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8歳での中国留学が原点。「SDGsx教育」の起業につながった先生の言葉

HI代表 平原依文さん

HI 平原依文さん

時代の流れが加速していくなかで、昔の当たり前と今の当たり前は大きく変化している。その代表の一つが「SDGs」。貧困や飢餓、気候変動、ジェンダー平等などへの対策を中心に「持続可能な開発目標」として設定された、現代社会を維持するために必要な指標だ。2024年の時点で、日本のSDGs達成度は世界167か国中18位。依然としてジェンダー平等や気候対策など5つの指標で最低評価だった。

こうした課題を、教育と掛け合わせることでクリアしていこうと取り組んでいるのが、コンサルティング会社「HI」代表の平原依文さん。小学校から大学までの間に4か国で単身留学を経験し、外資系コンサルティング会社を経て、28歳で自ら起業した。「青年版ダボス会議」日本代表や内閣官房の「教育未来創造会議」のメンバーを務める若きリーダーに、起業のモチベーションや今後の展望を聞いた。

「自分で責任持つなら」 背中を押した母

――― 小学2年生、わずか8歳のときに自発的に「中国へ留学したい」と両親に申し出たそうですね。
クラスになじめず、疎外感を感じていて、どうすればいいかわからずにいたんです。当時、私は自分の気持ちを周囲に言えず、押し殺してしまうタイプだったのですが、中国人の同級生がいて、彼女はまったく違った。嫌なことを言われても、自分の気持ちや意見をはっきり相手に伝えて、日本人の中でも臆することなく自分らしく生きていました。彼女のようになりたくて相談したら、「中国に行けばいいじゃん」と返ってきました。そこから3か月、両親に「中国に行きたい」と言い続けましたね。8歳だったから、いろいろと深く考えていない分、まっすぐに動けたのだと思います。

――― ご両親は反対されませんでしたか。
父は反対していましたが、母は「自分で決めて、自分で責任を持つなら」という考えの人でした。もともと陸上競技をやっていて、けがや病気で競技を断念してから、アルバイト先のおばんざい屋を25歳で引き継いだんです。言わば、私よりも先に独立・起業したような人です。私にとって母の影響はとても大きいと思います。「自分で留学先の学校を見つけてくるなら。ただし、日本人学校やインターナショナルスクールはNG」という条件で中国に連れていってくれて、運よく現地の全寮制の学校を見つけることができました。

壁を越えた経験から「世界中の境界線を溶かしたい」

――― 憧れの留学生活はどうでしたか。
最初はまったくなじめず、ホームシックになっていました(笑)。実家に電話できるのも1か月に1時間と決められていて、どんどん痩せていって、そんな私を見かねてか若い女性の先生が自宅に招いてくれ、すごく世話を焼いてくれました。ある時、先生に中国人の同級生となじめずにいることを相談すると、先生はこう言いました。「あなた自身は相手を同級生として見ているの?それとも中国人として見ているの?」と。その言葉に、ハッとしました。

私は「日本人だから仲間に入れてもらえないんだ」とばかり考えていましたが、私のほうが同級生を「私とは違う中国人」として見ていたんです。先生の言葉を胸に同級生として接するようにしたら、どんどんクラスになじめるようになりました。もちろん、言葉や文化、価値観の違いはありましたが、「そんなときは、わからないから『教えて(告诉我)』と言えばいい」とも先生に教わりました。自分から壁をつくらずに接すれば、相手も受け入れてくれる。この経験が、私の原点になった気がします。

中国の小学生時代にカナダ出身の友達がいたので、卒業後はカナダに行きたいと母に言いました。すると母に通帳を見せられ、「あなたのために貯めていた学費はこれだけ。この金額以上は出せないから、それで行けるところを自分で見つけられたら」と言われました。中国と比べてカナダの留学費用は段違い。さまざまな支援制度を探し、自力でなんとか高校卒業までの計画を立てました。

――― お母さまと先生という二人の女性が、平原さんを世界へ導いてくれている気がしますね。

二人が手を引いてくれたのかもしれません。カナダでも、文化や価値観の違いを目の当たりにしました。ホストファザーは国会議員だったのですが、ほとんどスーツを着ない。女性も子育てしながら働いたり、起業したりするのが当たり前でした。当時の日本は、まだベビーシッターを頼むと育児を疎かにしているような偏見があった時代です。私も赤ん坊の頃は、母が背負いながら店に立っていたそうです。

中国、カナダと海外で学生生活を送り、世界にはさまざまな人、文化、価値観があることを知りました。それがときには壁になることも、そして、その壁は乗り越えられることも経験しました。そうした自分の経験を通じて、15歳の時には「だったら、私たちの世界にある境界線を溶かしてしまいたい」と願うようになっていました。これが私の起業の一番のモチベーション、初期衝動です。

起業当初は相手にされず…1冊の本が突破口に

――― 大学で日本に帰国し、卒業後は外資系コンサルティング会社に入社されます。日本に戻って違和感を覚えることはありましたか?

