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「ナウシカ歌舞伎」も伝統の重みあってこそ。尾上菊之助さん、決意の大名跡襲名

歌舞伎俳優 尾上菊之助さん

尾上菊五郎と言えば、市川團十郎と並び、歌舞伎界を代表する大名跡の一つ。今の歌舞伎界を背負う人気俳優、五代目尾上菊之助さんが、今年5月に八代目尾上菊五郎を襲名する。同時に、長男の七代目尾上丑之助さんも六代目尾上菊之助を襲名。その襲名披露興行が5月・6月の東京・歌舞伎座を皮切りに、大阪・大阪松竹座、京都・南座と繰り広げられる。伝統の重みを背負いつつ、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』など新しい試みにも積極的に取り組んできた当代菊之助さん。江戸時代から続く大名跡を継ぐにあたっての思いを語ってもらった。

尾上菊之助さん

菊五郎は代々新しいことに挑んできた

――― まず、八代目尾上菊五郎襲名を前にした、今のお気持ちを教えてください。

1730年に初代が尾上菊五郎を名乗って以来295年。代々の菊五郎が器を大きくしてきた名前です。その名に見合うよう精進していきたいと思っています。やはり重みは感じています。七代目までいずれも実力、人気を備え、時代を作ってきた名前ですから。先人たちが築き上げてきたものを受け継ぐことへの緊張感は大きなものがあります。

歴代の菊五郎は、伝統を受け継ぐとともに、常に新しいことに挑んできました。たとえば、江戸から明治に移る時代に活躍した五代目は、海外からサーカスが来たことを取り入れ、ピエロの姿になって英語で口上を述べた、という記録がございます。六代目は、世話物や舞踊で後世に残る役を演じ、当時の劇作家と協力してさまざまな新作を作りました。菊五郎という名前には、その時代に合わせて、常に新しいものを取り入れてきた歴史があります。

私も、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』といった三大名作に代表される古典を大切にする一方、まだ歌舞伎を見たことのない人にも古典芸能のすばらしさを伝えていくことが大きな役割であると思います。最近はインバウンド需要の増加で、海外からのお客さまが日本の文化に触れていただく機会も増えています。伝統文化を継承、発展させて、新しい時代のお客さまに、そして世界に伝えていくことが私の菊五郎としての意義であると考えています。

「古典を大切にするとともに、歌舞伎を知らない若い人たち、そして日本の文化に関心を持つ海外の人たちにも歌舞伎を親しんでもらいたい」と語る菊之助さん

親子同時に襲名 次の世代がどう育つか

――― 長男の丑之助さんも、同時に六代目菊之助を襲名しますね。父として、先輩俳優としてどのように見ていますか。

私どもの家では丑之助の名で初舞台を踏み、菊之助は言わば青年期の名前です。次のステージに進むための修業期間という意味合いがあります。私自身、18歳のときに菊之助を襲名し、大きな役をいただきましたが、当時は、自分の形、演技がうまくいかず、悔いの残る襲名となった苦い思いがあります。それから約30年。ようやく菊之助の名に見合うようになれたかな、という思いです。

長男の丑之助は今11歳。襲名披露では年齢の割に難しい役に挑みます。

5月の歌舞伎座公演では、昼の部で、坂東玉三郎さん、私と3人で『京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)』を踊ります。玉三郎さんのような大先輩と一緒に踊るのは、とても難しいことですが、ありがたいことです。丑之助にとって、教えをたまわる貴重な機会で、自分の持つ以上の力を引き出していただくこともあり、幸せなことだと思っています。夜の部では、『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』<稲瀬川勢揃い>で弁天小僧菊之助を演じます。人気演目で、丑之助のほか、市川新之助さん、坂東亀三郎さん、中村梅枝さん、尾上眞秀といった同世代の役者が集まります。将来の歌舞伎界を担う次の世代がどのように育っていくのか、お客さまにとっても楽しみのことと思います。

歌舞伎座「八代目尾上菊五郎襲名披露 六代目尾上菊之助襲名披露」特別ビジュアル『弁天娘女男白浪』(撮影:岡本隆史)

6月歌舞伎座公演では、昼の部で『菅原伝授手習鑑 車引(すがわらでんじゅてならいかがみ くるまびき)』で荒事の梅王丸。とても難しい演目です。丑之助の誕生日と私の岳父(妻の父)・二代目中村吉右衛門が亡くなった日付が、同じなんです。新しい菊之助の中に、彼にとっては母方の祖父である岳父が生き続けてくれるのでは、と思っています。夜の部は私と2人で『連獅子』。親子で演じるのは、2年ぶり2度目。お客さまに、どれくらい成長しているのかを感じていただきたいと思います。

