政策特集RCEPの世界へようこそ vol.6

国際秩序はどう変わる 協定の地政学的意義とは

政策研究大学院大学の田中明彦学長が語る「日本の役割」


 RCEPは国際経済秩序をどのように変えるのか。TPPを離脱した米国の今後の方向性は。RCEPの地政学的な意義と今後の日本の役割について、政策研究大学院大学の田中明彦学長が解説する。

経済秩序作りにおいても意義

 ―米中対立やコロナウィルス等を踏まえ、保護主義が高まる中、RCEPの意義を教えてください。
 「アジア地域における多国間経済の枠組みは、1989年のAPECから始まりました。1998年のアジア通貨危機を経てASEAN+3(日中韓), ASEAN+1(日ASEAN、中ASEAN、韓ASEAN、印ASEAN、豪州NZ・ ASEAN)という動きが出て、2010年までにASEAN+1の自由貿易協定は整備されます。ただ、これらだけでは、ASEAN以外の国々のつながりが不足しているため、ASEAN+3に豪州NZ及びインドを加えたASEAN+6も必要という主張がでてきました。インドは最終的には参加しませんでしたが、このASEAN+6が今日のRCEPにつながり、昨年署名されました」

 「一方でアジア太平洋地域において、先進的な経済連携の枠組みを作ることを目的としたTPPが発達しました。TPPの参加国は限られていますが、日本は両方に参加し、主導的な役割を果たしてきました。RCEPの意義は貿易・投資面での意義だけではなく、この地域における知的財産や電子商取引といった共通のルールが整備されたという点で、経済秩序作りという観点でも重要な意義を持ちます」

インドや中国、米国の動向をどう見る

 ―RCEPからインドが離脱した影響をどのように見ていますか。

 「インドの離脱は大変残念です。日本としては、インドとの二国間関係だけではなく、インド太平洋構想、インドと東アフリカとのつながりといった観点から、インドを取り込み、インド太平洋地域における経済秩序構築に主導的な役割を果たすべきです」

 ―RCEPを中国中心の枠組みとする見方もあります。
 
 「RCEPのような経済連携協定を、特定の国が政治的な影響力を振るうための枠組みと捉えるのは不正確な考えです」

 「国際政治学の世界では、政治力の強い国は多角的な枠組みに入りたがらないという見方があります。枠組みがなければ、政治的に強い国はそれぞれの国を個別に黙らせることができますが、多角的な枠組みに入りますと、共通のルールで自分たちの行動が縛られることになるからです。
 わかりやすい例が米国のトランプ前政権です。トランプ前大統領がTPPに入るのを嫌がったのは、TPPに入ることによって、アメリカファーストを貫けなくなる側面があったからです。
 もちろん、多角的枠組みに入ることは、大国にとっても長期的にはメリットがあります。共通のルールを設けることは、レベル・プレイングフィールド(公平な競争条件)が実現されたマーケットで競争することになり、大国に利益がもたらされる可能性は大きくなります。多くの場合、政治力の強い国は強い経済力を持ち合わせています」

 「とはいえ、多角的な枠組みは、その中での政治的に強い存在を拘束する働きがあることは間違いありません。ルールに基づいて行動する枠組みに、中国が今回参加したことは、非常に意義があります」

 ―米国ではバイデン政権が誕生しました。トランプ政権からの軌道修正は簡単ではないはずです。アメリカの今後の方向性というのは、どのように見ていらっしゃいますか。

 「短期的に、米国のTPPへの復帰はあまり期待できないのではないでしょうか。バイデン政権が、国際関係への対応でトランプ政権と大きく違う政権であることは間違いありません。広い意味での自由貿易には賛成すると見ています。具体的には、旧来のアメリカの国際協調主義路線に沿った政策を追求するはずです。ただ、民主党は伝統的にアメリカの労働者の利害を非常に重視してきましたので、極端な自由貿易路線に舵を切ることも考えにくいのが実情です。バイデン大統領には、トランプ政権誕生時に失った支持層を取り戻したいという思いもあるでしょう。そうなると、貿易、通商協定の枠組みでも労働者の利益や雇用、就業機会を非常に重視することはトランプ政権と変わりません」