SDGsの指標のひとつであるジェンダーギャップについては、日本はいまだに最低評価で、私自身も会社員時代に見聞きしたことがあります。社会人2年目で、グーグルの人材育成部門を率いたこともあるピョートル・フェリクス・グジバチさんが立ち上げたスタートアップに参加したのですが、そこで米国のコーチングスタッフを招へいして、女性管理職の研修をする機会がありました。

名だたる企業の管理職の方々が20名参加されたのですが、最初の「今まで言われて一番うれしかったことは」という質問に対して、20名のうち19名が男性と比較した言葉、たとえば「男性より優秀」「男性より働く」といった言葉を挙げたのです。それに対して、「それってほめ言葉なのでしょうか」と返すと、思わず泣き出す方もいらっしゃいました。これまで、男性優位の社会で戦ってこられたのでしょう。ですが、男女のあり方は本来、対立ではなく役割としてあるべきものです。あくまでその人にあった役割であればいい、そのことに気づいて、心が軽くなったという声も頂きました。

私が広報としてピョートルさんについているときも、対談する相手はほとんどが60歳以上の男性。それくらい日本はキャリア形成において男性優位な社会で、男女の間に依然として大きな境界線が引かれている。あるいはそれを無意識のバイアスとして内在化してしまっていると感じます。

――― そうした境界線を溶かすべく起業に踏み出したわけですが、すぐに軌道に乗りましたか。

最初は何十社、何百社と回っても、ほとんど相手にされませんでした(笑)。そもそも「SDGs×教育」という中身をビジネスとして捉えてもらえないことがほとんどで、「ボランティアならどうぞ」という受けとめ方でした。

ビジネスとして成立し始めたのは、一冊の「本」がきっかけです。『WE HAVE A DREAM』という201か国202人の夢を集めた本です。これは自分たちで出版社に持ち込んだのですが、詩人でもある出版社代表の木村行伸さんがコンセプトに共感してくださり、刊行までたどりつきました。その刊行記念パーティーに、会社員時代に面識のあった経営者など多くの人が足を運んでくださり、そこからビジネスとして認知されるようになりました。

失敗は成長痛 自分の中のバイアス外して

――― 今では、さまざまな教育機関や自治体、企業にSDGsの教育・研修プログラムを提供されていますが、平原さんにとって「起業」はどういった意味を持っていますか?

起業というとキラキラしたイメージを持っている人も少なくないと思います。ですが、あくまで起業は「手段」であり「目的」ではありません。もし、起業したいのであれば、登記さえすれば誰でもできます。

何のための手段なのか。それをまず知ることが大切だと思います。私はこれまでの人生経験を通じて自分のなかに見つけた「世界中の境界線を溶かす」という願望を実現させる手段として起業を選択しました。そうした自分だけの願望、衝動、目的を知るために、まずはどれだけ深く自分と対話するかが出発点です。そこでつかんだ自分だけの目的を実現する手段として、企業や組織に所属しているほうがよいのであれば、それでもOKです。もう一つ起業に関して言葉を添えるならば、「失敗は成長痛」ということです。失敗は当たり前。でも、失敗しながら、作っていけるものがあります。

実は、「世界中の境界線を溶かす」と言っている私自身、もともとはとても凝り固まった人間でした。中国の小学校時代の先生に出会うまでは、「私は日本人だから」と固まっていたし、大学生・会社員時代も「帰国子女だし、女性だし、若造だし」と自分で自分にバイアスをかけている部分がありました。そうしたほうが生きやすい側面もあるからです。でも、そうしたバイアスを外して「人と人」として向き合えば、失敗しつつ、誰かに教わりつつ、でもそれだけじゃなくて自分からも何かを与えつつ、ともに作っていけるものがあります。

私が『WE HAVE A DREAM』の刊行によって世界を広げたように。

自分が境界線を引けば、相手も境界線を引きます。ですから、まずは自分のなかの境界線を溶かすところから始めてみるのもいいと思います。

――― 最後に今後の展望を教えてください。
グローバル教育をより身近にするため、世界中の若者や起業家とつながれるeラーニングのコンテンツを製作中です。今、45か国分のvlogが集まっており、それを201の国と地域にまで拡張していく予定です。デバイス1つで気軽に世界とつながれるgigaスクール構想のプロジェクトとして、旅行会社や自治体とも連携しています。また、直近の事業とは別に将来的なアイデアを蓄える意味でも、個人的には自分のなかの余白を増やす時期だと思っています。余白がなければアイデアも生まれません。そのために週休3日にして、デジタルデトックスをし、感性を磨く時間を作るようにしています。旅をして、さまざまな文化やエンターテインメントに触れ、そして何より自分の足で歩く。将来的には、「遊び×教育=エデュテインメント」といった分野にも挑戦していければと考えています。

【プロフィール】
平原依文(ひらはら・いぶん)
HI代表

青年版ダボス会議 One Young World日本代表・アンバサダー。内閣官房・教育未来創造会議メンバー。小学2年生から単身で中国、カナダ、メキシコ、スペインに留学。東日本大震災をきっかけに帰国し、早稲田大学国際教養学部に入学。「ジョンソン・エンド・ジョンソン」グループのヤンセンファーマ、組織開発コンサルなどを経て、HIを設立。Forbes JAPAN 2021年度「今年の顔 100人」に選出。