地域で輝く企業

【大阪発】非効率をあえて厭わず、正直なモノづくりでファンをつかむ

大阪府八尾市 木村石鹸工業株式会社

「社員を信じて期待する。それだけのことが社員の能力を引き出し、チームとしての強さを生み出す」と話す木村社長

大阪府八尾市に本社を構える洗剤メーカーの木村石鹸工業は昨年、創業100周年を迎えた。「釜焚き」という昔ながらの製法を続け、愚直なモノづくりが多くのファンをつかむ。「従業員、取引先、そして一般のお客様。誰にとっても正直な会社であり続けたい」と木村祥一郎社長(52)は話す。大手メーカーによるマーケティングを優先した精緻な販売戦略が幅を効かせる中、非効率もあえて厭わない「ちいさな会社のおおらかな経営」が注目を集める。会社のロゴマークの上に「くらし、気持ち、ピカピカ」というキャッチコピーを掲げ、筋の通った真っ当なビジネスを通して、地域で文字通り輝き続けている。

 

東京の自宅近くのスーパーにも木村石鹸工業の商品が置いてあると知り、取材前に行ってみた。環境に配慮した商品のコーナーにあるとのことだが、見つけられず、店員に社名を告げて探してもらった。ところが見当たらない。そこで、「12/JU-NI(ジューニ)」とヘアケアのブランド名を告げると、「あ、ジューニ」と棚を即座に教えてくれた。500ミリリットルのシャンプーが3000円(税込み)。ドラッグストアなどで売っている大手メーカーの売れ筋商品と比べると高いが、売れ具合を尋ねると、「年齢問わず、結構売れます」とのこと。どうやら固定ファンがいるらしい。円筒形で透明なボトルに入った黄金色のシャンプーが照明を反射してキラキラと輝いていた。

「12/JU-NI(ジューニ)」のパッケージはシンプルなデザイン

昨年、創業100年を迎えた老舗石鹸・洗剤メーカー

木村石鹸工業は、木村社長の曽祖父に当たる木村熊治郎氏が「木村石鹸製造所」として大阪市で1924年に創業した。繊細な絹の着物を洗うための石鹸を開発してヒットしたという。その後、戦争による物資不足で廃業したが、1954年に操業を再開。衣料用洗剤や銭湯向けに浴場洗浄剤、そして研磨材など、主に業務用洗剤の製造販売を手がけてきた。

大小様々な工場が建ち、モノづくりの街としても知られる

内風呂普及に合わせて、一般向けのビジネスを拡大

転機になったのが1976年。父親の木村幸夫氏が社長に就任し、本社を現在の大阪府八尾市に移転。社名も現在の「木村石鹸工業」に変更した。1994年からは、バス、トイレ、キッチン用洗剤を開発し、家庭用市場にも進出。街場の銭湯が減り、内風呂が普及していく時代に合わせて、「B to B」から「B to C」へビジネスを拡げていった。

創業以来、釜焚き製法を守り続けている。手間ひまがかかるが、商品の微妙な調整が可能になるという

学生時代は家業を嫌い、ITベンチャーの世界に

もっとも、木村社長は「家業が嫌で仕方がなかった」と話す。子どものころ、工場内に自宅があって、父親が朝から晩まで駆けずり回っている姿を見て育ったこともあって、こうはなりたくないと思っていたという。「ひと言で言えばダサい。スーツを着て颯爽と出勤する会社勤めの家の子がうらやましくて……」。そんな思いもあって、同志社大学文学部文化学科美術及び芸術学専攻に進学すると、「念願の」一人暮らしを始め、映画サークルで8ミリ映画の制作に夢中になった。卒論では地元・大阪で活躍した前衛歌人の塚本邦雄を取り上げた。「だから、会社を継ぐなんて気は全くなし。父親の泥臭い仕事ぶりを見てきたことの反動もあって、洗練されたクリエーティブな仕事、例えば、美術館のキュレーターのような仕事に憧れました」。実際、大学時代の先輩に誘われて 家業と真逆のITベンチャーを仲間と1995年に設立。18年間、商品開発やマーケティングを担当し、副社長を務めた。

開発部には様々なボトルが並び、さながら理科の実験室のよう。「ここからユニークな商品が生まれていきます」と木村社長(左)

それがなぜ、家業を継ぐことに? きっかけは二度にわたる「事業継承の失敗」だという。15年ほど前、当時社長だった幸夫氏が体調を崩し、事業継承を迫られた。「会社を継ぐ気のない私のことは諦めていたので、親族外から人材を探しました」。一人目は社内から。二人目は木村社長が紹介した外資系化粧品メーカーの元社長。ところがいずれもうまく行かなかった。社員に厳し過ぎてモチベーションを下げてしまったり、新しく導入した能力評価制度が機能しなかったり。そうした混乱の時期が計7年ほど続き、「諦めに近い境地」で家業を継ぐことに。20136月に入社、20169月、社長に就任した。

