今どきの本屋のはなし

活字文化の元気は神保町から! 世界に誇る「本の街」の面白さを多彩に発信

「こんな浮世絵があるなんて。すばらしい店だ!」

ロシア人のフセヴォロド・バビチュクさん(30)は、赤く染まった富士山が大きく描かれた浮世絵を見せられ、感嘆の声を上げた。

バビチュクさんが訪れていたのは、東京・神田神保町の古書店「大屋書房」。1882年(明治15年)創業で、江戸時代の和書や浮世絵、古地図を扱う専門店だ。江戸時代に出版された「伊勢物語」や「南総里見八犬伝」「東海道中膝栗毛」など、教科書で見覚えのあるような題名の和本がぎっしりと陳列され、商品数は数万点に及ぶ。

古書がひしめく大屋書房を案内する店主の纐纈くりさん

現在、店主を務めるのは、4代目の纐纈(こうけつ)くりさん(52)だ。

纐纈さんは生まれも育ちもこの神保町。3代目店主の父・公夫さんと一緒に、小学生の頃から浮世絵の展示会に通うなど、古書の魅力に浸ってきた。「いずれは店を継ぐものだ」と感じていたというが、20歳代後半になって実際の店の経営を知ると、勝手が違うことが分かった。

バブル期には和本の品切れが相次ぐなど、店の売り上げはピークに。忙しかったけれども、店を開きさえすれば、経営は成り立っていた。しかし、その後の景気後退やコロナ禍で経営は徐々に厳しくなった。老朽化した店舗をどうやって立て直すのかも頭痛の種だ。

ただ、そんな中でも、店は守らなければならない。

まずは、「若い人を取り込まなければいけない」。そこで人気漫画でなじみのある妖怪を紹介する古資料を集めて、カタログを製作した。オールカラーの111ページ建て。ネットでも注文を受け付け、ヒット作になった。「これまでの歴史にあぐらをかかず、新しいことにも挑戦することが大切だ」と改めて思ったという。

コロナ禍が一段落すると、店内には海外からの若い訪日客が目立つようになった。冒頭のバビチュクさんもそんな一人。物珍しげに浮世絵や古地図を見に来る外国人にどうやって実際に買ってもらうかは纐纈さんのこれからの課題だ。

ともに歩み続けてきた父・公夫さんは2025年2月中旬、85歳で亡くなった。店舗のことを公夫さんに相談することはもうできないが、纐纈さんは前を向く。「店主に成り立ての頃、近くの書店主の人にいつも励ましてもらいました。父は、こうした人と人とのつながりを大切にして店を守ってきた。人のつながりが、神保町の魅力でもある。父の思いを引き継ぎ、一丸となってにぎわう街にしたい」

古書・新刊、カレー、純喫茶…魅力的な店たち

神保町は「本の街」として海外にも知られる存在だ。

神保町の歴史に詳しい文芸評論家の野上暁さんによると、1689年に旗本の神保長治(じんぼう・ながはる)が屋敷を拝領したことが地名の由来だ。江戸末期、西洋の学問を扱う幕府の機関がこの地に置かれ、明治時代に入ると国立大や私大の前身にあたる学校が次々と開校した。学生や教師が行き交うようになったことから、彼らの読む本を商う店が増え、現在につながる本の街が形づくられていった。

地下鉄の3路線(都営三田線、新宿線、東京メトロ半蔵門線)が乗り入れる「神保町駅」がある神保町交差点が中心地だが、東隣の「小川町」や北隣の「御茶ノ水」なども含めた地域が、広く神保町エリアととらえられている。

銅板葺(ぶ)き看板の建築など、レトロな風情の建物が並ぶ街中には、約130もの古書店が軒を連ねる。三省堂(建て替え工事中)や書泉グランデなどの新刊書店も多く、集英社や小学館といった出版社、大小の印刷所・製本所も集まる。日本のみならず、世界でも類をみない出版業の密集地でありながら、カレー、ラーメン、純喫茶などの飲食店のほか、スポーツ用品店や楽器店なども立ち並び、多種多様な文化を楽しみながら散歩する人が多い街でもある。

インターネットサイト「JIMBOU BOOKTOWNじんぼう」に掲載されている神保町のマップ

古書店が並ぶ神保町の街並み(2024年10月の「神田古本まつり」で)

