「予定調和」を乗り越えて
文科省vs経産省 これからの教育を語り合う【後編】
教師は「プロデューサー」
文部科学省初等中等教育局 財務課長 合田哲雄(以下、合田) 個別最適化された学びは、公正に提供されていることが何よりも大事だと思っています。その観点から、実はいま非常に気になっていることがあります。
経済産業省商務・サービスグループサービス政策課長 浅野大介(以下、浅野) 何ですか。
合田 小学校に入ってくる子どもたちの語彙(ごい)力の差が大きくなっているという学校現場の実感です。語彙の差が学力差となり、それが縮まらないことを危惧しています。その対策としてもITを活用した反復学習などが有効だと期待しています。他方で、教育現場へのIT活用は、ともすれば皆が黙々とタブレット端末に向かっているといったイメージを抱きがちですが、AI時代だからこそ求められる人間としての強みを発揮するためには、学び合いや教え合いといった集団における学びの意味もますます重要になっています。「主体的・対話的で深い学び」を、どのような意図を持ってどのように単元を構成することにより実現していくか―。教師の力量が問われてくると思います。これからの教師はティーチングのみならず、子どもたちの学びを演出する「プロデューサー」的な役割が求められると考えています。
浅野 僕が気になるのは、プロジェクトベース・ラーニングにしてもアクティブ・ラーニングにしても、教師のシナリオありきの「予定調和」の色彩が強いことなんですよ。
合田 「予定調和」は日本の教育界が乗り越えなければならない課題です。例えば今回、「特別な教科」になった道徳では、「社会正義・公正」という項目では、いじめを見つけたらすぐに先生や保護者に報告しましょうと書いてある。ところが「友情・信頼」の項目では、友達はとことん信頼しましょうとある。
浅野 一体、どっちなんだと(笑)。
合田 今回の学習指導要領ではあえて、こうした道徳的価値と道徳的価値の葛藤を盛り込みました。それぞれの価値は調和がとれていても、実際に社会に出て直面するのは、「価値と価値の葛藤」、「価値と現実のギャップ」です。美しい言葉で片付けるだけでなく、さまざまなことを議論する中で、板挟みや想定外と向き合い調整する力や責任を持って遂行する力を養ってほしいと考えるからです。
常識から解き放ちたい
浅野 一方で、教師自身が「結論はこうあるべきだ」という常識に縛られすぎていませんか。真のアクティブ・ラーニングには、教師を常識や既成概念から解き放つことが第一歩と感じるのですが。
合田 それは私たち保護者や企業も同様ではないでしょうか。自分が社会に出た当時と現在では、産業構造や技術進展は全く異なる。とりわけ、この5年、10年ほどの社会の変化は破壊的なほどですよね。にもかかわらず、意識変化は追いついていない。見方を変えれば、破壊的であるがゆえに、目の前の子どもたちは創造的なことに挑戦できるわけですよね。
浅野 既成概念や常識から教師を解放するには、社会の多様な主体との交流が不可欠ではないでしょうか。だからこそ、経済界やNPOなど多様な主体との対話の機会を創出したいと考えています。僕ら役人があれこれ言うよりも、実際に価値を生み出している人の言葉は心に響くでしょう。経産省がこのほどスタートする実証事業では、民間企業やNPO、全国の中学校・高校などが連携し、エドテックの活用などよる新たな教育プログラムの開発に取り組みます。こうした枠組みにはぜひ文科省の方にも参加して頂きたいし、逆に文科省でやっておられる教育長や校長先生とのプラットフォームには僕らも顔を出したい。お互いに、どんどん「越境」し合いたいですね。
多様な主体との対話を
合田 新たな価値を創出しておられる方々と教師や保護者との対話、ぜひ一緒にやりましょう。また、私はいま、学校の働き方改革も担当しています。教師という仕事は子どもたちを通じて未来を創造する実にクリエイティブな仕事であるにもかかわらず、日常業務に忙殺されているという実情にあります。あらゆる施策を総動員してこの現状を何とか変えたい。その際、文科省もエドテックでこんなことができるようになれば、教育の質的転換が一気に広がりますよとメーカーや教育関係のベンチャーの皆さんと対話したいと思っています。同時に、教師の専門性とは何なのかをあらためて問い直し、社会的なコンセンサスを形成しながら、教育の中身も先生の働き方も同時に変えていきたい。それは国の「ありよう」につながるテーマだと自覚しています。
浅野 さまざまな知見やネットワークを共有しながら、これからもぜひ、ともに取り組んでいきましょう。