地域で輝く企業

世界を魅了する秩父産シングルモルト

ベンチャーウイスキーが守りたかった味

シングルモルトウイスキー「秩父」

 西武秩父線「西武秩父駅」から車で20分あまり。峠をいくつか越えた先に、ベンチャーウイスキー秩父蒸溜所が現れる。一般の見学は受け付けていないにもかかわらず、業界関係者の見学や海外からの来訪者が途絶えることはない。英国の「ワールド・ウイスキー・アワード」をはじめ国内外の賞に輝き、世界の愛好家を魅了する「イチローズモルト」が生まれる地を一目見るためだ。

再び世に出したい

 肥土(あくと)伊知郎社長の生家は400年あまり続く酒造メーカー。1941年に肥土氏の父が羽生市(埼玉県)に本社工場を建設し、戦後まもなくウイスキー事業に参入した。ところが1990年代に経営不振に陥る。当時サントリーで会社員生活を送っていた肥土氏も家業を手伝うことになった。ウイスキーブームの現在と様相は大きく異なり、消費量全体が低迷していたが、あらためて自社商品に目を向けてみると「個性的ではあるが面白い味だった」(肥土氏)。さまざまなバーに持ち込み、その場で飲んでもらうと同様の声が上がったことから手応えを実感。ウイスキー事業の未来を確信したという。
 しかし経営状況は改善せず、2000年に民事再生法を申請。関西の企業への事業譲渡が決まった。譲渡企業から羽生蒸溜所で培ったウイスキーの原酒を廃棄するよう求められたが、肥土氏は20年熟成させたウイスキーを守り、再び世に出すとの一心でベンチャーウイスキーを立ち上げた。
 当時の思いをこう振り返る。「先達が生み出してきたものを、未来に生み出すのがウイスキー。つくり続けなければならないと思いました」。

肥土伊知郎社長

 当時日本では飲みやすく低価格なウイスキーが主流だったが、世界的には高価格帯やひとつの蒸溜所で作られた大麦麦芽100%でつくられたウイスキーだけを瓶詰めしたシングルモルトウイスキーが伸びてきていたことに着目したことも一因だ。「世界中でウイスキーに愛好家がしっかりついていることに気づき、面白さを感じた」(肥土氏)。

ウイスキー界の「イチロー」

 肥土氏が守り抜こうと決意した羽生蒸溜所の原酒から製造した「イチローズモルト」は2005年に発売。2007年には秩父蒸溜所建設に着手。国内でウイスキー蒸溜免許が発行されたのは実に35年ぶりである。ここでつくられた最初のウイスキーは2011年10月に初出荷された。
 秩父の環境は、ウイスキーづくりにも適していた。製造盆地ならではの寒暖差がウイスキーの熟成を早め、味わいが深くなるからだ。一方で、羽生蒸溜所時代とは環境も作り手も異なることから、かつての味を再現するのではなく「秩父ならでは」のウイスキーづくりを目指している。
 現在、秩父蒸溜所では年間約6万リットルを生産しており、うち3万から4万本がボトリングされる。来春には第2蒸溜所が完成予定だ。
 熟成庫は土の地面をそのまま生かしており、乾燥する季節でも湿度が保たれる。これにより熟成の際にアルコールが先に蒸散し、樽中のアルコール度数が下がる。逆に、夏は樽中の空気が押し出され、冬には逆に空気を取り込み、呼吸を繰り返すことで熟成を深めていく。熟成庫には9000樽が貯蔵されており、現在は3年から11年ほどかけて熟成されたものが出荷される。さまざまな種類の樽に入ったウイスキーを年に1回は全てをテイスティングし熟成の進み具合をチェックする。
 シングルモルトの場合、どのようなウイスキーにするかの方向性を立て、ブレンドをする。「売れるもの」という基準ももちろんだが、「飲み比べて楽しんでもらおう」と個性を出したり、時には人の顔を思い浮かべてブレンドしたりすることもあるという。1つのブレンドで約1万本をボトリングし販売される。

地域資源を積極活用

 秩父でウイスキーづくりをはじめて11年。地元と連携し、地域活性化につながる取組みも増えている。例えばウイスキーの原料には輸入麦芽を使っているが、地元農家から「そばの裏作で大麦を作れる」という話があり、作ってもらったところ良い大麦ができた。現在ウイスキー全体の10%が地元産大麦を使用したものになっている。
 樽の素材にも地元産が用いられている。昨今、ウイスキー樽の素材として日本のミズナラに着目が集まっており、ベンチャーウイスキーでも北海道産のミズナラ樽を使ってきた。これを秩父のミズナラで作れないかと秩父の山を探し、標高1600mの大滝地区からこれを切り出して2018年に10樽が完成した。
 地元資源を積極活用する姿勢は、それが目的ではなく、あくまで良い製品づくりにつなげるのが狙いだった。ところ偶然にも蒸溜所建設を決めた秩父にはウイスキーづくりに適した環境や素材がそろっていた。「まるでウイスキーの神様が秩父でウイスキーづくりをしろと導いたかのよう」。こう受け止めている。

蒸溜所にはポットスチルが2機設置されている

 ウイスキーの魅力は、地域に新たな人的交流をもたらしつつある。地元のバーと協力して始めた「秩父ウイスキー祭」。観光では閑散期となる2月に国内外のウイスキーを集め、テイスティングやセミナー、見学会を開催している。6回目の開催となった今年は国内外から3500人ほどが来場、前売り券がすぐに完売してしまうほどの人気イベントとなっている。
 日本国内で生産されたウイスキーが世界的なブームになっている。とりわけ経済成長著しいアジアにおける需要増も顕著で、2019年8月には香港のオークションで同社商品が日本産ウイスキーとしては過去最高額となる54本9750万円で落札された。国産ウイスキーの原酒不足を懸念する声もある。
 ウイスキーを取り巻く状況変化を「ブームに一喜一憂することなく、大切なのは、良いものを作り続けること」と冷静に受け止める肥土氏。80年代後半から90年代にかけて消費量が減少した冬の時代にあっても「バーの棚にウイスキーが並ばなかったことはない」(同)。言葉の端々ににじむ作り手としてのウイスキーに対する深い愛情。そしてこれを愛し続けるファン。その思いが重なり合いながら、またひとつ熟成は進んでいく。

【企業情報】
 ▽所在地=埼玉県秩父市みどりが丘49▽社長=肥土伊知郎氏▽設立=2004年▽売上高=10億円(2019年3月期)