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国内外での評価、命の誕生と別れ… 川上未映子さんが向き合う「人生の季節」

小説家、詩人 川上未映子さん

人気作家にして詩人、そして独特の視点で身辺や社会をつづるエッセイスト。川上未映子さんは、あえぐように生きる女性たちの日常も生理的感覚も、みずみずしい言葉でつむぎだす。毎日出版文化賞を受けた『夏物語』、読売文学賞小説賞を受けた『黄色い家』など国内で高い評価を受けるだけでなく、全米批評家協会賞の最終候補になった『すべて真夜中の恋人たち』、英国ブッカー賞の最終候補になった『ヘヴン』など近年は海外でも注目される存在になっている。そんな川上さんに、自身の創作活動について語ってもらった。

作品の運命をただただ追いかけた執筆

――― 2023年に刊行された『黄色い家』は、新聞の連載小説でした。新聞に毎日掲載される小説を書いたのはこれが初めてだということですが、これまでの他の著作とは作り方に違いはあったのでしょうか?

新聞の連載小説は、とにかく大変だというイメージがありました。これまでは、細かいところまで、いろいろと決めてから書くことが多かったと思います。ただ、今回は、準備する時間があまりとれなかったんです。物語の大枠を考え、章のタイトルを決めるところから始めました。一ヶ月ほどかけて、ある程度の分量を書いてから、1日ごとに分割しました。書いている間は、作品の運命をただただ追いかけていったという感じがしています。書き始めると、どんどん描写がしたくなり、またエピソードも増えていき、思っていた以上の枚数になりました。

『黄色い家』(中央公論新社、2023年)

部数と賞 評価を過信しないように

――― 近年、英語圏を中心に、海外でも川上さんの作品が高く評価されています。この点については、どのように受け止めていらっしゃいますか?

遠くの読者に読まれるということは、本当に嬉しく、ありがたいことだと思っています。励みになります。欧米において翻訳小説、とくにアジア圏の作品が注目されるのはレアケースでしたが、この十年ほどで、MeToo運動や、フェミニズムの波があり、遠くの声、遠くの文化、そしてマイノリティの当事者によるリアリティについて知りたいと思う編集者や読者が増えたのだと思います。今は一種のブームのようになっていて、海外、特に英語圏で日本作品が紹介されて、広く読まれることは珍しいことではなくなりました。これがブームで終わらずに、定着するといいなと思っています。再びトランプ政権が始まって、この風潮が変わるかどうかはわかりませんが。

川上未映子さん

「海外の読者に作品を読まれることは、うれしく思いますし、励みにもなりますが、あまり意識しないようにしています」と語る川上さん

作品の評価には、いくつか種類がありますよね。批評や賞、それから部数などでしょうか。作品にとってどれも大切な反響ではあるのですが、それぞれとは適切な距離をもって、あまり過信しないことが大事なんじゃないかな、と思います。それにしても、翻訳されて読まれるというのは、つくづく不思議だなと感じます。ストーリーとしての内容は共有できても、それぞれの言語の読者は、原文とはまったく違う文章を読んでいるわけなんですよね。それでも、その作品を読んだという体験は、間違いなくあるんです。本当に不思議です。

作り込む小説、瞬間を言葉にする詩

――― 小説のほか、詩やエッセーとさまざまな表現手段で、作品を描いていますね。

最近は、小説しか書いてないんですよ。エッセーもあまり書いてなくて。たとえば『きみは赤ちゃん』の場合は2012年に産まれた息子を妊娠してから、出産して1年たつまでの記録ですが、もう十年前の作品になりますね。もともと、自分のために記録をとっていたのですが、一冊にしたいなと思うようになりました。何かを書き、それを世に出すということは、何かしらの暴力性を含むことですが、心と体に起きたことを、できる限り書き残せたらと思いました。

『きみは赤ちゃん』川上未映子

『きみは赤ちゃん』(文芸春秋、2014年)

『きみは赤ちゃん』は、毎年のように新しい読者の方々に、読んでいただいているみたいです。自分でも読み返してみると、忘れていたこともあって、ああ、このときはこういうことを考えていたのか、このときは大変だったんだな、とか。でも、今より少し若いせいか、産後だったせいもあるのか、エモーショナルというか、いちいち大げさだな……と感じますね。これからもっと大変なことがあるのにな……と(笑)。

――― 心身をリフレッシュする方法は何でしょうか?

