【静岡発】低糖質なのに美味で満腹! 話題の「駿河湾レシピ」 を生んだ「他楽の精神」とは
竹屋旅館 静岡県静岡市
ホテルクエスト清水(静岡市清水区)を運営する竹屋旅館の歴史は、大正時代にまで遡ることができる。竹内佑騎社長(40)の曽祖母が当時、地元の海岸で飲食を提供する海の家を営み始め、昭和初めに旅館業を興した。1949年には竹屋旅館として法人化。96年にはホテルクエスト清水へ全面建て替えを行い、2015年に4代目として父親から社長業を引き継いだ。
駿河湾が間近のJR清水駅からホテルまで徒歩数分。歌川広重の浮世絵などにも描かれた景勝地、三保松原へも近い。施設は9階建てで客室数77。二つの宴会場を備え、最上階には晴れると富士山を望めるスカイバンケットも。08年にホテル内に開業したイタリアレストランの「クオモ」は、パスタを選べるランチビュッフェなどが近隣に勤める人や地元の人たちの間でも人気だ。このホテルだけで40人ほどいるスタッフのサービスもきびきびしているし、施設内外も清潔に保たれていて心地いい。
フルコース7品で糖質38.6グラム、692キロカロリーを実現
もっとも、地方の駅前ならどこにでもあるビジネスホテルの雰囲気。正直、これといった外見上の特色があるわけではない。そうしたホテルが全国的に注目されるようになったのが、糖尿病患者でも楽しめるイタリアンのフルコースを開発したこと。コースの7品を食べてもカロリー692キロカロリー、糖質38.6グラム、そして塩分2.9グラムと、いずれも一般的な分量のペペロンチーノ1皿分より少ないという。地元の病院や糖尿病専門医などと協力して、試行錯誤を重ねた末に実現した。コースに地元産の食材を中心に使い、「駿河湾レシピ」と名付けて12年から「クオモ」で一般に提供している。
しかし、分量は十分なのか? そして肝心の味は? 次々とわき上がってくる疑問を解消すべく、11月下旬、税込み3300円のランチを予約して実際に食べてみた。冷前菜の「野菜のプレッセと蒸し鶏のマリネ 塩麹のヴィネグレット」は酸味がしっかりしていて食欲を刺激する。続いて出されたのが駿河湾特産の桜海老を使ったビスク。デミタスカップに入ったビスクはしっかりとしたコクがあり、シーズンを通して提供するスペシャリテでもある。次は独自の粉の配合で通常のものより糖質60%オフを実現したパスタ。牡蠣と焼きネギのクリームソースに絡め、濃厚な味わい。パスタに添えたスダチの組み合わせも、風味を引き立てる。
そして、肉料理は牛肉のロールステーキ。イタリアの酒精強化ワインのマルサラを使ったソースがステーキの香ばしさを強調する。ふすま粉などを使い、独自に開発したローカーボパンに加え、砂糖を使っていないデザートの盛り合わせに、コーヒーか紅茶も付く。食べ応え十分。味付けもしっかりして美味しい。「低糖質」と言われなければ気づかない。むしろ、いつもより多く食べた気がする。「いかがでしたか?」と竹内社長と青木一敏料理長(53)が食後の感想を聞きに来た。「満腹なのに低糖質」という事実に戸惑ったことを率直に告げると、「実は初めて、このコースを食べた人の多くが驚かれます」と竹内社長。「カロリーや糖質を減らすことは比較的簡単なのですが、それをどう美味しく食べていただくか、常に工夫をしています」と青木料理長が補足した。メニューは旬の食材を取り入れ、3か月に1回の割合で更新しているという。
「食のバリアフリー」が幅広い客層にアピール、レシピも公開
ホテルの近くにサッカー・清水エスパルスの本拠地があり、クラブを担当する栄養士がカロリー計算をした食事を、試合前の選手のために作ることがあった。さらに10年には病院の依頼を受けて食事制限が求められる糖尿病患者でも食べられる料理を考案。それらの取り組みが駿河湾レシピの開発につながった。今では、メニュー開発で培った知識と技術を宴会用の食事やおせち料理などのケータリングにも応用している。
こうした新規事業への取り組みは、社長に就任した15年以降に本格化する。「元々、経営に関心があった」と竹内社長。地元の高校を卒業後、大阪大学経済学部で経営を学び、東京三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)を経て、竹屋旅館に入社。早稲田大学大学院商学研究科でも起業に関する知識と経験を重ね、MBAを取得した。
地域の中で、どうしたら特色のあるホテル経営ができるのか――。考えた末に取り組んだのが駿河湾レシピの開発でもあった。さまざまな場面で「バリアフリー」が叫ばれるようになったが、食の分野でもこの考えを取り入れられるのではないかと思ったという。「病気などで食事制限をしなければならない人でも気軽に楽しめる、バリアのない食事を提供できれば、結果として幅広い方に食事を楽しんでいただけるはず」。実際に、駿河湾レシピを注文する人の半数が糖尿病などを患っていない健康な人だという。
さらに、レシピ開発を含め、そのノウハウを自社だけに留めず、外部にも公開。17年には医師や栄養士、調理師らと共に「日本医食促進協会」を発足させ、医療・栄養の知識に基づいた新しい調理資格制度「メディシェフ」を始めた。オンラインや対面の講義を受け、認定試験に合格すると、初級編からプロまで様々な段階のメディシェフの資格を得られる。
「他の人を楽に」それが働くことの意味。曽祖母の教えが導くオンリーワン
こうした事業拡大の根底にあるのが、創業者の曽祖母が口にしていた「働くことの意味、それは語源である他楽(ほからく)」という教え。「他」の人を「楽」(らく・たのしい)な状態にする「他楽の精神」を企業理念とした。「食のバリアフリー化を目指して取り組んできた健康食づくりのノウハウを、地域に広げていこうと思ったのも『他楽の精神』があったからこそ」と竹内社長。19年からは静岡県と「健康食イノベーションプロジェクト」を共同で進め、取り組みの輪は大きく広がっている。
今の言葉で「社会貢献」や「SDGs」などと呼ばれる取り組みを、竹屋旅館では「他楽」として率先して取り組んできた。「他」には宿泊客はもちろん、共に働くスタッフや周辺の住民なども含む。「『他楽の精神』は、地方の中小企業として、オンリーワンの存在感を示し、ソーシャルインパクトを発揮していくための重要な考え方でもあるのです」
海の家から始まった竹屋旅館は、現社長の時代になって「第2の創業期」を迎えたと言ってもいいだろう。宿泊事業は、ホテルクエスト清水に加え、静岡県内の三島市と沼津市でも宿泊施設を運営。駿河湾レシピの開発から始まった健康食事業は、メディシェフの育成プログラムを一層充実させていく予定だという。さらに観光事業にも乗り出し、地域の観光を音とストーリーで劇場化して伝える音声ガイドを開発。静岡商工会議所や金融機関などと連携して、副業を希望する外部人材と地域企業のマッチングを推進するコンソーシアムの運営にも関わっている。
「宿が持っている無限の可能性を信じています」と竹内社長は話す。そこから派生した様々な事業をかけ算していくことで、地域に大きなソーシャルインパクトを与える。利潤追求を至上命題とするビジネスに、「他楽」という利他的な要素を取り入れることで企業が地域で輝ける――。そのヒントを、竹屋旅館の取り組みが教えてくれる。
【企業情報】
▽公式サイトhttps://takeyaryokan.com/▽所在地=静岡市清水区真砂町3-27(ホテルクエスト清水内)▽代表取締役社長=竹内佑騎▽売上高=4億円▽設立=1949年