政策特集宇宙視点のビジネスを 広がる衛星データ活用 vol.5

宇宙から真実を映す波長分析の名手「HISUI」。気候変動対策で脚光を浴びる理由

衛星データの世界に新たな可能性をもたらす存在として、高く注目されているのが、ハイパースペクトルセンサー「HISUI(ヒスイ)」[i]である。経済産業省のプロジェクトとして、2019年12月に打ち上げられ、国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」に搭載されている。2022年10月には衛星データプラットフォーム「Tellus(テルース)」上でも画像提供が始まり、誰でも利用できる。

HISUIは、地球が反射する電磁波を細かく識別し、陸地や海洋、大気の状態を詳しく知るための手がかりを与えてくれる。ビジネスで重要性が高まっている気候変動対策において、大きな役割を担うことが期待されている。

国際宇宙センターに取り付けられたHISUI(左端から下に向いている装置)

国際宇宙ステーションに取り付けられたHISUI(左端から下に向いている装置)

温暖化の脅威「泥炭」はどこに?地上と衛星のデータを組み合わせ、分布を緻密に特定

ペルー北東部に広がるアマゾンの湿地帯。ぬかるんだ土地を歩き回り、ところどころに検土杖(けんどじょう)と呼ばれる長い棒を突き刺しては、採取した土壌の状態を確認していく。宇宙システム開発利用推進機構で宇宙利用拡大推進本部長を務める広瀬和世氏は2016年から、国際協力機構(JICA)の事業で、ほぼ毎年のように現地入りして、こうした活動を続けている。

ペルー北東部に広がるアマゾンの湿地帯での泥炭調査の様子。棒を地面に刺し、付着した泥を確認する

ペルー北東部に広がるアマゾンの湿地帯での泥炭調査の様子。検土杖と呼ばれる棒を地面に刺し、付着した泥を確認する

小舟も使い、アマゾンの調査地域を回る。泥炭地は特有のヤシに覆われている

小舟も使い、アマゾンの調査地域を回る。泥炭地は特有のヤシに覆われている

一帯には、枯れた植物が水につかったままほとんど分解されずに堆積している「泥炭」と呼ばれる土壌が広がっている。泥炭地は熱帯のペルー、アフリカのコンゴ盆地やインドネシア、寒冷地の北極圏やシベリアに集中し、地球表面の約3%を占めるにすぎないが、固定されている炭素の量は550Gt(ギガ・トン)と、世界中の森林が貯蔵している量の約2倍に及ぶとみられている[ii]

火災や乱開発などによって泥炭地が失われれば、炭素は二酸化炭素として大気中に放出される。東南アジアで2015年に起きた大規模火災では、約2か月間で日本の年間排出量を上回る二酸化炭素が発生したという推定もある[iii]

特にペルーでは、どこにどれだけの泥炭がたまっているかは、正確につかみ切れてすらいない。湿地帯をくまなく回るのは難しい。広瀬氏が頼りにするのが、衛星データである。

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アマゾンでの泥炭地の調査は、衛星データと照らし合わせながら進められる

地球の表面では様々な電磁波が反射されている。どの波長帯の電磁波をどの程度の強さで反射するかは、表面の物質や状態によって異なり、パターンがある。ペルーの泥炭地は、特有のヤシに覆われているため、このヤシを衛星で特定すれば、広大な大地でどのように泥炭が分布しているかを推計できる。HISUIのデータを使うことで、推計の精度が飛躍的に向上することが見込まれるという。

衛星データ 宇宙システム開発利用推進機構 JSS  広瀬和世  ペルー アフリカ・コンゴ 泥炭 

衛星データを使い、ペルーやアフリカ・コンゴで泥炭の調査をしている宇宙システム開発利用推進機構の広瀬和世氏

世界トップクラスの「波長分解能」。物質のわずかな違いを識別

光学衛星の能力は主に3つの要素で決まる。どれだけ小さいモノを認識できるかという「空間分解能」、どれだけの頻度で観測できるかという「時間分解能」、さらに、どれだけ異なる波長の電磁波を分けて観測できるかという「波長分解能」がある。

