今どきの本屋のはなし

独立系書店は「好き」やワクワクの宝庫。個性強めの発信が若者に刺さる

ふらりと立ち寄っていた街の書店の代わりにインターネットで本を買うようになり、気がついたら書店が店を閉めていた。そんなさみしい経験をした人は少なくないだろう。

逆に存在感を増しているのが「独立系書店」と呼ばれる書店だ。大型ではなくごく小規模な店舗を構え、独自の視点で本や雑誌を仕入れている独立系書店のオーナーたちは今、読書や書店の未来図をどのように描いているのだろうか。和歌山と福岡の二つの書店を取材した。

和歌山市中心部に開店「本町文化堂」

南海電鉄・和歌山市駅から徒歩で約10分。市中心部の商店街入り口にある「本町文化堂」(和歌山市本町)は、店の前に「本」のスタンド看板がなければ書店とは思えない外観だ。装飾タイルのわきに、これもタイル作りの店名が刻まれたプレートが掲げられている。

和歌山市の中心部にある「本町文化堂」。装飾タイルに合わせたタイルの看板が印象的だ。店内で静かな時間が流れていることを感じさせる

店は、三木早也佳さん(42)と嶋田詔太さん(39)の共同経営だ。2017年に「本屋プラグ」という名前の書店をテナントで始めた2人。「個性派書店」「本好きをうならせる選書」「和歌山カルチャーを支える」などとメディアに紹介される存在になったところで、近くに購入できる物件が見つかり一念発起。2024年3月、「本町文化堂」という名前で再出発した。1階の売り場(約53平方メートル)には約1万冊の本が並び、古書も扱っている。

「前の店も含めて、書籍や雑誌が売れて書店が儲かる時代を経験していません。うちの店の目的は、いかに儲けるかではなく、いかに続けるかなんです」と嶋田さん。現在の店舗を購入するために組んだローンは、前の店の賃料約10年分。税金の話などは省いて単純に計算すると、このお金では前の店は10年間しか続けることができないが、今の店舗はその先もずっと続けられることになる。

なぜ、書店を続けたいのか。

約1万冊が並ぶ店内。入って左側は古書のコーナー

「本が好き」。だから店を続けられる

「本が好きだからです」。嶋田さんからは明快な答えが返ってきた。

和歌山市内でも、2010年代半ば以降、会社員をやめた人がバーを開業したり、空き家をリノベーションしてカフェにしたりといった、「街づくりの一環」としてさまざまな個性的な店を開く動きが広がった。しかし、現在も残っている店は数えるほどしかない。嶋田さんは「何かビジネスをやろうというのが目的で、自分が売る商品をそれほど好きなわけじゃなかったということもあるのでは。ビジネスが先立つと、少しお客さんが減ったり、思ったほど売り上げが伸びなかったりするとすぐに見切りをつけてしまう」と語る。

「好きだけで店を続けていくことはできないが、好きでなければ続ける気すら起きない」というのが嶋田さんの持論だ。

毎週配信しているポッドキャストの番組「本町文化堂からこんにちは」は、本を中心にカルチャー全般にまつわる話を嶋田さんとゲストが語る

前の店舗のころから、各メディアによる紹介や嶋田さんの味のある書評、固定リスナー約1000人のポッドキャストの配信もあり、全国の読書家の間で「本町文化堂」の知名度は高い。三木さんも「和歌山近辺に旅行するならうちの店も訪ねようと思って来られるお客さんもかなりいらっしゃいますね」と話す。

ヘビー読者向けに、さぞかし店に置く書籍や雑誌は選びに選んでいるのだろう。

「まあ、そんなイメージを作っているということですね」と嶋田さんはほほえむ。

嶋田さんによると、店にある新刊書籍のうち、市内の大型書店にないものはせいぜい50冊ぐらい。実際に売れるのも、大手出版社の本や話題のベストセラーが多いという。ただ、嶋田さんは「うちの店でしか買えない本はなくても、大型書店では大量の本の中に埋もれてしまう1冊が、数が限られる小さな店だからこそ目につくこともある。そうした出会いを求めるお客さんは大事にしたいと思っています」と話す。

台湾関連本の品ぞろえ 広く、深く

本町文化堂は「カルチャーやアジア関連に強い」というイメージを持たれているが、実際に店舗の書棚を見ていると、特に台湾関係の書籍が目につく。台湾に惹かれ、すでに12回も訪台している三木さんのこだわりでもある。

台湾といえば、「おいしい食べ物」や「親日的な人々」といった文言が頭に浮かぶ。だが、嶋田さんは「やはり歴史的な側面は忘れてほしくない」と語る。本町文化堂の書棚には、日本の植民地時代から現代までの歴史や政治、社会問題についての書籍もそろっている。

