地域で輝く企業

はんだを主力に83年 千住金属工業 すべては「社会のために」【動画】

一括りにされがちな「はんだ」だが、線状、ペースト状、棒状など形状はさまざま


 東京の下町・足立区千住。隅田川沿いに知る人ぞ知る、世界屈指のシェアを誇るメーカーがある。千住金属工業。家電から半導体、自動車まで、同社のはんだは広く使われている。日本企業のみならず、世界のトップ企業も同社のはんだを求める。折り紙付きの技術力の源泉には、すべては「社会のため」を貫く、ぶれない経営があった。

顧客の声に寄り添う

 電子回路の接着剤の役割を担う「はんだ」の歴史は古い。金属をくっつけるときに溶かして使う合金として約5000年前に生まれたとされる。
日本の製造業を支えてきたはんだは、テレビブームに沸いた1960年代に需要が急伸し、多くの中小企業が市場に参入した。ただ、今でもその名を残す企業は多くない。
 千住金属工業は1938年に鉛加工品メーカーとして設立。すぐさま、はんだ市場に飛び込み、市場での存在感を着実に高めてきた。佐藤有香取締役は自社の強みを「お客さまの要望に応えること。そこに尽きる」と語る。「企業は自分たちで市場を切り拓こうとして失敗しがち。顧客の声に寄り添って、どのようにして答えるかに注力してきた」と振り返る。
 顧客の要望に全力で応えることで、結果として、顧客の事業が軌道に乗れば、仕事は増える。そして、有望な顧客は時代とともに主力事業も変わる。縁の下の力持ちの存在として欠かせない千住金属工業の事業領域も広がっていく。

「あそこに行けば欲しいはんだが手に入る」

 家電からパソコンなどのデジタル機器、自動車、そして最近はスマートシティ関連。はんだのリーディングカンパニーとして、常に先端産業と伴走し続けてきた。
そのための、開発投資は惜しまない。栃木事業所のみならず本社にも開発部隊が置かれていて、最新の研究設備が並ぶ。「千住金属工業に行けば欲しいはんだが手に入る」。大手からの開発案件の持ち込みは絶えない。「いろいろと持ち込まれて期待にどうにかして応えようとすることで、会社の成長力も早まる」(佐藤取締役)。
 開発力を示す象徴的な存在が、大手企業との共同開発で誕生した鉛フリーはんだだ。
はんだの長い歴史は鉛とともにあった。
鉛入りはんだは、低い温度で接着が可能で電気をよく通すため、さまざまな機器に長く使われてきた。

はんだ付けされた基板。「電気を通す糊」としてモノづくりに不可欠だ


 その光景が変わってきたのが1990年代。米国で塗料やはんだで鉛使用を規制しようとする動きが広まり、日欧でも議論が盛んになった。
 同社では以前より、鉛による環境問題に強い危機感を抱いていた。鉛を使用せず実用性に優れた「スズ・銀・銅」系の鉛フリーはんだを世界に先駆けて開発。特許も取得した。これを多くの企業にライセンス供与することで、環境保全に大きく貢献。世界中で広く使われる鉛フリーはんだとなった。さらには米国系企業の厳しい技術要求もクリア。今では米インテルのサプライヤー表彰の常連である。

受け継がれる理念

 「社会の役に立つ」。千住金属工業の成長の礎を築いた五代目社長でもある故・佐藤千壽名誉会長が1960年に定めた経営理念だ。それから約半世紀、同社にはその理念が脈々と受け継がれてきた。鉛フリーの商品開発や顧客第一主義にとどまらず、会社の活動全てが社会のためを意識しているといっても過言ではない。
 同じようなスローガンを掲げている企業は少なくないが、同社ほど有言実行している企業は珍しいだろう。

佐藤有香取締役。創業社長のひ孫にあたる


 例えば、環境配慮。はんだのリサイクルには40年以上前から取り組んでいる。今では製品のリサイクルやリユースは当たり前になっているが、当時はリサイクルの概念は浸透していなかった。関連会社でスプリンクラーを手がける千住スプリンクラーは市場で高いシェアを握るが、苦しい経営を強いられた時期もあった。収益性で考えれば事業の撤退や縮小を決断してもおかしくない時期もあったが、防災という点で世の中の役に立っているという判断で事業を止める検討は一度もなかったという。
 また、研究部門が独立して1972年に設立されたグループ会社の産業分析センターは材料や商品に含まれる有害物質の分析調査に長年取り組んできた。近年は持続可能な社会に向けた活動(サステナビリティ)に力を入れ、土壌汚染調査などの環境分析なども手がける。

環境分析などを手がけるグループ会社の産業分析センター


 他にも障がい者雇用に早くから取り組むなど、同社の歴史を振り返ると、時代を先取りした取り組みが目立つ。
 2010年代に入り、米系企業は取引先にも環境対応やSDGs(国連の持続可能な開発目標)への取り組みを求め始めている。サプライヤー選定の条件にもなっているが、「特別なことはしていない。以前から取り組んできたことが今の社会で評価されるようになってきたのでは」と語る。
 はんだを主力に、企業規模は大きくなったが、気負いはない。「コツコツ一歩一歩。お客さまのご要望にお応えし続けていきたい」(佐藤取締役)。活躍の場が世界に広がっても、顧客に寄り添い、ものづくりを支える姿勢は変わらない。


【企業情報】
▽所在地=東京都足立区千住橋戸町23番地▽社長=鈴木良一氏▽創業=1938年▽従業員数=1050人