HISUIは、可視近赤外から短波長赤外までの波長帯を185バンドで観測する。世界トップクラスの波長分解能を誇る。各バンドの間隔は10nm~12.5nm(※1nm=ナノ・メートルは10億分の1m)で、ほぼどんな波長にも対応する。広瀬氏は「今までの衛星で見えてなかったものが見えてくる。幅広い分野でHISUIの恩恵が及ぶ」と語る。HISUIにより、従来の10種類から30種類に増えることから、石油や、レアアースを含めた金属などの資源探査の成果が期待されている。

経済産業省は2022年、有識者や衛星事業者、ユーザー企業、金融機関の関係者らによる研究会を発足させ、HISUIに代表される多波長センサー等から得られたデータのビジネスへの活用について、議論を続けている。

偽りのエコ“グリーンウォッシュ”を看破。カーボンクレジットの信頼性を高める

これに加えて、HISUIの活躍が望まれているのが、グリーンウォッシュ対策である。

グリーンウォッシュとは、企業が環境に配慮しているとアピールしているものの、行動が実態を伴っていないこと。2022年11月、エジプトで開催された第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)で、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、「私たちは、グリーンウォッシュを決して許してはならない」と強調した。

気候変動対策に真剣に向き合わない企業に対する視線は年々、厳しくなっている。温室効果ガス排出量の大胆な削減計画を打ち出す企業も現れているが、実行には費用がかかる。一方で、排出量自体は目に見えず客観的に確認しづらいことから、グリーンウォッシュが存在しているとの不信が拭いきれていない。

HISUIならば、工場の煙突や炭鉱から放出される温室効果ガスの排出量を測定できるようになる可能性がある。形だけの削減計画であれば見抜かれる。

グリーンウォッシュの悪用が特に懸念されているのが、温室効果ガスの排出削減量を売買するカーボンクレジット市場である。自社の事業で温室効果ガスの排出量を減らしにくい企業にとっては、カーボンクレジットは脱炭素に貢献するため貴重な手段と位置づけられている。しかし、森林や泥炭の保全などで管理が行き届いていないプロジェクトに対しても、クレジットが発行されているとの見方は根強い。脱炭素に真剣に向き合っている企業や団体にこそ、お金が回る仕組みをつくっていくことが次世代の社会と経済発展にとっては不可欠である。

カーボンクレジット市場の改善に向けては、現在、欧米や中国、インドなどの金融機関、主要企業、NGO(民間活動団体)など民間部門が主導するタスクフォースが検討を進めている。日本からは、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井物産、みずほリサーチ&テクノロジー、INPEXなどが参画している。

三菱UFJ銀行産業リサーチ&プロデュース部上席調査役の橋詰卓実氏は「カーボンクレジット市場を健全に拡大させていくには、クレジットに対する信頼性を高めていくことが急務になっている。HISUIのような多波長センサーによるデータは、サステナビリティに誠実に取り組んでいることの客観的な証明に貢献が期待できるという点で、高い付加価値を生むポテンシャルがある。また、需要が伸びている(SGDsを実践する企業などに投融資する)サステナブルファイナンスにおいても、将来的に同様の役割を果たしうる」と述べた。

衛星データ カーボンクレジット市場 宇宙 三菱UFJ銀行 橋詰卓実

「衛星データがカーボンクレジット市場の信頼性確保に貢献できる可能性がある」と話す三菱UFJ銀行の橋詰卓実氏

衛星データビジネスは今後どのように発展していくのか。目を離すことができそうにない。

[i] Hyperspectral Imager SUIteの略。スペクトルは「波長」の意味。

[ii] https://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/leaflet2016/8_Peatlands_jp.pdf

[iii] https://www.nies.go.jp/whatsnew/20210715/20210715.html

※本特集はこれで終わりです。次回は「繊維が紡ぐ未来 2030年に向けた繊維産業の展望」を特集します。