被災地に物資を確実に届ける。現場で感じた復興への思い
(左から順に)村中 真、波多野 彩花、新井 真俊、星合 健
経済産業省という複雑な組織を「解体」して、個々の部署が実施している具体的な政策について、現場の中堅・若手職員が分かりやすく説明する「METI解体新書」。
今回は、令和6年能登半島地震の発災直後に、経済産業省から現地に入り、自治体と連携して避難所へ物資を届ける業務に対応した職員4名に話を聞きました。
物資輸送拠点に滞在、災害対応業務のリレーを繋ぐ
――― 能登半島地震発災後の業務について、最初に現地入りした村中さんから順番にお話を聞かせてください。
村中:私は金沢市出身で、発災日は帰省中でした。初詣に行く途中に地震が起きましたが、小さい頃によく行った能登が被災して大変な状況になっていることがわかり、地元のためにも何とかしなければと思っていました。
その後、災害対応のために経済産業省から被災地へ職員を派遣するという話を受け、4日に金沢市にある産業展示館に向かいました。産業展示館は、物産展示会などに利用するための施設ですが、発災後は全国から緊急物資が送られる拠点となりました。届けられた物資を、県職員の方と配送計画(配送物資・配送先)を作成し、トラックに載せて避難所に送り届けます。
私が現場に入った際は、人命救助を第一に考え、とにかく水や食料をいち早く避難所へ届ける必要がありました。物流の効率的なシステムを考える時間もなく、とにかくトラックに詰められるだけ詰める、という状況です。また、ちょうど寒波の影響もあり、暖房効果のあるものも至急送る必要があったので、毛布やジェットヒーター、カイロなど、送れる分を全て送るよう手配しました。緊迫した状況で、まだまだ被害状況の全容がわからない時期でしたが、とにかく少しでも被災者の方々が避難所であたたかく過ごせるよう、確実に物資を送ることだけを考えていました。
波多野:私は村中さんから引継ぎ、10日から現地に入りました。発災から1週間が過ぎ、少しずつ避難所のニーズも汲み取った上で、適時・的確に物資を送る必要が出てきていました。例えば、食料だけでなく、避難所での衣類の洗濯や、学校再開に向けて必要な物資を送るといったことです。実際には、経済産業省で毛布や、段ボールなどの製品を扱う業界を担当している部局を通じて依頼・調整し、御協力いただける事業者の皆様から物資を産業展示館まで送っていただきます。その際、被災地の方々が「サイズが大きく避難所に入らない」「組み立てが大変で負担になる」とならないよう、大きさや組み立て方について事前に確認をお願いしていました。また、産業展示館から各市町に物資を送る際には、物資を受け入れる避難所や倉庫にスペースがあるか、受け入れ体制は確保できているか、様々な状況を考慮した上で、関係者とコミュニケーションをとりながら柔軟に対応する必要がありました。物資を送った後も、被災者の方の生活が本当に改善されているか、各市町で災害対応をしている経済産業省の職員からの情報や、ニュースで流れる映像などを通じて状況を把握し、調整を行いました。
並行して、業務改善も行いました。当初、産業展示館には、全国からあらゆる物資が次々と運び込まれ、あちこちに散在している状況でしたが、事業者の方々のご協力の下、整理され、動線が改善されていきました。県や、トラック協会、物資輸送・システムを担われる事業者の方との打ち合わせにはできるだけ参加して全体像の把握に努めるとともに、被災者へスムーズに物資を送り届けるためにはどのような方法がベストか、関係者と知恵を出しながら日々改善に努めました。
避難所の生活の質を高めるには?関係者と密に連携を
新井:私は波多野さんから引継ぎ、17日から現地に入りました。経済産業省は、毛布や段ボールベッド、おむつなど、様々な物資を持つ産業を担当しています。私がこの物資輸送の拠点となっている場所で対応することで、いかに被災者の方に必要な物資を円滑に送ることができるか、その要となる役割を担っていると認識し業務に取り組んでいました。
被災地では、時間が経つにつれての様々なニーズが顕在化し、事業者の皆様の協力をもらいながら現地に送る物資の種類が増えていきます。産業展示館に物資を保管する限度がある中、できるかぎり細かいニーズにも対応していけるよう、些細なことでも関係者と相談するよう心がけ、密に連携して対応しました。また、災害対応は臨機応変な対応が求められることが多いため、自分なりに改善点を考え、積極的に意見を出しながら、しっかりと周りの人と調整し行動することが大切だと感じました。