アジア関連書籍の中でも台湾関連のラインナップは特に充実している

2階のイベントホールも、店側の「好き」に客が浸ることができる空間だ。2か月に1度、大阪から落語家を招いての落語会のほか、サイレント映画に合わせてピアノやパーカッションの演奏が聴ける映画上映会が開催され、毎回25人程度が参加する。

物流の「2024年問題」が発売日に影響…

書店を続けていくうえでの課題は何だろうか。

三木さんは「書籍や雑誌を店頭に置けるのが首都圏より1日遅れるようになったのが痛いですね」と言う。

日本出版取次協会と日本雑誌協会は2024年4月から新たに和歌山県全域、京都府と兵庫県の一部などで発売、配送日を遅らせる措置をとった。トラック運転手にも働き方改革関連法に基づく時間外労働の上限規制が適用されたためだ。

配送のない土曜日も増えた。新聞広告やSNSで書籍の発売を知って店に来た客に「発売は明日になります」と答えざるを得ない。「配送が休みの土曜日は週明けまで待ってもらわなければなりません。じゃ、ネットで買うかとなってしまいます」と三木さん。

共同店主の三木さん(左)と嶋田さん(右)。嶋田さんは1日に映画を1本見て本1冊を読むのがノルマ。「僕がカルチャー担当で、三木さんは店の実務担当」(嶋田さん)という

インターネットがない時代だったら、客は発売日まで待つか、1日早い隣の大阪府に出向いて買う。だが、いまは発売日にネットで買うことが可能だ。嶋田さんは「ネットでの発売を一番遅い地域の発売日に合わせることができないか」と提案する。

嶋田さんは、ネットに対抗するためにも、小規模書店と大型店の協力が必要だとも考えている。前評判が高い新刊本が発売された場合、配本数が少ない小規模店で売り切れても大規模店には残っていることが多い。「少しマージンを払ってもいいから、大型店から何冊か回してもらえるような協力体制がとれれば助かります。大型店が地域の小さな書店のハブ(中核)として機能するような書店同士の関係です。お客さんがどこかの店で不便を感じたとしたら、その店だけではなく、リアル書店全体のマイナスとして受け取られてしまいます」。

「こんなに面白いものがあるよ」と発信に工夫

書店経営に若い世代の活字離れはどのぐらい影響しているのだろうか。

嶋田さんは「たぶん活字離れはしていないと思いますよ」と分析する。「若い世代のほとんどはSNSで発信しているし、短歌ブームも続いている。短くて他人受けするフレーズは好きなんです。キュレーション(情報を収集、選別し、再構築して新たな価値を与えること)や編集されたものが苦手で距離を置いているだけでしょう。そこをどう面白く見せて関心を持ってもらうか。書店やイベントはそのアウトプットの場です。こんなに面白いものがあるよ、という情報を発信していく方法をいろいろ考えていきたいですね」

本が好き。カルチャーが好き。それがすべての原動力になっている。

本町文化堂の装飾タイル3枚(左)は、戦前に台湾で使われていたマジョルカタイル。これに合わせて店名の看板(右)もタイルで作った

独立系の先駆け 福岡「ブックスキューブリック」

福岡市の中心部にありながらケヤキの並木が続き、おしゃれなエリアとして知られる「けやき通り」に2001年、書店「ブックスキューブリック」(福岡市中央区赤坂)は開店した。繁華街の天神までは1キロ余り。「天神に向かう人の通過点だから、商売は難しいと言われていたんです」と経営者の大井実さん(63)は話す。それが今では、けやき通りの代表的な店になっただけでなく、「独立系書店」の先駆けとして、全国に知られる存在になった。

けやき通りのシックな雰囲気にマッチしたブックスキューブリックけやき通り店の外観。2021年に福岡県屋外広告景観賞の優秀賞を受賞した(大井さん提供)

大井さんは著書「ローカルブックストアである―福岡ブックスキューブリック」(晶文社)で「本屋の跡取りでもなく、本屋で働いていたわけでもなく、どうしてもやってみたくて、まったくのド素人から、周りが止めるのも聞かずに強引に始めた店だった」と書いている。

子どもの頃から、本や映画、音楽に浸り、書店や映画館が自分の居場所だった大井さんが同店を開いたのは2001年のことだ。28歳で会社をやめ、イタリアに留学後、大好きだった書店を構える決心を固めた。別の書店でわずか1年間アルバイトをして仕事の流れをつかむと、インテリアデザイナーの妻と内装を考えて、店をオープンした。「店を開いたのも、自分の居場所を作りたいというのが理由です。関心がある分野全般をカバーできるのが書店でした」。約50平方メートルの売り場に並べる本は、開店当初からほとんどを大井さんが選んでいる。