街に老いの影 「街そのものが無形資産」声上げる

長い歴史と多彩な魅力を備えた街は今、数々の深刻な課題に直面している。

経営者の高齢化に伴い、各店の事業継承は困難。老朽化する建物を建て替えるお金がない。そこにコロナ禍が起き、客足が遠のくようになり……。

こうした状況をどうにかしなければいけないと、声を上げたのは、超党派の国会議員でつくる活字文化議員連盟会長の上川陽子衆議院議員(自民党)だった。

上川氏は2023年7月に実施された「活字文化フォーラム」(文化通信社主催)で、「知のプラネタリウム構想」を公表。古書店が数多く軒を重ね、新刊を扱う書店、出版社、印刷会社、取次会社など本にまつわるあらゆる営みが街全体に深く根付いている神保町について、「街そのものが日本が世界に誇る『知のプラネタリウム』であり、本に対する目利きのノウハウなど、無形の資産を守るべきだ」として、政府や自治体による支援の必要性を訴えた。

「神保町を世界的な文字・活字文化の一大拠点にしよう」

上川氏のこのかけ声に賛同して結成されたのが神保町文化発信会議だ。

書店や古書店経営者、出版社など神保町の関係者で集まる「本の街・神保町を元気にする会」や、都内の大学教授ら有識者でつくる「東京文化資源会議」、出版文化産業振興財団(JPIC)、文字・活字文化推進機構など計6団体は2024年6月、神保町文化発信会議を発足させ、さまざまな形で神保町の発展を実現させていくことを確認した。

会議発足後に実施したのが、街の諸課題を確認し合うためのシンポジウムだ。2024年6月に開催された1回目のシンポジウムには、作家の浅田次郎さんや集英社社長の廣野眞一さんらも参加。少年期を神田で過ごした浅田さんは今も週に一度は神保町に通っていることを紹介し、「資源がなくても活字で学び、発展してきた国が日本。そして、古書店が集まる神保町は日本の古き良き教養主義を象徴する街だ」と来場者に語りかけた。

第1回シンポジウムに参加した作家の浅田次郎さん

2025年1月の第2回シンポジウムには、活字議連の上川陽子会長のほか、作家で日本大学理事長の林真理子さん、フランス文学者の鹿島茂さんらが参加。林さんが「街の品格は本屋があることによって備わる。本ならではの『香ばしさ』が街全体に満ちる神保町には、何ともいえない魅力がある」と力説すれば、鹿島さんが「書店は今後、すべてを網羅した大規模店と超専門店の2方向でしか生き残れない。両方の機能を、神保町は昔から備えている」と語り、神保町の将来の可能性を感じさせた。シンポジウムには、前経済産業大臣の斎藤健衆議院議員(自民党)も駆けつけ、「神保町の盛り上げは、全国の本屋盛り上げにつながる。私も、みなさんとともに汗をかく」とあいさつ。約280人の聴衆から拍手を浴びた。

訪問目的は「飲食」が最多 増える若者・外国人

2024年には、神保町の訪問者調査も行われた。

神保町では近年、若者や外国人の訪問者が増えていると言われているが、実際に神保町を訪れた人々の携帯電話の位置情報を分析して「滞在人口」を調べると、40歳代が最も多く、最近は20歳代の訪問者も増えていることがわかった。2018年からの比較で、女性の訪問者が増えていることもわかった。

訪問者にアンケート調査を行ったところ、訪問目的は「飲食」が最も多く、神保町が本だけでなく、複合的な魅力がある街であることが裏付けられた。

古書店へのアンケート調査も行われ、「コロナ禍以降、来店者が減っている一方で外国人客が増えている」という声が寄せられた一方、「神保町を訪れる若者が増えているのは実感するが、本を買う人は増えていない。このままでは神保町が入場無料の博物館のようになってしまう」と心配する声も聞かれた。

調査結果の概要は、(東京文化資源会議のサイト)で見られる。

ナイトウォークなど各団体のイベントも活況

神保町に関係する各団体のイベントも活況を見せている。

書店やランチ中心に営業をしている飲食店など、多くの店舗がシャッターを下ろしてしまう「夜」に注目したのは、東京文化資源会議だ。

「神保町ナイトウォーク」と題し、2024年11月~12月に参加者を募って計3回のナイトウォークを実施。11月16日に行われたナイトウォークでは、100年以上も営業している古書店「一誠堂書店」や、鉄道やプロレスなど趣味の本が充実する新刊書店「書泉グランデ」、喫茶店「さぼうる」などを巡った。参加者からは「書店だけでなく、レトロな喫茶店や飲食店が一体となった街の雰囲気が楽しめた」と大好評だった。

本の街・神保町を元気にする会は2024年11月4日、都内でシンポジウムイベント「鷗外・漱石・一葉の神保町」を開催した。神保町と縁のある文豪たちのエピソードに光をあてたイベントには1350人もの観客が集まった。

活字離れと書店の減少が進む日本。世界最大の本の街・神保町の取り組みは、その解決の突破口になる可能性がある。関係者の期待は膨らんでいる。