多彩な新作 歌舞伎の魅力伝える入り口に

――― 当代菊之助さんは、新作歌舞伎にも積極的に取り組んできました。どういう心構えで、新作に臨んでいるのでしょうか。

2019年初演の『風の谷のナウシカ』の場合、私はスタジオジブリの作品が大好きで、長編漫画で全7巻ある壮大なストーリーに魅了されていました。歌舞伎の三大名作のように、発端から結末までを描く「通し狂言」として、『ナウシカ』を舞台で演じてみたいということが長年の夢だったんです。原作のすばらしさを壊すことなく、歌舞伎の魅力を加える、言わば漫画と歌舞伎、二つの文化の合流点として描きたいと思いました。原作になるべく忠実でありたいと思いましたが、歌舞伎の場合は、舞台上での場面転換が必要になります。そこで、場面を整理しつつ、まわりの人物たちが主人公のナウシカによってどう変化したのか、ということに重点を置きました。ナウシカを通して、人と人のつながり、未来への希望を描く作品としたいと考えました。

2019年初演の新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』。尾上菊之助さんは主人公ナウシカを演じた

――― 日本には100年以上続いている企業や団体が数えきれないほどあり、中には1000年以上というところもあります。そうした企業・団体が、組織や事業を継承していくことは、日本の伝統芸能にも通じるところがあるのではないでしょうか。

そうですね。その家が大切にしている芸を次の世代に継承していく。長年つちかってきた精神と技術を大事にする。そうした根本的なところでは、伝統芸能にとっても老舗にとっても同じかもしれません。

歌舞伎の場合、忠義や人情といった現代社会では忘れられがちなことも、古典演目として洗練された形で残しています。そして一方で、私が上演した『ナウシカ』だけでなく、『刀剣乱舞』『ルパン三世』などといったゲームや漫画を採り入れた新作も次々と世に出ています。新作は、歌舞伎を見たことのない人にも入りやすい入り口を作るということだけでなく、日本古来から大切にしている心をわかりやすくお伝えする意味合いがあると思います。海外からのお客さまを含め、歌舞伎を知らない人たちに対して、歌舞伎の魅力に気づいてもらうことですね。根本を大事にしつつ、時代に合わせる努力が必要だと思います。「変わらないために、変わり続ける」。これが、企業や団体にとっても必要なことかもしれません。

尾上菊之助さん

「日本の古い映画やドラマを見るのも私のインプットの一つ。そして自然の中にひたって、ぼーっとすること。温泉もそうですけど、リセットして、新しい気持ちで仕事に臨むことができます」とにこやかに語った

忙しい時代に、「通し狂言」をじっくりと

――― 歌舞伎界を盛り上げていくために、新しい菊五郎として、これからどんなことに取り組みたいと思っていますか。

今は、みなさん忙しくしてらっしゃって、短時間でさくっと楽しめる作品に興味が向きがち。長時間の作品を見てもらうことが難しい時代になっています。歌舞伎でも、人気のあるハイライト場面だけ見てもらうことが主流です。でも、だからこそ、発端から結末までを、途中の話を省かずに通して演じる「通し狂言」をやりたい、と思っています。なぜ主人公がこんなにも苦悩しているのか、どうして周りの人物たちがこんなことをするのか。そうしたことをじっくりと感じ取ることができるのが、通し狂言です。歌舞伎の本来の魅力を堪能できる通し狂言を大切にしていきたいですね。短くて、派手で、わかりやすいものを見せるのも悪いことではありません。一方で、ゆったり、じっくりと作品に没入していただく。今だからこそ、そういう時間が必要なのではないでしょうか。

それから、今は上演が途絶えている演目を復活したいと考えています。五代目、六代目菊五郎が、菊五郎家の演目として選んだ『新古演劇十種』に、鬼ばばが出てくる『一つ家』、化け猫ものの『古寺の猫』など、「人ならざる者」が出てくる作品があります。そうした作品を復活したいですね。どんなふうに演じられたのかは、はっきりとわからないものばかりで、復活と言っても、新作に近い感じになるかもしれません。

【プロフィール】
尾上 菊之助(おのえ・きくのすけ)
歌舞伎俳優

1977年、東京都生まれ。父は歌舞伎俳優で、重要無形文化財保持者(人間国宝)の七代目尾上菊五郎。1984年、六代目尾上丑之助を襲名して初舞台。1996年、五代目尾上菊之助を襲名。2005年、読売演劇大賞杉村春子賞、2023年芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。『風の谷のナウシカ』などの新作歌舞伎にも熱心に取り組むほか、舞台、映画、テレビドラマなどにも積極的に出演している。