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Z世代へのリーチ力を強みに日本のeスポーツの裾野を広めていきたい

日本初の女性プロゲーマー チョコブランカ(忍ism取締役 百地裕子)さん

 直接市場として2018年の44億円から2022年には91億円が見込まれるまで急成長を遂げているわが国のeスポーツ(KADOKAWA Game Linkage調べ)。高校単位の全国大会が開催されるなど、その裾野は広がりつつあるものの、eスポーツ大国のアメリカと比べると、その規模にはまだ大きな隔たりがある。日本初女性プロゲーマーで、本場アメリカの大会でも数多く出場したチョコブランカさんに、自身の活動歴や、日米の相違、日本でeスポーツを広めていく上での課題などについて、お聞きした。

インターネット配信がきっかけで米プロチームから誘いが

―――子どものころから、ゲームはお好きだったのですか。

 自然に囲まれた環境で育ったので、子どものころは、家の周りの田んぼでザリガニやオタマジャクシを採ったりして遊んでいました。一方で、ゲームも大好きで、4つ年下の弟と一緒に協力型のゲームをよくしていたことを覚えています。ちょうど小学3年生の時にポケットモンスターの赤と緑のバーションが発売されて、2人で夢中になって遊んでいました。

―――プロゲーマーになったきっかけは何だったのでしょう?

 中学高校で陸上競技に打ち込み、やり投げで県トップの成績を残せたことから、大学は体育学部に進み、陸上部に所属しました。ところが、全国のトップクラスが集まる大学だったので、「これは自分には太刀打ちできない」と思い、1年で辞めました。「上には上がいる」と実感しました。人生初の挫折でした。

 気持ちを切り替えて、社会勉強のために大学の近くの定食屋さんでアルバイトを始め、同時にゲームセンターに通って、対戦型のゲームをするようになりました。それまでは家で1人、もしくは家族とで楽しんでいたのですが、ゲームセンターだと、いろいろな職業とか立場の人と対戦できるのですよね。それがとても楽しくて、どんどんはまっていって、大会に出るようになりました。ちょうど「ストリートファイターⅣ」が人気を集めていた時期でした。一度、自動車ディーラーに就職したものの、土日が勤務で、大会に出られないので、半年で辞めて、アルバイトをしながら、ゲームをする日を送っていたところ、インターネット配信がきっかけで、アメリカのプロチームから声がかかったのです。

プロゲーマーになった経緯について話すチョコブランカさん。

最初は断るもオーナーの一言でプロ契約を決意

―――いまもプロゲーマーとして活躍しているマゴ選手との2010年の対戦で、歴史的な大番狂わせだったそうですね。

 やり投げをしていたときも本番に強くて、ゲームでも格上の相手に勝つことが、ときどきあったのです。マゴ選手との対戦のときは、一か八かの大勝負に出た手が見事にあたって、勝つことができました。飛び上がって、喜びましたね。実は、私自身はプロになりたいと思ったことは一度もなくて、大学卒業後から付き合っていた夫の「ももち(百地祐輔)」をプロにしたくて、一緒に活動していました。

 結果、夫と2人でプロ契約を結ぶのですが、最初、私は断ったのです。女性の中では強くても、男性相手との対戦に自信がなかったので。大会には男女の区別がないですからね。実際、夫は世界大会で2度優勝していますが、私はアメリカのプロチームにいた7年の間で、ベスト8に一度なっただけです。すると、チームのオーナーの方が、「それはわかっている。ただ、女性であるあなたにしかできないことがあるはずなので、プロになってほしい」と言われて、プロになる決意をしました。

同じプロゲーマーの夫、ももちさんと。

賞金も盛り上がりも段違いだったアメリカ

―――日本初の女性プロゲーマーの誕生ですね。アメリカを始めとしたeスポーツ先進国の大会を経験されて、どのような感想を抱かれましたか。

 当時、日本では、プロゲーマーと言っても、「なに?」という反応で、賞金の出る大会とかもなかったのですが、アメリカだとラスベガスのホテルのコンベンションホールで世界大会が開かれたり、高額の賞金の出る大会が頻繁にあったりして、日本とは段違いでしたね。よく、日本とアメリカのeスポーツの盛り上がりの違いについて聞かれるのですが、人気を集めているゲームの種類の違いが、その理由のひとつではないかと思います。そのころ日本では、協力型のゲームが人気で、アメリカでは対戦型が主流でした。大会として成り立ちやすいのは対戦型ですね。

―――2015年に夫のももちさんと一緒に「忍ism」を設立し、2019年から主たる活動の場を日本に移されました。会社設立の狙いは何でしょう?