今、犬と暮らしているんです。1歳半のミニチュアダックスフンドで、息子が飼いたいと言い出しました。私も子どものころから犬と暮らしていましたが、犬は、特別なありがたい存在です。言語をもたない動物たちは──もちろん本当のところはわかりませんが、おそらくは人間と違って「業(ごう)」というものがないですよね。「死」を恐れたり心配したりせず、ただ生きて、短い期間に、老いて死んでいく。それはとても不思議で、特別な時間です。言葉を持たない命と触れ合うこと。会話することは、ないわけです。でも、たしかに何かを共有しているという実感がありますよね。それらは、本当にかけがえのないものです。それを息子が経験するなら、これ以上大事なものはないだろう、と思いました。名前は「かぬれ」。お菓子の名前ですね。息子は食べたこともないのに、どこかで見たこのお菓子と犬の毛の色がそっくりだから、この名前をつけたいと言って。わたしとしては言いにくくて、なかなか名前を覚えられず、覚えるまでに2週間もかかってしまいました。

創作活動とビジネスについて「好調も不調もずっと続くものではありません。変化を恐れないことが大切」と語る

調子がよい時ほど下り坂の意識を

――― 小説も詩も創作活動です。ビジネスという側面を考えることはあるのでしょうか?

書いているときは意識していませんが、問題は書き終わったあとですよね。本にも自分なりに種類があって、これは「文学通の人にこそ、じっくり味わってもらうものかもしれない」と感じるものから、「これは、なんとしても多くの読者に読んでもらいたい一冊だ」と思うものまで、色々あります。もちろん本も商品ですし、売れなくてはビジネスとして成立しません。でも、純文学は、基本的にビジネスとしては成立しないジャンルなんです。共感を疑うものだし、五年に一冊くらいしか本を買わない、という方が手にとってくれたときに、ベストセラーになるんですよね。部数と文学的な価値は、無関係ではないでしょうけれど、比例するものではありません。

芸術家にとっては、調子がよいときばかりではありませんし、ビジネスにも必ず下り坂はあります。ただ、できていたことができなくなることや、持っていたものを失うことは、悪いこととは思いません。好調も不調もずっと続くものではありませんし、それらをくりかえしながら、いつかみんないなくなるんです。人生の大きな変化は、ある日突然やってきて、これまでの価値観や経験ではどうしようもない、無力さに打ちひしがれることもあると思います。それは避けられません。

でも、そうなったときに、自分がどんなふうに、その局面に向き合うことができるか。私は、どんなにシリアスなときも、できるだけユーモアをもっていたいと思っています。常日頃から、本や映画、信頼できる言葉や物語や、実際の人間関係にふれて、力の抜きどころや、心の落ち着け方、考え方や生き方そのものを、蓄えておくことが大事なのだと思います。本当の難局に接したときは、そんな余裕はないので、力のあるうちに、自分のなかの感受性の角度を増やし、耕しておくことが大切なのだと思います。

――― 『黄色い家』刊行から2年がたちます。新しい作品を待ち望んでいるファンもいると思います。

ありがとうございます。昨年2月に母を亡くしてから、そうなるだろうとは思っていましたが、ほとんど書けない状態が続いています。ちゃんと見送ることができたのに、恥ずかしながら、まだ毎日泣いているんです。こんなことではいけないのですが、難しいですね。また作品を発表できるように、しっかり頑張りたいと思います。

 

【プロフィール】
川上 未映子(かわかみ・みえこ)
小説家、詩人

大阪府生まれ。2008年、『乳と卵』で芥川賞、09年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年、『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞および紫式部文学賞、13年、詩集『水瓶』で高見順賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞をそれぞれ受賞。19年、『夏物語』で毎日出版文化賞を受賞、本作は英米、独、伊などでベストセラーになり、世界40ヵ国以上で刊行が進む。『ヘヴン』の英訳は22年、国際ブッカー賞最終候補に選出された。