実際に現地に入り、そこで生活をしていると、地元の方ともお話しする機会がたくさんあります。災害対応への励ましの言葉をいただくこともあり、こちらがパワーをいただきました。地元の方の様々な思いを受けて、物資を必要としている方にしっかりと届けなければいけないという思いを強くしました。
星合:私は新井さんから引継ぎ、26日から現地に入りました。昨年、初めて金沢を旅行したばかりでしたので、地震・津波の速報を見たときにかなりショックを受けました。国家公務員としていつの日か災害対応をするのだろう、その際は自分も役に立ちたい、と漠然と考えていたものの、実際に災害対応に当たるのは今回が入省後初めてでした。私が行った時期は、発災当初に比べれば、多少落ち着いてきたフェーズだったはずですが、それでも実際に現場で起こっている混乱などは想像以上のものでした。自分が対応した期間では、避難所にいる方々の生活の質を高めるにはどうしたら良いか、多様化するニーズにきめ細やかに対応するためにはどうしたら良いか、現地や省内の関係者と常に相談し、日々改善を重ねていきました。また、災害対応は職員が入れ替わっても、即座に業務を行うことが重要です。この観点から、オペレーションをなるべくシンプルにすべく、災害直後からの業務を見直し、持続可能な支援としていけるような仕組み作りにも取り組みました。
復興を見据え、石川県に思いを寄せる。
――― どんな思いで業務に当たっていましたか?
村中:ここ数年で、能登半島は何度か地震が起きています。数年前の地震後に建て直した家が、今回の地震でまた崩れてしまったという方もいました。大きな被害が出てしまったことは大変残念で、今後どのように地元を復興していくか、思いを巡らせながら業務を行っていました。現地では、被災者の方々が少しでも避難所で快適に過ごせるよう、確実に物資を送ることだけを考えていましたが、今後は復興に向けた取り組みにも積極的に関わっていきたいと思っています。
波多野:今回、現地で災害対応を行ったことで、親戚や友人など、想像以上に数多くの方から石川県に対する応援のメッセージを受けました。私自身、自分にできることは何だってやろうと思い、業務に取り組みました。石川県の復興を願っている人が多くいることを感じましたし、今後はそうした想いを実際に復興に繋げていけるよう、積極的に携わりたいと思います。また、4月に入省した新入職員にも研修の中でこの経験を伝える機会がありました。今回の災害対応で得た知見や感じたことをきちんと引き継いでいこうと思っています。
新井:今までに経験の無い業務で不安もありましたが、私たちは全員同期なので、引継ぎの際には惜しみなく情報をもらえたり、些細なことでもすぐ相談ができたりすることは救いでした。私は今回初めて石川県を訪れましたが、地元の方々から震災前の風景をたくさん教えていただきました。特に能登の見どころや温泉の名所などを伺い、とても魅力ある素敵な場所だと感じたので、今後は、一職員として関わるだけではなく個人としても旅行で再訪するなど、復興を応援し続けていきたいと思います。
星合:通常業務に戻り、海外へ出張した際に、今回の地震について心配の声をたくさん聞き、日本国内のみならず、世界中からたくさんの方が石川県に思いを寄せていることを実感しました。また、我々のみならず、国や県、それ以外にも震災後休みなく対応している方々、より危険で過酷な状況で対応している方々が、そして各市町には、ご自身も被災された中、被災者の皆さんのために働かれている方々がいらっしゃいます。また、今回お話しした物資に絡めて申し上げれば、物資を供給する事業者、運搬してくださる事業者の皆様など、多くの方のお力添えは不可欠でした。一つの物資を届けるためにこれほど多くの方が関わっているということを改めて身にしみて感じました。今回災害対応に当たる中で、折に触れて、能登地方の食や観光など、様々な魅力を耳にしました。先日、東京駅近くにリニューアルオープンしたアンテナショップにお邪魔し、能登のグルメを買い込み、家族で舌鼓を打ちましたが、経産省の職員として引き続き精一杯尽力するのみならず、個人としても、様々な形でお力になれるよう、引き続き関わりを持ち続けていきたいと思っています。
【関連情報】
令和6年能登半島地震に関連する被害・対応状況