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家族の幸せを支えるテクノロジーを! 「天才賞」ヨーキー松岡さんの情熱キャリア

パナソニックホールディングス 執行役員Panasonic Well本部長 松岡陽子さん

生活をより便利に、豊かにする技術として活用が期待されるAI(人工知能)。ロボット工学やAIの研究者で、パナソニックホールディングス(HD)執行役員Panasonic Well本部長のヨーキー松岡【松岡陽子】さんは、最先端のデジタル技術を用いて、家族が互いと向き合う時間を確保し、充実した生活を送れるよう支援するビジネスに取り組んでいる。

プロテニスプレーヤー目指し16歳で単身渡米後、米マサチューセッツ工科大(MIT)で博士号を取得。アカデミズムとビジネスの世界で輝かしい経歴を重ね、4人の子どもを持つ母でもある松岡さんがなぜ今、新たなビジネスに踏み出したのか。これまでのキャリアを振り返りながら語ってもらった。

パッションとミッションで ロボット・AI研究に没頭

――― プロテニスプレーヤーを目指して渡米した後、学術からビジネスまで幅広く活躍され、キャリアを重ねてこられました。その時々の転機のきっかけは何だったのでしょうか。

キャリアを次々に変えているように見えるかもしれませんが、私の中ではどれも「パッション(情熱)とミッション(使命)」でつながっています。私はパッションを持てることにどんどん突き進むのです。

子どものころはテニスがとにかく好きで、プロ選手になりたくて渡米したのですが、ケガで大学生のときにその道をあきらめました。「次にパッションを持って追いかけられることは何だろう」と考えたときに、「一緒にテニスができるロボットを作りたい」と思いました。理数系の科目が得意でしたし、テニスの要素もあるし、私にピッタリだと。物事を追いかけ出すと、ものすごい勢いでのめり込む質(たち)で、ヒューマノイド(人型)ロボットの研究に情熱を注ぎました。

開発したテニスロボットのアームを手に取る松岡さん©︎University of Washington

AIを学んだのも、テニスを一緒にできるロボットを作りたいという一心からです。1990年代当時、MITの指導者から「今のAIの技術ではこれ以上できることはない」と言われるぐらい取り組みました。それでも収まらず、当時のAIでは未踏の領域だった人間の脳の仕組みや神経学を追究するようになりました。その過程で、病気や障害などで体が不自由な方から話を伺う機会があり、その時初めて、「人の役に立つことがしたい」「テクノロジーを使って、みんながなりたい自分になれる、やりたいことができる世の中にしたい」と思ったのです。当時私は25歳ぐらいだったでしょうか。以来、それが人生のミッションになりました。

――― ロボット工学と神経科学における研究成果が認められ、アメリカでノーベル賞に並ぶ知名度があるとされるマッカーサー財団「天才賞」を2007年に受賞されました。その後、学術の世界から、ビジネスの世界に転身されます。

障害のある方の暮らしに役立つロボット技術の研究に情熱を注ぎ、大学で教える立場にもなりましたが、次第にフラストレーションが溜まってきたのです。研究では常に30年ぐらい先の未来を見据えて論文を書いていましたが、「今、困っている人たちに『ありがとう』って言ってもらえるようなものを作りたい」と。

Googleから声がかかったのはワシントン大の准教授だった2009年のことでした。スマートフォンが普及し始めたのもこの頃だったと思います。シリコンバレーでは多くのスタートアップ企業が、消費者が実際に使える技術を開発して成功を収めていました。私も、みんなが毎日使うテクノロジーを作る環境に身を置いて学びたい、と思ったのです。

学術の世界からビジネスの世界に転身した松岡さん。困っている人の役に立ち、消費者が毎日使えるような技術の開発やサービスの提供に関心を抱いている

作りたいものが作れる、消費者に近い… ここだ!