2号店にはカフェやベーカリー、ギャラリーも

2008年には福岡市東区に2号店として箱崎店をオープンした。1階が書店、2階がカフェとギャラリー。カフェは作家のトークショーなどを開くイベント会場にもなっている。カフェのメニューは自分で勉強して増やし、2016年からはパンの販売も始めた。2階に専門のベーカリーが入居する話があったが、これがうまくいかず、結局ベーカリーも自分で経営することになった。

2008年にオープンした箱崎店。カフェとベーカリー、ギャラリーが入る。2階では作家のトークショーなどのイベントを行っている(同)

書店に始まって、カフェ、ベーカリー……。未知の分野に次々に挑戦するパワーはどこからわいてくるのだろうか。

「衝動的というか、イメージがひらめいたら始めてしまう性格なんですよね」。大井さんはそう自己分析する。

中学3年生のとき、突然阿蘇山に登りたくなった。土曜日の夜、自転車で福岡市の自宅を出発しようとしたところを父親に見つかった。「月曜日は学校があるのに、明日1日で帰ってこられるわけがないだろう」と止められた。翌日の日曜日、自転車を積み込んだ車で父親が阿蘇の中岳中腹まで連れて行ってくれた。そこから自転車で中岳に登り始め、父親は車でゆっくり伴走してくれた。交通手段は自転車に車が加わったが、阿蘇に登りたいという衝動がなければ、頂上に立つことはできなかった。

「仕事についてはきちんと企画を立てて一つひとつ手続きを踏むことが大事なのはもちろんですが、最初にイメージしたときのわくわく感がなければ人を動かすものを作るのは難しいでしょう」。大井さんは今の仕事でも、そんなわくわく感を大事にしているのだという。

「ブックオカ」開催 2万人のイベントに!

秋の福岡市の恒例イベントになっている「ブックオカ」も、わくわく感から生まれた。

本好きが集まって、いらなくなった本を段ボール箱などに入れて売る「一箱古本市」を福岡でも開けないか。そんな酒場での話がきっかけで、大井さんらが動き、ブックとフクオカをかけた「ブックオカ」をイベント名にして2006年から開催している。毎年、古本市やトークイベントなど本にまつわる様々な催しを繰り広げ、2万人を集めるイベントに成長した。

2024年に行われたブックオカでは、こんな話があった。

ボランティアスタッフで参加した高校1年生の女子生徒。話を聞いてみると、母親もかつて出店者として参加していて、そのときは、この女子生徒がお腹にいたという。本のイベントが世代を超えて人々をつないでいることを示すうれしいエピソードだ。

若者と本が出会う場所作りが大事

本町文化堂の嶋田さんと同様、大井さんも「若い世代の本離れ、活字離れが進んでいる」という見方に疑問符をつける。

自身が仕掛け人の一人となって2024年10月から11月にかけて「福岡パルコ」で開かれた「BOOK MEETS FUKUOKA~本の森の中へ~」でのことだ。

イベントには、ブックスキューブリックなど福岡県内の独立系書店6店、全国の中小の出版社37社が出展し、約700点の本が並んだ。ほぼ全部の本にPOPをつけた。会場には思いのほか20代の客が目立った。終わってみると、1人あたりの平均購入額は約2800円。1人で2、3冊は買ってくれた計算になる。大井さんは「みなさん1時間前後は会場を見て回っている感じでした。本と出合える場を作れば、若い人も本を手に取り、買ってくれることがわかりました」と振り返る。

本と出合うために足を運んだ書店がどこも同じ、金太郎アメのような品ぞろえでは客に愛想をつかされる。大井さんは、出版社や取次が書店に送る本や冊数を決める現在の「委託配本」のシステムには懐疑的だ。委託配本は売れなければ返本できるが、書店側の利益は少ない。「大量生産、大量消費時代なら、送られてきた本を並べておけば売れたでしょう。モノが売れなくなっているのだから、書店側が客層に応じてターゲットを絞って注文する必要があります。ただ、ぜんぶ買い切りにしてしまうとリスクを抱えることになるので、仕入れる本のうち、どの程度を買い切りにするか、返本可にするのか選べるようになればいいですね」と大井さん。

箱崎店の店内。らせん階段で2階に上がる(同)

ファンクラブを作る構想も

書店を訪れる客の関心を途切れさせないようにするために、大井さんはブックスキューブリックのファンクラブを作ることも考えている。「店を続けていくためのサポーター組織です。会員にはイベントの動画を無料で配信するとか、パンを届けるとかの特典を設けて、お互いに無理のない形で運営していければ」。またひとつ、わくわくが形になろうとしている。