奇才を育み20年 PFN西川社長と竹内東大名誉教授が語る「未踏」
日本に何をもたらしてきたのか【前編】
突出したIT人材の発掘と育成を目指して2000年に始まった経済産業省・情報処理推進機構(IPA)の未踏事業。これまでにのべ約1700人を輩出し、これをきっかけに起業したスタートアップの企業価値は総額およそ6000億円とされる。その代表格が人工知能(AI)開発で大手企業から引く手あまたの「プリファードネットワークス(PFN)」。同社の西川徹社長と、未踏事業の創設者のひとりで、現在は同事業の統括プロジェクトマネージャーである竹内郁雄東京大学名誉教授が、イノベーションをけん引する人材像について語り合う。
突出した才能どう束ねる
竹内 ゆっくりお話するのは10年ぶりですが、会社もずいぶん成長されましたね。
西川 プログラミングコンテスト世界大会に出場した仲間と大学の友人6人でPFNの前身となる「プリファードインフラストラクチャー(PFI)」を設立してから、14年になります。2014年にはIoTにフォーカスしたリアルタイム機械学習技術のビジネス活用を目的に、PFNを設立しましたが、おかげさまで従業員は300人を数えます。
竹内 6人でスタートして、300人。たいしたものです。岡野原君(共同創業者で現副社長の岡野原大輔氏)は未踏出身者でしたが、他にもいるの。
西川 未踏事業の卒業生は少なくとも13人ほどいます。
竹内 日本企業で最多じゃないかな。突出した才能をチームとして生かしながら企業成長を遂げている点は、注目すべきことだと思いますよ。僕も統括プロジェクトマネージャーとして事業にかかわっていますが、応募者の中には「プリファードでインターンシップ経験があり」とのプロフィルをよく目にします。採用面ではどんな点を重視しているのですか。
西川 まずはコンピューターサイエンスを学んだ人であること。コーディングの試験については社内でも賛否がありますが、僕はやるべきだと主張しています。理論を理解した上でそれを実践する力があるかを重視するからです。またPFNでインターンを経験してもらった学生に応募してもらった場合には、どのように課題を見出し、困難に直面した時にどのように対処していたか、インターン期間中の2か月間の働き方も参考にしています。
卒業生の活躍とともに事業の知名度も
竹内 僕は岡野原君が大学2年生の時に指導しましたが、いま、二人の役割分担はどのように。
西川 彼が研究を担当し、僕がビジネス戦略を担うといったことを考えたこともありますが、実はそこまで明確に定めていないんです。そもそも僕は事業計画を立てることがあまり好きではなく(笑)。物事が計画通りに進むのが面白くないんですよ。よってビジネス面でも数字に強い岡野原に担ってもらっている部分も大いにあります。
竹内 PFNを立ち上げる前は検索エンジンを開発していましたが、転換点となったのは、(AIの中核技術とされる)深層学習(ディープラーニング)がターニングポイントになったと聞いています。この技術に目を付けたのはどちらだったの。
西川 ニューラルネットワークに着目していたのは岡野原ですが、当時やっていたトラディショナルな機械学習からの進路変更を言い出したのは僕かな。
竹内 ディープラーニング技術の実世界への応用を目指し、フレームワークの開発や、研究開発を支える大規模クラスターの構築を進めてこられたようですが、こうした取り組みをさらに加速させるためディープラーニングを高速化する専用プロセッサーを開発しようと言い出したのは、西川さんですか。
西川 そうですね。もともと僕はコンピューターを作って見たかったので。
竹内 未踏は、天才プログラマーを育てる取り組みとして2000年にミレニアム事業として始まりました。当時は未踏だけでなく、さまざまな事業がありましたが、20年も継続している事業は極めて珍しい。教育百年の計と言われるように、この事業は短期で終わらせてはならないと言い続けてきました。
西川 僕は採択されたのは2005年度でした。5年目ですね。
竹内 最初の5年ほどは産業界にもほとんど知られていない存在でしたが、10年を過ぎた頃から西川さんをはじめとする未踏出身者の活躍がめざましく、それに比例して事業そのものの認知度も高まり成果が評価されるようになりました。
※後編に続く。