政策特集不公正貿易とニッポンが戦う vol.5

「今こそルールの穴を埋めよ」。通商交渉の証人、豊田正和氏の箴言

日米貿易摩擦や、世界貿易機関(WTO)を舞台にした多国間協議などで、日本の通商交渉を長年引っ張ってきた人物が、豊田正和・元内閣官房参与である。各国代表団と時には激しくやり合う一方で、ともに自由貿易体制を世界に築き上げてきた。

WTOの地位低下や米中の対立激化、各国同士の連携による経済圏づくりなど、通商の世界はかつてなく複雑化している。この状況で何が求められているのかを豊田氏に尋ねた。豊田氏が強調したのは、日本の通商政策の原点となる「ルール志向」の重要性だった。

WTO 通商 豊田正和 経産審議官

豊田正和(とよだ・まさかず)
1973年通商産業省(現経済産業省)入省。商務情報政策局長、通商政策局長などを経て、経済産業審議官を最後に2008年に経産省を退官。その後、内閣官房宇宙開発戦略本部事務局長や内閣官房参与を歴任した。現在は、日産自動車の社外取締役を務めるほか、一般財団法人「国際経済交流財団」の会長でもある。

負けを覚悟していたGATTで勝利。米欧の問題点を指摘して大反響

私は1990年、通商産業省(現経済産業省)の通商関税課長になったのですが、就任後約1週間の右も左もよく分からないうちに、GATT(WTOの前身)のパネル(小委員会)に行かされました。その1年以上前から続いていた欧州共同体(EC)との間の紛争があったのです。当時は貿易黒字国の日本が勝てるわけがないと思われていて、「豊田、悪いねと、きっと君負けるよ」と言って送り出されました。私も負けを覚悟していて、「私の責任じゃないですからいいですよ」と軽く答えていました。

ところが、行ってみたら日本の勝ちだったのです。GATTというのは、客観的にルールに照らしてお裁きをする場所だと分かりました。私の通商の世界での原体験になり、「ルール志向」の考え方もそこから始まりました。

当時は貿易摩擦がかまびすしい時代でした。GATTのルールに明確に違反であっても、「輸出制限しろ」「輸入割り当てをしろ」と要求され、最後は日本の主張と足して2で割って決着するようなことがよくありました。率直に言って、それを省内で批判していたら、「だったらそういうリポートを書いたらどうか」と示唆されたのです。

通商法の大御所の松下満雄先生(当時・東京大学教授)を招いた勉強会を開き、貿易黒字か赤字かという結果ではなく、GATTのルールに照らして正しいかどうかで問題を整理しました。それを「不公正貿易報告書」という形で発表したのです。

不公正貿易が疑われる事例はアメリカが一番多く、欧州がその次。私自身は淡々とやったのですが、報告書は日本の新聞各紙だけでなく、フィナンシャルタイムズやワシントンポストが取り上げて、大きな反響を呼びました。最初の3日間くらいは一種の英雄でしたが、その後は、「誰だ、こんなのを書いたのは」と犯人探しのようになりましたけど。

豊田正和 不公正貿易報告書 1992年版 WTO ガット

豊田氏が中心となってまとめた不公正貿易報告書(1992年版)。批判を受けるのが当たり前だった貿易黒字国の日本が逆に、各国の問題点を指摘した。米国でも報じられ、物議を醸した

おかしいものはおかしい。橋本龍太郎を動かした意外なヒトの一言

ルール志向の考え方は徐々に浸透していきました。

1995年には米州課長として、橋本さん(龍太郎通産相、当時)とともに、ジュネーブで日米自動車・部品交渉の大詰めの協議に参加していました。アメリカは通商法301条に基づく制裁措置を発動し、高級車に対し100%の関税を課すとして、日本に自動車市場の開放などを迫ってきました。でも、調べてみたら、ワシントンのローヤー(弁護士)たちの95%は、パネルになったらアメリカは負けると言っていたのです。日本は、これをWTO提訴したのです。

東京にいた五十嵐(広三)官房長官が官邸での会議で、「橋本さんに伝えて欲しいのだけれども、今回はうちの家内も日本は降りてはいけないと言っている」と話したというのです。これを聞いて、私は感激しました。市井の方も含めて、国内世論がおかしいものはおかしいというべきだとの雰囲気になったからです。交渉にとっても大きな力になり、アメリカの顔がつぶれない工夫はしましたが、対日制裁を取り下げました。

TPP+日EU・EPAで模範を作る。それがWTOを変えていく

ルール志向の大切さは今でも、全く変わってないんじゃないでしょうか。少なくともルールがあるところでは、各国ともしっかりとルール志向を通しています。例えば、WTOの紛争解決手続きに持ち込んだ件数を見ると、日本は30件近くですが、アメリカやEU(欧州連合)は100件を上回ります。中国も使いこなしています。

現在求められているのは、ルールを進化させることです。私も以前はWTOにおいて、緻密なルールの世界を作るべきだと考えていましたが、全加盟国のコンセンサスが必要となる今の方式では無理だと思うようになりました。ルールの穴は、EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)などで埋めていくのが有効でしょう。

例えば、CPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定、TPP11)と日EU・EPAを連結させるのです。レベルの高い合意ができる可能性があり、他の国が入らないと損になるという状況を作るべきです。アメリカが加われば、世界のGDPの約6割に達します。WTOに対抗するのではありませんが、一つの模範になりえます。むしろ、WTOルール自身を進化させていくことにもつながるでしょう。

アメリカが主導するIPEF(インド太平洋経済枠組み)は、中身がまだはっきりしませんけれども、関税は議論の対象外となっていても、ルール志向にしていくという点では、否定的に見る必要はありません。日本は積極的に関与していくべきです。

WTO オコンジョ事務局長

WTOはオコンジョ事務局長(右から2人目)のもとで、新たなルール作りに向けた各国間の調整が加速することが期待されている©WTO/Jay Louvion

中国のTPP参加は大歓迎。しかし、ルール順守はしっかり見極めを

企業の方々が今、大変になっているのは、経済活動の相当程度で中国が相手になっていることです。中国はWTOには加入していますが、WTO政府調達協定(※)を結んではいません。多くの国が協定に入っていますから、イコールフッティングとはいえません。ルール違反とは言えないギリギリのスキマのところをうまく使っています。

※WTO政府調達協定・・・政府や地方政府が主体となる調達で、外国製品を差別しないことなどを求めている。WTO加盟国の中でも、別途に締結した国のみが拘束される。

豊田正和 WTO TPP

豊田氏は中国のTPP参加意向を歓迎する一方、同じルールを守ってもらう必要性を強調した

デジタルについては、OECD(経済協力開発機構)やプルリ(有志国)でルール作りが議論されています。しっかりとしたルールにするとともに、中国には「世界第2位の経済大国なんだから、入らないわけにいかないでしょう」と説得しなければなりません。

その点で、中国がCPTPPに入る意向を示しているのは、大歓迎です。ただ、「これこれのルールに合意しないと、入っていただくわけにいかない」と明確に言うべきです。

中国のWTO加入は、認められるまで約15年かかりました。米欧や日本の要求をすべて認めたのではなく、そろそろ入れてあげるかみたいな感じで、最後は妥協したわけです。中国は、最早、世界第二の経済大国ですから、今回はそういう妥協をせずに、また15年近くかかっても仕方ないというつもりで、ルールに十分コミットしているかどうかを見極めるべきでしょう。

※本特集はこれでおわりです。次回は「知財で挑むESG経営」を特集します。