工場内には様々な製造用の機械が整然と並ぶ

OEM中心から、オリジナル商品の開発に力を入れる

入社当時、他社の商品を手がけるOEMが中心だったが、開発から製造までを一貫して手がけていることを知り、驚いたという。「モノづくりの力は十分。企画や販売に力を入れれば光が見えるかも」。そこで自由に開発できる雰囲気づくりに努めた。以前は失敗した時の責任追及を恐れ、現状維持の姿勢が蔓延していたが、木村社長が社員の果たす「責任」の新しい定義をした。以前は、問題が起きた時にペナルティーを受けることが「責任を取る」ことだったが、木村社長は「自分で決めたことを最後まで見届けること」を「責任」の定義とした。面白いと思ったことにどんどんチャレンジさせた。問題が起きてもお咎めなし。「ただし、最後までプロジェクトを見届ける。それが果たすべき責任」

「SOMALI(そまり)」は、釜炊きの純石鹸を使ったハウス&ボディケアブランド

「理想のシャンプーを作りたい」と5年をかけて実現

新商品の開発に弾みがつき、看板商品の「12/JU-NI」もそうして生まれた。2019年のこと。化粧品メーカーで開発を担当していた男性が「理想のシャンプーを作りたい」と2014年8月に転職してきた。それから5年がかりで商品を開発。ところが、当時の木村石鹸工業に量産できる態勢がなく、できあがったシャンプーも全ての人に最適というわけではなかった。「万人受けする70点の商品ではなく、ある人には120点でも、ある人には10点という、ある意味とがった商品」。そこでクラウドファンディングで資金を募りながら、商品のメリット、デメリットを正直に伝えてファンを増やしていった。「そうした会社の姿勢そのものに賛同してくれる人が、商品を徐々に買ってくれるようになりました」

社員が自主的に行っている工場周辺の清掃はコミュニケーションを図る機会にもなっている

売り上げの4割を一般向けのオリジナル商品が占めるように

昨年度(6月期) の売り上げは約158000万円。以前は売り上げのほとんどがOEMと業務用商品だったが、木村社長の代になってから一般消費者向けのオリジナル商品が増え始め、現在は売り上げの約4割を占め、利益の半分以上を生み出すようになった。

三重県伊賀市にできた新工場「IGA STUDIO PROJECT」は地域に開かれた施設としても機能する

「doing」ではなく「being」を優先したモノづくり

何をするか(doing)ではなく、どうありたいか(being)を優先し、非効率もあえて厭わないモノづくり。「それが小さな組織を強くしてくれると信じています」と木村社長は話す。その一環で、自分の給与額を自分で提案する「自己申告型給与制度」を採用している。何をしたかという過去の成果だけでなく、これからどのような貢献ができるか、あるいはこうありたいという想いを評価する未来志向の取り組み。「そこにいるだけで職場が和む人っていますよね。そうした成果や数字に置き換えられない資質も評価できないかと思って始めました」。それを年に1回、数日かけて社長を含めたマネジャーが徹底的に話し合う。会社の方向性を再確認する上でも大切な仕事だという。

木村社長がSNSなどで様々な想いを綴った文章を昨年、一冊の本にまとめた

伊賀の新工場は地域にも開かれた施設を目指す

2020年には三重県伊賀市に新設した工場が稼働。「IGA STUDIO PROJECT」と名付けた。単なる工場ではなく、ユニークな製品を生み出すクリエーティブな場所だから「STUDIO」。商品を製造する定型的な仕事をこなすだけなく、コミュニティーや活動の拠点として常に変化し続ける存在だから「PROJECT」。機械は最新式になったが、創業以来の釜炊き製法は続けている。「輸入石鹸原料から石鹸を作ることが主流ですが、職人が五感を研ぎ澄まして釜と向き合いながら、手仕事で石鹸の可能性を最大限引き出すことのできる釜炊きにこだわっています。非効率の極み。でも、ウチみたいな小さな会社だからこそできるんです」と木村社長は話す。ここでは一般見学も積極的に受け入れ、地域に開かれた施設も目指している。

「石鹸屋なのに固形石鹸がないのはおかしい」と創業100年を迎えた昨年発表した固形石鹸。一から作るので手間がかなりかかるという

事業継承も視野に入れながら「おおらかな経営」を続ける

創業100周年を迎えた昨年は、原点回帰となる固形石鹸も発表。現在は基礎化粧品の開発を手がけており、扱っている商品をトータルで紹介し、木村石鹸工業の世界を感じてもらえるような直販店も計画している。会社も101年目に入り、事業継承も気になるという。「子どもがいないので、親族による継承は私で最後。外部の人間がトップになって会社を運営していける体制を整えるのが自分の仕事だと思っています」。会社が成長して規模が大きくなった時、現在のような「おおらかな経営」を続けていけるのかも気になる。「そこも課題と言えば課題。ただ、急激な成長なんてありませんし、望んでもいません」。身の丈に合った経営を続け、誰に対しても正直であること――。この上なくシンプルな経営哲学だが、実現は何と難しいことか。それらを愚直に守りながら、健やかな経営を行うことで、「地域で輝く企業」であり続けている。

本社の最寄り駅はJR久宝寺(きゅうほうじ)駅。現在、その名称の寺はなく、顕証寺(写真上)を中心に16世紀にできた寺内町の面影が残っている

【企業情報】公式企業サイト=https://www.kimurasoap.co.jp/代表者=木村祥一郎社長社員数56資本金2900万円創業=192441