということも言われますが、人間がAIをサポートツールとして使うという構図は今後も変わっていかないだろうと思います。そのためにも標準化をどう進めるかということが重要になります。

酒匂 重要なご指摘だと思います。「AI事業者ガイドライン案」でも「人間中心の原則」を明確に打ち出しています。AIに全てを任せるのではなく、あくまで中心は人間だという考え方です。

植松 人間とロボット・AIの関係を見てみると、日本ではドラえもんのように協調的なものが多い一方で、米国ではロボット・AIに支配されるといったネガティブなイメージを持たれがちです。そこは国民性の違いといった面があるのでしょう。

武重 人間が一方的にAIをコントロールするというよりは、むしろチームとして一緒に活動する。AIを搭載することでロボットが人間と協調できるのではないか。日本からは、そうした「ヒューマン・マシーン・チーミング」という考え方を、国際標準として提案しています。

人材の発掘・育成急務。人材データベース構築へ

武重 今後、AI分野をはじめ、標準化人材はますます重要となります。標準化を新しい産業につなげていくには、橋渡しをできる人材が欠かせません。経済産業省では、標準化について知識や経験を有する人材のデータベースをつくっているところです。どこにどういう標準化人材がいるのか、必要とする企業などに情報として提供するということを進めています。2024年度の早い段階で運用を開始できるでしょう。これによって、企業の標準化戦略を手助けし、結果として専門人材の力も有効に活用できると期待しています。

植松 こうした取り組みの結果、多くの人がイノベーション創出に向けたルールメーイキングの重要性を認識し、更にそれに長(た)けた人材が増えることを期待しています。

※本特集はこれで終わりです。次回は「半導体の現在地」を特集します。