政策特集レジ袋有料化 その先の未来 vol.12

新たな政策手法として脚光 「ナッジ」の世界を語り合う

三菱UFJリサーチ&コンサルティング小林庸平主任研究員vs杏林大学斉藤崇教授【前編】

斉藤教授(左)と小林氏


 7月から始まったレジ袋有料化に先立つ形で実施された試行実験では、「ナッジ」と呼ばれる行動経済学の手法が用いられた。一方的な働きかけとも純粋な自発性とも異なるマイルドな政策手法は、新型コロナウイルスの感染予防対策でも注目されることから、その言葉を見聞きする機会が増えた人も多いのではないだろうか。理論や可能性について経済と環境、双方の視点から二氏が語り合う。

レジ袋の辞退率に差が

 三菱UFJリサーチ&コンサルティング行動科学チーム(MERIT)リーダー主任研究員 小林庸平氏(以下、小林)

 今年1月から2月にかけて、経済産業省をはじめ霞ヶ関の庁舎内にあるコンビニエンスストアでは、こんな実証実験が行われました。レジ袋を配布することを前提とし、不要な場合のみ消費者に辞退の意思を示してもらう店舗と、逆にレジ袋を配布しないことを前提とし、必要な場合はその旨を示してもらう店舗。両者の間では消費者の行動にどのような違いがあるかを検証したものです。結果は、必要な場合のみ申告するケースの方がレジ袋の辞退率が高かったとのことです。今回の実証実験で用いられたのは「ナッジ」と呼ばれる手法です。

ナッジをめぐる国内外の動向に詳しい三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林氏

 杏林大学総合政策学部教授 斉藤崇氏(以下、斉藤)

 罰則や経済的な負担を求めたり、あるいは純粋な自発性だけに期待するでもなく、選択の余地を与えながら合理的で望ましい行動へ促すナッジの手法は、私が専門とする環境政策の観点からも注目しています。人間が合理的に判断すると仮定するならば、同じような結果になるはずなのに、実際は、「レジ袋は要りません」と断るより「レジ袋を下さい」と申し出る方が心理的なハードルが高く、(レジ袋辞退という)行動変化につながっているわけです。行動経済学の知見によると、私たちの日常生活は反射的・習慣的な思考過程と、反省的・理性的な思考過程から構成されるそうですが、ナッジはこうした習性を考慮した発想ですよね。

政府の廃棄物・リサイクル小委員会のほかレジ袋有料化検討WGの委員なども務める斉藤教授

望ましい行動「そっと後押し」

 小林 人の行動ってそう単純なものではないですよね。経済学的には「現在利益」と「将来利益」を勘案して個人は最善の策を選ぶことを前提にしていますが、現実には必ずしもそうではない。例えば、自身の長期的な健康(将来利益)を考えれば定期的に運動した方がよいと分かっていたとしても、今日は疲れたからいいやと今が楽(現在利益)であることに流されることもある。ナッジとは、このようにままならない人間が、望ましい行動をとれるよう「そっと後押し」してあげる手法だと理解しています。

 【「ナッジ」は「それとなくほのめかす、そっと肘で押す」の意。米国の法学者サンスティーン氏と経済学者セイラー氏が2008年に提唱し、17年のノーベル経済学賞受賞でさらに注目を集め、各国政府が政策に取り入れている】

 小林 米国や英国では提唱者本人をチームに迎え、政策としての有用性をアカデミックに証明しながらトップダウンで推進してきたところに特徴があります。私は5年ほど前に英国の「行動インサイトチーム(BIT)」(キャメロン政権下で発足したナッジの推進組織)を訪問したのですが、当時は日本人の視察は初めてだと言われるような状況でした。その後、日本でも環境省や経産省も組織を立ち上げ、2019年には政府の成長戦略にも活用方針が盛り込まれました。

レジ袋の辞退率向上へ向けた有効策を探るため経済産業省内のコンビニエンスストアで行われた実証実験


 斉藤 人々の選択の自由を残しつつ、望ましい方向にそっと後押しする。こうした着想は公共政策において広がりつつありますね。日本でも東京・八王子市がガン検診の受診率向上にこうした発想を取り入れていることが知られていますし、今回の新型コロナウイルスの感染予防では、諸外国のように外出禁止や都市封鎖といった厳しい措置を講じるのではなく、かといって一人ひとりの自主性だけに委ねるだけでもなく、さりげなく働きかけることで、望ましい行動するよう促す背景にはナッジの考え方があるとの見方もありますよね。私が専門とする環境政策でも経済モデルに基づいて廃棄物処理やリサイクルシステムといった枠組みを提供する一方で、実際の人々の意識や行動変化にどう働きかけるかがカギとなることからナッジ手法には関心を寄せています。とはいえ、何もかもナッジで解決できるわけではない。前提とする合理性や、そもそも人々の判断材料となる情報が正しいものなのか留意すべき点は多々ありますし、あくまで人々の考え方は多様であり、それぞれの優先順位があって当然と考えます。

政策届ける「ラストワンマイル」で効果

 小林 同感です。私は政府が政策手段としてナッジを活用する意義のひとつは、政策の受け手である国民や企業などに思いを馳せることにあると考えています。それによって分かりやすく発信することや、効果的に政策を実装することにつながり、「ラストワンマイル」において効果を発揮する点にあると考えています。

 斉藤 なるほど「ラストワンマイル」。確かに伝え方は重要ですよね。

 小林 行政側がナッジに注目する背景には、人間の思考過程や意思決定の際の癖のようなものを考慮しながら政策を実施するところに斬新さを感じていることもあると思います。

 斉藤 人々へのインセンティブを大きく変えることなく、それぞれの行動を予測可能な形で変える「スマート」な手法と映るのでしょうね。ただ、それをあからさまにやってしまっては抵抗感を覚える人もいる。その特性を正しく理解した上で、どう活用していくかがこれからの課題でしょう。

 ※ 後編に続く。