 2011年にプロになって以来、「いつ契約を打ち切られるだろう」という思いが、いつも心の中にありました。いつまでもプロでいられないので、セカンドキャリアについて、ずっと考えていました。もともと私は、ゲームをプレーするだけでなく、大会を運営したり、コミュニティを作ったりすることが好きで、その過程で夫と知り合いました。eスポーツを日本で盛り上げていくためには、後進の育成も欠かせないと思い、それらを目的とした会社を設立することにしたのです。

アメリカの大会に出場した際のチョコブランカさん。

後進育成のためにさまざまな成長の場を提供

―――具体的には、どのような活動をされているのでしょうか。

 各種大会の運営やYouTubeやTwitch配信などを通じて、eスポーツの認知度を高める活動を行うと同時に、後進の育成指導も行っています。これまで2度、プロゲーマーを目指す人を公募して、100人以上の希望者の中から3人を選んで育成してきました。海外の大会を肌で感じてもらうことが大事なので、旅費を補助して私たちの試合に帯同してもらったり、経験を積んでもらうために、プロゲーマーとの対戦をセッティングしてあげたり、さまざまな成長の場を提供しています。配信などで、人前で話すことが多いので、きちんと話ができるように、そのための訓練もしています。小さいころから、教員志望で教員免許も取っているのですが、やはり人を育てるのはむずかしいですね。ただ、3人のうちの1人が、プロゲーマーとして独り立ちして、成績を出してくれているので、やりがいはとても感じます。

日本なりにアレンジした展開が必要

―――今後、日本でeスポーツを盛り上げていくために、どのような役割を果たしたいとお考えですか?

 いまでは高校の全国大会が開かれるなど、私がプロになったころには考えられないほど認知度は高まっているのですが、プロとして、それだけで生活しているのは、ごく一握りの選手で、その数が増えるのにはまだ時間がかかるのではないでしょうか。先ほどもお話ししたように、日本と海外では人気ゲームのタイトルを始め、事情がいろいろ違うので、海外のeスポーツにおける市場展開をそのまま日本に取り入れるのではなく、日本なりにアレンジしていく必要があると思っています。

 私も参加した経産省の検討会のまとめにあるように、eスポーツはZ世代へのリーチ力が強いので、そうした世代に興味を持つ企業との橋渡しも行っていきたいですね。実際に、ゲーム関連企業以外の企業での関心が高まっていることを実感しています。アメリカだと、eスポーツ選手の推薦枠とか奨学金制度があるそうです。日本もそうなってほしいですね。そのためには、eスポーツの裾野の拡大が大事で、私たち夫婦がこれまで続けてきたコミュニティ作りの活動を、さらに広めていきたいと思っています。

―――ありがとうございました。

オフィスに併設のスタジオにて。

【プロフィール】
チョコブランカ 本名・百地裕子。1986年生まれ。兵庫県出身。名古屋で活動中の2010年、当時最強といわれたマゴのサガットを倒したことがきっかけで、米プロチーム「Evil Geniuses」からスカウトを受け、のちに夫となる「ももち」とともに2011年、プロ契約を結ぶ。2016―17年は、米プロチーム「Echo Fox」に所属。2015年に、忍ism(代表取締役・百地祐輔=ももち)を設立し、取締役を務める。2022年、「令和3年度コンテンツ海外展開促進事業(Z世代におけるeスポーツおよびゲーム空間における広告価値の検証事業)」検討会のメンバーを務める。名前のうち「チョコ」は、飼っていたうさぎの名前が由来で、「ブランカ」は、ストリートファイターのキャラクター。