【東京発】医療用機器中心に、多様な事業ポートフォリオで未来を拓く
東京都文京区 株式会社常光
医療機器メーカーの常光は、「電気泳動」という手法で血液中のたんぱく質を調べる医療用分析装置などを数多く開発し、国内外の医療機関で利用されている。もっとも、「現状に安住するつもりはありません」と服部直彦社長(69)が話すように、新しい事業に積極的に取り組む。現在は蓄電池の基板となる炭素原子のシートの開発に力を入れる。そうした多彩な事業展開の根底には「三方よし」ならぬ「五方よし」の想いがあるという。売り手、買い手、世間、地球(宇宙)、そして未来の「五方」、いずれにとっても有益であることをビジネスの指針にしている。SDGsを先取りする形の研究開発型のビジネスが、「地域で輝く」ための強みにもなっている。
戦後まもなく、医療資材の専門商社としてスタート
常光は、戦後まもなく、医療資材の専門商社として創業した。服部社長の父、敬七郎氏が兄と弟、計3人で事業を始めた。太平洋戦争で事故に遭って片腕を失った敬七郎氏はキリスト教に入信。「科学文化の発展に貢献したい」という想いを抱いて起業を志した。東京で創業したが、ビジネスを拡げたのは北海道。北海道で医学を教える大学教授の紹介でレントゲン用のフィルムを主に扱った。 1949年に札幌市に支店を構え、全道に支店や営業所を開設。現在も北海道を中心に医療機器ディーラー事業を続けており、常光の売り上げの多くを占めている。ちなみに登記簿上の本社は東京にあるが、実質的な本社機能は1977年、多摩川沿いの川崎市高津区宇奈根に開設した東京技術研究所へ移転。だから、サブタイトルにある【東京発】という文言も【神奈川発】とするのが正しいのかもしれない。
医療機器メーカーとしての事業を始め、二刀流の経営に
さらにビジネスを拡げたい。ところが、本州ではディーラー事業の競合が多く、リスクが高いと判断して北海道中心にビジネスを展開することにした。それでは、どのようにビジネスを拡大するのか? やはり、敬七郎氏が米国帰りの大学教授から聞いた検査装置の話をヒントに、1963年に東京に研究所を開設して、医療機器メーカーとしての活動を始めた。「他社の製品を販売する中、自分でモノを作って売ることが父の夢でもありました。もっとも、当時は利益優先というより、戦後復興を模索する社会に何か役立ちたいという想いが先立っていたようです」と服部社長は話す。
1964年にはセ・ア膜電気泳動装置の開発に成功。1982年には全自動の電気泳動装置を開発。その後も検体検査装置や遺伝子検査関連の体外診断用医薬品など、常光のホームページを見ると40以上の機器や医薬品を開発し、メーカー事業の売り上げは全体の2割を占めるまでになった。「こうした事業の多角化が結果として、ビジネスの安定につながりました」と服部社長。かつて扱っていたレントゲン用フィルムがデジタル化されて、ディーラー部門の売り上げが激減した際、メーカー事業の収益が不足分を補った。メーカー部門が成果を出すまで、ディーラー部門が支え、ディーラー部門が不振の際はメーカー部門が支える――。いわば、「二刀流」の経営で様々な危機を乗り越えてきたという。
企業を買収してナノテクノロジー事業に参入
そして次に取り組んだのがナノテクノロジー事業。事業を始めた経緯が少し変わっている。あるホテルの子会社を2007年に買収。この会社は、ペンキを塗る際にきれいに仕上げられるようペンキの粒子を細かくする装置を作っていた。「私たちの行っていた医療関連の事業との相乗効果は見込めませんでしたが、素材開発に応用できそうだと考えて引き取ることにしました」と服部社長。将来、大きく育つ事業がないか、アンテナを常に張り、ビジネスチャンスを模索しているという。「それが常光のDNA」とも。こうした様々な試みが評価され、2018年には経済産業省から「地域未来牽引企業」に選ばれている。
実はナノテク事業で培った技術が新しい事業に結びつきつつある。常光は今、蓄電池に用いられる材料として炭素原子からなる「グラフェン」の製造を事業の大きな柱にしようとしている。グラフェンは銅などの金属に比べて10倍以上の熱伝導率があるにもかかわらず、強度は鉄の100倍以上あり、導電性も高いことから蓄電池などの材料としての活用が期待されている。世界の市場規模も2024年の 5 億 7030 万米ドルから 2032 年には51億 9320 万米ドルに成長すると予測する市場調査会社もある。
グラフェンを第4の柱に育てていきたい
常光は、独自のナノ微粒子化機器を応用し、それによって高品質なもので1グラムあたり数十万円するとされるグラフェン製造のコストダウンを目指す。現状ではまだ歩留まりが悪いが、来年までに技術を確立し、国内に製造拠点を設けるという。「今後10年はグラフェンの開発に力を入れ、医療機器ディーラー事業、医療機器メーカー事業、そしてナノテク事業に次ぐ、第4の柱に育てていきたい」と服部社長。
そうしたユニークなビジネスの発想は服部社長の経歴と関係しているのかもしれない。服部社長は北海道で生まれ育ったが、進学したのは鳥取大学農学部獣医学科(現在の共同獣医学科)。そこから医学部の大学院でウイルス学を学び、医学博士号を取得。その後、アメリカの国立衛生研究所の客員研究員を経て、日本の製薬会社に研究員として入社した。いわゆる「学究肌」。2000年に常光に入社し、2018年に4代目の社長に就任。これまで代々、服部家が社長に就いてきたが、優秀な人材が育ってきたこともあって、今後は社内の人材に事業を継承することも十分ありうるという。
「今を支えながら未来を拓く」ことが揺るがない使命
それだけ企業が成長し、ガバナンスの体制も安定してきたということだろう。そうした中で、事業ポートフォリオの多様化も進む。これからはディーラーとメーカー部門の収益によって安定した経営を行い、将来的にはナノテク事業やグラフェンに関わる事業が会社を引っ張っていくような事業ポートフォリオにしたいという。それに伴い、昨年度、約140億円だった売り上げ(3月期)も2030年度には190億円を目指す。「そのためには社会の変化を敏感に感じ取り、新しい事業に大胆に取り組んでいかなくては。『今を支えながら未来を拓く』ことが我が社の使命です」
【企業情報】▽公式企業サイト=https://jokoh.com/▽代表者=服部直彦社長▽社員数257人(2025年1月23日現在)▽資本金1億円▽創業=1947年