 「ただ、米国にはより大きな視点で世界を捉える役割を私は期待しています。TPPやRCEPよりも本来は上位にあるはずのWTOという世界全体を包み込んだ貿易の仕組みが、トランプ政権の頃にほとんど機能しない状況に陥ってしまいました。重要な機能である紛争解決メカニズムも失ってしまっています。バイデン政権には国際社会と協調しながらWTOの機能改善に取り組んでもらいたいです」

分断の構図は変わらない

 ―米国の短期での軌道修正が難しいとなると、中国との対立、世界的な分断の修復はしばらくは難しいと考えるべきでしょうか。

「結論から先に述べますと、簡単には変わらないはずです。米国と中国、あるいは中国とその他の自由主義的な民主制の国々との間の亀裂、考え方の違いは、構造的なものになっているという側面があります。もちろん、対立の緩和が難しいからといって、中国とそれ以外の国々との間の経済を分断させていいということにはなりません。アメリカにとっても日本にとっても、中国は最大の貿易相手です。中国への投資額においても日本もアメリカも巨大です。対立は一面で継続するけれども、安全保障に影響を与えない範囲であれば、経済関係を推し進めるべきです」

 ―今後の国際社会に必要な枠組みをどのように考えますか。そして、その中で日本の果たすべき役割は何でしょうか。

 「さまざまな貿易の枠組みを組み合わせていくことが必要です。重層的な自由貿易と経済連携、それからルールを重視する国際秩序を構築する視点が求められます。近年、多国間の枠組みや共通のルール整備において、日本は国際社会で高い評価を受けています。日本は今後もそのような枠組みやルール造りを積極的に主導するべきです。そうすることにより、中国に対して行動を自制してもらうことにもつながってきます。その観点で、RCEPにおいても各国が協定整合的な運用を行っているかをモニタリングする手法やメカニズムを、ASEANのシンクタンクなどと連携して作っていくことも一案でしょう」

 「国際社会すべてに当てはまるようなルールを作ることが世界の通商秩序にとって最も良いことは間違いありません。その理念のもと、GATT(関税および貿易に関する一般協定)ができ、それを発展させてWTOを作ってきました。ただ、現実にはGATTもWTOも、交渉がまとまらない状況になっています。当時は、二国間の自由貿易協定や複数国家の自由協定はWTOの理念に反するから望ましくないという指摘も少なくありませんでしたが、高い理想を掲げた枠組みを全ての国には適用できません。打開策として、ルールを守れる国だけでまず枠組みを作って、そこに、後から加入してもらう方法が現実的になりました。その結果、世界にはTPPやRCEPのようにいくつかの枠組みの併存状況が続いているというのが今日の状況です」

 「TPPやRCEPを始めとして、それ以外でも多国間の枠組みもつくっていく。例えば日本が、RCEP交渉から離脱したインドのサプライチェーン構築を支援する枠組みを考えるのもそのひとつになるでしょう。そして、それらの枠組みの間に相互矛盾ができるかぎり起きないようなルールを作る。そうした積み重ねによって、WTOが理想とした枠組みが実態として最終的にでき上がる可能性もあります。もちろん、すぐにそこに到達しないのが現実かもしれませんが、諦めてはいけません。一歩でも二歩でも進めるように努力する。その旗振り役こそ、日本の担う役割ではないでしょうか」

 田中明彦(たなか・あきひこ) 米マサチューセッツ工科大大学院博士課程修了。東京大学東洋文化研究所所長、東大副学長、国際協力機構(JICA)理事長を歴任。2017年4月より現職。著作に『新しい「中世」』『ワード・ポリティクス』など。