――― そして、2019年にパナソニックに移られました。「GAFA」の一角で要職を務めた経歴からも大きな話題となりました。

パナソニックが日本の企業だから、というだけの理由で選んだわけではありません。GoogleやAppleでもウェルビーイングや健康に関する仕事をしていましたが、人々の毎日の暮らしの中により入り込む仕事をしたいとも思っていました。それは、スタートアップ企業でも構わなかったのです。そんな折に、パナソニックの創業者・松下幸之助さんの経営理念や人生観に触れられる「パナソニックミュージアム」(大阪府門真市)を訪問する機会に恵まれました。

――― パナソニックは創業以来、商品を通じた「くらしの豊かさ」の提供をモットーにしています。1951年に製造が始まった洗濯機は、松下幸之助さんが「家庭の主婦を家事の重労働から解放する重要な製品」との思いから製品化を指示した、というのは有名な話ですよね。

私が今から作りたいものが作れるのはこの会社だ、と強く感じました。企業理念に共感できて、しかも、消費者にとても近い製品を作っている――それがたまたま日本企業のパナソニックだった、というわけです。

――― かつて、アメリカの学生たちに「人生は何章もある1冊の本のようなもの。最初に選んだ仕事で人生のすべてが決まるわけではない」と語られたことがあるそうですが、それは自身のキャリアも踏まえてのことなのですね。

幼いころは「物事を深く考えない子」と言われていた私ですが、仕事を変えるときはすごく考えます。「5年間ぐらいは情熱を持って取り組めるもの」というスタンスで、次の仕事は「本当にやりたいことか」「人の役に立つのか」「自分が楽しいと感じられて、家族との生活のバランスも保てるか」ということを自問します。業種のつながりは深く意識していませんが、私が抱くパッションとミッションは、どのキャリアチェンジでも一貫していると思います。

自分をケアする難しさ 多くの人が経験、共感

――― パナソニックに転じてから、家庭向けコンシェルジュサービス「Yohanaメンバーシップ」をアメリカと日本で立ち上げ、2025年1月にはその知見を活かしたデジタルウェルネスサービス「Umi」の展開も発表されました。家族に寄り添うビジネスに着目したのはなぜですか。

私には、今19歳の双子の長女と次女をはじめ、4人の子供がいます。一人っ子で育った私は子どもをたくさん欲しかったし、仕事を通じて世の中を変えることも諦めたくありませんでした。家庭と仕事の両立は不可能のようにも思えたのですが、私には「やりたいことは、やっちゃえ」と振り切ってしまうところがあるのです。

松岡さんの夫と4人の子供たち(撮影:約10年前)

しかし、実際には様々な場面で問題が生じました。コロナ禍の在宅ワークでは、オンライン会議中に子どもに話しかけられることもしょっちゅうでした。家事に仕事に一生懸命だった私は、睡眠時間を削る、献立は子どもが食べたいメニューを優先するなど、無意識に我慢していたところもありました。「両立は難しい」。そう思ったときに、コーチングを受けました。客観的な第三者目線でのアドバイスが欲しかったのです。

――― どんなアドバイスを得たのですか。

「自分をケアしなければ、家族を、人をケアすることはできない」と教えられ、自分のためだけにやりたいことを書き出したリストを作り、実践するようにアドバイスされました。例えば、「睡眠は7時間以上」「体のメンテナンスにマッサージを受ける」といった具合です。最初はとてもできなくて、コーチに反発もしましたが、少しずつ取り組んでいくうちに、ストレスが軽減されて幸せな気持ちを感じることができたのです。仕事のパフォーマンスにもよい影響があったと気づきました。

ただ、働く親たちが自身をケアする時間を確保するのは容易ではありません。私が自分の経験を話すと、多くの人が「Me, too.」と共感し、同じ経験をしていることがわかりました。そこで、夕飯の献立を考えたり、子どもの誕生日会や家族旅行のプランを作ったり、塾の候補を探したりといった部分をサポートするサービスを提供できれば、家族と向き合う時間を、自分自身を大切にする時間を作ってもらえる。「なりたい家族になる、なりたい自分になる」という願いを叶えてもらえると考えたのです。

