地域で輝く企業

【山形発】極小プラスチックの世界を「リケジョ社長」が大きく進化させた秘訣とは

山形県尾花沢市 最上世紀(もがみせいき)

吹けば飛ぶような数ミリのプラスチック部品に施された穴、溝、そして切り込み……。それらが複雑にレイアウトされ、関係者以外には、何に使うのか皆目見当がつかない。しかし、「そのすべてに意味や役割があるんです」と最上世紀の中西愛子社長(44)は話す。19世紀末から20世紀にかけて高層ビルのデザインを手がけた米国の建築家、ルイス・サリヴァンは「形態は機能に従う」と言った。その主張を極小のプラスチック部品が象徴しているかのよう。最上世紀は自動車用部品を中心にさまざまなプラスチック部品の設計から金型製造、成形、外装、そして組み立てまでをトータルに手がけ、グローバルなビジネスで存在感を発揮している。山形県内陸部の豪雪地帯で、スイカ産地としても有名な尾花沢。そこに本社を構える企業が地域で輝き続けるための秘密とは?

最上世紀のプラスチック製品の一例。穴、溝、切り込み、すべてに意味や役割がある

設計から組み立てまで一貫。“過疎の街”から海外勢を迎え撃つ

仕事の形態はいわゆるBtoB。ほぼ100%、企業間の取引で、消費者には仕事内容をうかがい知ることは難しい。例えば、乗用車のエアコンと電源を結ぶためのコネクターやゲーム機の操作用の部品、そして医療機器や乗用車のコントロールパネルなどを、メーカーから注文を受けて作る。最小のもので1.5ミリ×2.5ミリ、パネルなど大きいもので20センチ×40センチ。現在国内外の約10社計約1500種類もの部品を日々量産している。

父親が「斎藤製作所」として1969年に創業。当初は他社から請け負ったプラスチック部品の最終的な仕上げを行っていた。徐々にプラスチック成形の事業を広げ、10年後に法人化。95年には中国・大連に進出した。その後も積極的な設備投資を行い、2020年にはベトナムに工場を新設。さらに昨年末には山形の本社敷地内に鉄筋コンクリート2階建てで延べ床面積が約5000平方メートルある第6工場が完成したばかりだ。ここにはクリーンルームを備え、精密な塗装加工を主に行う。一連の事業拡大には「常に進化し続けられる会社でありたいと思っています」と話す中西社長の思いも反映している。

実際、競争は激しい。人件費の安い海外メーカーとの価格競争もある。それを人口約1万5000人の過疎の街から、どうやって迎え撃つのか。まず、製品の付加価値向上に努めた。部品の設計から組み立てまで、一貫して社内で請け負う。「ですから、取引先からの要望にも臨機応変に対応することができるんです」と中西社長。全体の製造工程を把握し、高度な技術を持っている社員も多い。そうしたこともあって、製造を請け負うだけでなく、取引先から求められ、製品の企画段階から関与することもあるという。ビジネスはコロナ禍で落ち込み、今も完全には戻っていないが、直近の売上目標としてコロナ禍前を上回る年間40億円を掲げている。

完成したばかりの第6工場

700人の従業員が働く中国・大連工場

海外工場の現地スタッフも日本で研修。徹底した品質管理を実現

高精度な金型設計も最上世紀の強みだ。300万点の部品を納入して、不良品がゼロというケースもまれではないという。プラスチック部品は金型に液状のプラスチックを流し込んで作るが、金型の設計はもちろん、量産性も重要になる。社内の量産現場からのフィードバックを金型作りに反映させることで、精度の高い部品を短い納期で、品質も安定して作ることができる。商品・サービスを提供するまでの各工程において品質管理がマネジメントできていると見なされる国際規格ISO9001の認証を取得。さらに今年1月には自動車部品の製造に特化した国際規格IATF19649の承認も得ている。

さらに海外の工場にも日本と同じ最新設備を導入し、現地で採用したスタッフも日本の工場で研修を受けさせ、同社の徹底した品質管理を学んでもらう。そうすることで高品質な製品の現地調達を可能にしているという。「『より良い品を適正価格でお届けする』という経営理念にどうしたら近づけるか、そのために今も試行錯誤を重ねています」と中西社長はこれまでの取り組みを振り返る。

整然と並ぶ製作機械。ほとんどが自動化されていて、ほとんど人がいない

さまざまな種類の金型も自社で作れるのが最上世紀の強み

都内で勤務15年。副社長で入社後、取引先で秘書と間違われて…

中西社長は山形市内の高校卒業後、武蔵工業大(現在の東京都市大)工学部を卒業した「リケジョ」。その後は東京都内の広告代理店やスニーカーなどを販売する大手チェーン店で計15年勤め、2016年12月に最上世紀に副社長として入社した。3人きょうだいの長女として事業継承を父親と話し合った結果の入社で、2人の弟も同社で要職を務めている。当初は父親に付いて取引先などを回っていると、秘書と間違われ、「副社長です」と挨拶して驚かれることが多かったという。「その分、取引先には一発で顔を覚えてもらうことができましたけど」と中西社長は笑う。

ところが、その父親が17年4月に心臓の病で突然亡くなってしまった。その翌月に社長業を継いだ。「正直言って、今でもプラスチック製造のことを勉強中。それでも社員や取引先の皆さんに助けていただいて、今日まで何とか仕事を続けることができました」。先代社長の父親は先頭に立って社員をグイグイ引っ張っていくタイプだったが、「自分は、社員が現場で力を出し切れるように、みんなで頑張っていこうというタイプ」と分析する。それが経営にも反映する。

プラスチック部品を製造する機械は1台1千万円。そこから極小の部品が作られていく。「ここは24時間稼働しています」と中西社長が教えてくれた

先代の「地域に働く場所を」の思い。DX+働き方改革で道を開く

例えば、業界以外の人にも企業の魅力をアピールしていこうと、自社のホームページを新たに開設したり、男女で「グレー」と「ピンク」と色の異なっていた制服の色もブルーに統一したりして、「中西色」をさりげなく演出。コロナ禍の2021年には、顔を覆ったまま楽器を演奏できるプラスチックを県内の工業高等専門学校と共同開発して、地元中学の吹奏楽部に寄贈したりもしている。今後、工場見学なども積極的に受け入れていきたいという。

働き方改革も「中西色」の一つと言っていいだろう。自宅が川崎市にあり、IT企業に勤める夫と子どもが2人いる。基本的に週末は川崎に戻り、会議などはパソコンを通じて自宅から参加する機会も多い。川崎の自宅から首都圏の取引先に直接出向くこともある。「女性の力を含め、多彩な人材を確保していくためには、働き方も変えていく必要があると思っています。その取り組みは始まったばかりですが、DX(デジタルトランスフォーメーション)の力も積極的に活用していくつもりです」

先代が掲げた「地域に働く場所を」という思いを、中西社長も共有しており、「尾花沢発」の企業であることに強い思い入れを持っている。「地方だからと諦めるのではなく、中央の大手メーカーなどに引け目を感じずに活躍できる会社にしていきたい」と中西社長は話す。そのために業界の動向にアンテナを張り、最新の機器と熟練した人材を武器に変化にも柔軟に対応していく――。こうした姿勢が、企業が地域で輝くために欠かせない要素のように感じた。

最上世紀の最寄り駅はJR大石田駅。取材したのは3月半ばだったが、駅前には大量の雪が残っていた

 

【企業情報】

▽公式サイト=https://www.mogamiseiki.co.jp/▽社長=中西愛子▽売上高=33億円▽社員数=220人▽創業=1969年▽会社設立=1979年