政策特集繊維が紡ぐ未来 2030年に向けた繊維産業の展望 vol.1

低価格化、新型コロナ…課題克服で描かれた繊維ビジョン

生活の3大要素である「衣食住」。このうち「衣」に関わる繊維産業は、明治維新以降の日本の近代化を引っ張ってきた。それが1990年代以降、低価格化や人口減少にさらされ、さらに近年はデジタル化、持続可能な社会(サステナビリティ)への対応、新型コロナウイルスの感染拡大による需要縮小といった環境変化の激流にさらされている。苦境を克服し、どう飛躍していくのか。経済産業省が描く「ビジョン」が指標となる。

日本の繊維産業は地方の技術力が支えている(写真提供は株式会社内田染工場で、経済産業省の「2030年に向けた繊維産業の展望」から抜粋)

新たな「繊維ビジョン」に滲む危機

「2030年に向けて、我々はどういった繊維産業の将来を描くことができるだろうか」

経済産業省が2022年に15年ぶりに改訂した業界の進むべき方向性を示す「繊維ビジョン」は、冒頭でこう打ち出した。

衣料品の国内市場(金額ベース)はバブル経済が崩壊した年にあたる1991年の15兆3000億円をピークに一時的に減少し、2000年代に入って横ばいが続いた。人口減少で国内消費が低迷し、リーマン・ショックや東日本大震災を経た中で、健闘しているかに見える。だが、実態として繊維業界はこの間、大きな構造変化に見舞われていた。

代表的なのは、製造から販売までの垂直統合を展開する大手製造小売業(SPA)の台頭だ。繊維業界のサプライチェーン(供給網)はごく単純化すると、紡糸、紡績など糸をつくる「川上」、糸・生地を染める・織る・編む「川中」、衣料品をはじめ最終製品を扱う「川下」に分かれる。日本の繊維業界は伝統的にアパレルなどの川下に価格決定権があり、川上や川中の収益に影響を与えてきたとされる。高度経済成長期やバブル経済期のように、高価格の衣料品が売れていた時代は、サプライチェーン全体が恩恵を受けた。

バブル後の構造変化、そしてコロナ禍

それがバブル崩壊後のデフレ経済により、消費者は安価で品質の良い衣料品を求めるようになった。川下はこれに応えるため、人件費が安く、縫製技術を徐々に向上させた中国をはじめとする海外に生産拠点を移転。低価格、高品質の衣料品を日本に輸出するという構図が定着した。今や国内に流通する衣料品のうち、海外製は98・2%(2021年、数量ベース)で、数量で見ればほぼ全てといってよい。

最終製品である衣料品の低価格化は、川上から川下に至るサプライチェーン全体の収益力悪化をもたらした。特に国内の繊維産地は、激しい価格競争のあおりを受け、苦戦を強いられている。結果として、繊維工業の従業員の給与額は、製造業全体に比べて25%以上低い状態が続き、国内の就業者数は2007年の68万人から、2020年には40万人になった。若い働き手の減少により会社をたたむ企業は増え、事業所数は2019年に110万超と2005年の半分以下になった。

そして、何とか横ばいを維持してきた国内市場に大打撃となったのが、新型コロナウイルスの感染拡大だ。外出自粛やテレワークの広がりにより、特にスーツをはじめとしたウール関係が苦しんだ。2020年の市場規模は、コロナ禍前にあたる2019年比で約2.5兆円減り、8.6兆円に落ち込んだ。


国内経済の活性化に欠かせない繊維業界

経済産業省はなぜ、厳しい状況にある繊維業界を復活させようとしているのか。それは、日本経済を活性化させる大きな試金石と言えるからだ。

繊維産業は、染色で使われる水質に恵まれた河川など、豊かな自然を活かして発展してきた。日本も同様で、絹織物が有名な石川県、富山県、福井県といった北陸地方をはじめ、主要な産地が東北地方から九州地方まで全国に点在するという特徴がある。こうした事情から、繊維産業が現在も多くの地方の経済や雇用を支えている事実に変わりない。一般的に地場産業が衰退すれば、働き口が減って地方から人口が流出するという悪循環が加速する。その意味で、繊維産業の再興は、人口減少という日本の抱える構造的な課題解決に向けた好例となりうる。

一方で、日本の繊維産業が世界的に今も存在感を示しているのは、高い技術力があるためだ。例えば、抗菌防臭、ストレッチなどの高機能繊維や強度、耐熱性、耐衝撃性を併せ持つ高性能繊維が該当する。衰退は日本の産業が誇る大きな財産を失いかねない事態を招く。

求められる新たな「稼ぐ力」

視点を変えれば、繊維産業の潜在力を現在に適した形で引き出せば、新たな稼ぐ力にすることができる。前述の2030年に向けた「繊維ビジョン」では、「川上」は高い技術力を一段と磨き、医療など繊維以外の様々な領域で発揮することが示された。「川中」は海外展開も視野に入れ、地域経済の好循環をもたらす役割、「川下」は産地と連携し、高品質で世界の消費者が求めるニーズを捉えた商品づくりの役割がそれぞれ期待されている。

新たなビジネスモデルとしては、「ファクトリーブランド」や「DtoC(ダイレクト・トゥ・コンシューマーの略)」が挙げられる。ファクトリーブランドは、川上、川中の企業が自社工場で作った製品を独自ブランドとして販売する手法で、DtoCは自社のインターネットサイトなどを通じて消費者に直販する。収益力の向上が見込まれるだけでなく、国内外の消費者に高い技術力、商品力を評価してもらい販路が開拓できれば、新たな競争力を得ることができる。

「サステナビリティ経営」も欠かせない。繊維のリサイクルはじめとする環境への配慮や国内外のサプライチェーンにおける適切な労働環境の維持という社会的責任を果たすことは、特に欧州では商売するためのルールとなっている。日本の繊維関連企業が成長を目指して海外展開を広げるためには、今やこれらに対応することが前提となる。

繊維業界は今でもファクスや電話が取引で重要な役割を担う企業が多く、ビジネスの迅速化、競争力強化に向けた大きな課題として、デジタル化の遅れが指摘される。日本の繊維業界がこれらをどう克服しようとしているのか、次回からは経済産業省の政策と共に具体的な動きを紹介していく。