Appleに勤めていたときに、iPhoneなどのプロダクトを通じて、お客様が求めていることを中心にする考え方を学びました。私が手掛けるビジネスでも、働く親たちが一番苦労していることを理解すればするほど、よいサービスを作れると思っています。また、家事のアウトソーシングがアメリカほど一般的ではない日本でサービスを展開するにあたっては、より細やかな要望にも対応できるようにしています。

テクノロジーを活用して働く親たちを支援するビジネスを手掛ける松岡さん。「みんながなりたい自分になれる世の中に」。それがキャリアを貫くミッションだ

女性こそイノベーションを、「やっちゃえ」!

――― アメリカ企業での経験も活かされているのですね。アメリカには「GAFA」に代表されるように、革新的な商品や技術を生み出す企業がたくさんありますが、日本はどんな点を学び、心がけるべきでしょうか。

最先端のイノベーションに怖がらずに挑戦することを学ぶべきだと思っています。

私の両親はとてもユニークで、父には「人と違うことはよいことだ」と教えられました。東急不動産に勤め、新規事業にもたくさん関わっていた父が、私が子どものころに、「日本の企業では石橋を叩いても渡らないことがある」と話してくれたのをよく覚えています。しかし、父は私に、「叩いたら渡りなさい。時には叩かずに走って渡る方がよいこともある」とも話していました。それが、「なりたい自分になる」「やりたいことは、やっちゃえ」という私の生き方につながっているのかもしれません。

――― ご自身の今後の展望を聞かせてください。

最近のAIを活用した様々な「革命」にはものすごいものがあります。生成AIに関するニュースを聞かない日はないほどです。テクノロジー自体がどんどん変わっています。新しいものがある日突然出てくることが頻繁にあるAIの世界で、私も絶えず勉強をして、使いこなしていきたいと思っています。それができて初めて先を見通すことができ、「テクノロジーを使って、みんなになりたい自分になってもらう」という私のミッションを果たせると思うからです。

――― 最後に、日本のビジネスパーソン、特に女性に向けてアドバイスをお願いします。

女性で、女性が毎日の暮らしで苦労していることに対するソリューションを作っている人はまだまだ少ないと感じています。それは日本に限らず、アメリカでも同じです。だから、家庭で、特に女性が担っているタスクにテクノロジーがなかなか入ってこない。女性には、自分自身が苦労していることからイノベーションを起こしてもらいたいと願っています。

何もかも完璧にこなすことは困難です。特に日本人は真面目ですから、家庭と仕事の両立などでいろいろと悩んでしまうかもしれません。しかし、私のように「やりたいことは、やっちゃえ」の精神で前に踏み出してみてください。子どもを産みたければ産んでいいし、仕事を続けたければ続ける。やっちゃったら、意外と何とかなるものです。何とかならなければ、企業や社会の方が対応や変化を迫られるのです。どうか、完璧主義を捨てて頑張ってみてください。

 

【プロフィール】
ヨーキー松岡 / 松岡 陽子(まつおか・ようこ)
パナソニックホールディングス執行役員Panasonic WELL本部長
Yohana 創業者兼CEO

東京都出身。幼少からテニスに打ち込み、中学卒業後に単身渡米。米カリフォルニア大バークレー校卒、マサチューセッツ工科大で博士号取得(電気工学・コンピューター科学)。ハーバード大博士研究員などを経た後、ワシントン大准教授として、人体・脳のリハビリを促すロボット機器の開発に携わる。2007年マッカーサー財団「天才賞」受賞。09年Googleの研究開発を担う「Google X」を共同創業者として設立。16年Apple副社長、17年Google副社長などを経て、19年パナソニック入社。21年にYohanaの創業者兼CEOとなり、23年4月から現職。著書に「選択できる未来を作る」(東洋経済新報社)。テクノロジーを活用し、現代の家族が心身ともに健康に生きることの実現に取り組んでいる。