地域で輝く企業

【沖縄発】酒類卸の枠を超え、酒造りに挑みながら地域貢献への道を探る

沖縄県西原町 南島(なんとう)酒販

観光などの第3次産業の盛り上がりに比べて、沖縄の製造業は今ひとつパッとしないとされる。実際、国内総生産に占める製造業の構成比が約20%なのに対し、沖縄県の構成比は約4%。そんな中で、全国的な知名度を誇るのが酒造りだ。特に泡盛は米を原料とした沖縄県特産の蒸留酒で,県外にもファンが多い。それを後押ししているのが沖縄県で酒類卸最大手の南島酒販。しかし、酒販店や飲食店に酒の卸す問屋がどうして酒造りなのか? 1979年に父親が創業した会社を2017年に引き継いだ大岩健太郎社長(42)には、「酒造りを通して、沖縄の製造業の維持発展に貢献したい」という熱い想いがある。

倉庫内に積み上げられた酒類をスタッフといっしょに確認していく大岩社長(左)

那覇空港から約40分、世界遺産の首里城跡からなら20分ほど車で行った沖縄本島東岸に南島酒販の本社はある。公私で沖縄を訪ねる機会は多いが、東海岸に行く機会は少なかった。すぐ近くにはエメラルドブルーの中城湾が広がり、観光地とは違う素顔の沖縄の美しさを見せてくれる。西原町にある本社に加え、川崎市に事務所、そして埼玉県戸田市と沖縄県豊見城市にそれぞれ物流の拠点を構える。

先代の社長のビジネスにかける想いが社内に掲げられていた

「沖縄の役に立つ会社」をモットーに、県内最大手に成長

父親の馗一郎(きいちろう)氏が南島酒販を創業した当時、「つまり1980年前後、沖縄はウイスキー文化の島でした」と大岩社長は話し始めた。沖縄県民ですら泡盛を敬遠するような時代だったという。そんな中、沖縄に根ざした酒である泡盛の販売を社業の中心に据え、消費拡大に合わせて自らの会社も県内で業界最大手になるまで成長。その過程で大切にしてきたのが「沖縄の役に立つ会社でありたい」というモットーだ。

泡盛を最適の環境で保存できる貯蔵庫は、先代の社長が1988年に設けた

もっとも、酒類を取り巻く沖縄の状況は近年、変わりつつある。実際、泡盛の出荷量は2004年をピークに減少傾向が続いている。同じころから、若者を中心に酒離れも伝えられるようになった。しかも、本土復帰の1972年から続いている沖縄県の酒税軽減措置が今年5月から段階的に縮小され、2032年には廃止されることに。「そうした変化に受け身で対応するのではなく、こちらから変化に合わせて先手を打っていかなくては企業としての成長は望めません」と大岩社長は危機感をあらわにする。

多様化する市場を常に先取りした経営を心がける

1982年生まれの大岩社長は地元の高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に進学。卒業後、東京の酒類卸会社を経て、2007年に南島酒販に入社。大岩社長自身、「家業を継ぐつもりはなかった」というが、酒販業界に身を置くことで、消費者の嗜好が多様化する中で停滞する酒類市場の変化を感じてきた。人口減少が進み、酒の消費も今後、劇的に増えることもなさそうだ。「それを座視しているわけにはいきませんでした」

ハブ酒とハーブを掛け合わせ、若者向けの市場を開拓

リキュールの商品名は「HABU」と「HERB」の二つの「H」にちなんで「Double H」とした

それでどうしたか。オリジナルの酒を造り始めたのである。2021年に若者向けにハブ酒とハーブをブレンドしたリキュールを地元の酒造所と共同で開発。「沖縄で地元の若者がハブ酒を飲んでいる」というスタッフの話を聞いて、調べてみると実際売れていた。もっとも、当時のハブ酒はハブを泡盛の入ったボトルに漬けた観光客向けの商品がメイン。そこで13種類のハーブを加えて飲みやすくしたり、パッケージやボトルのデザインを若者向けにしたりして販売したところ、ヒット商品に。「観光客向けと思われていた酒を、沖縄の若者たちが炭酸水で割ったりして好んで飲んでくれるようになりました」。取材後、立ち寄った居酒屋のメニューにもあったので、ハイボールにして飲んでみると、爽やかな飲み口。食中酒としてもいける。東京に戻る際、那覇空港の売店でも200ミリリットル入りの小瓶を売っていたので買い求め、自宅でちびりちびりと楽しんだ。大岩社長はこのリキュールの全国展開や海外での販路も模索している。

幻の酒「粟盛」の再現にメーカーと共同で挑戦

沖縄県内の蒸留所と共同で取り組む泡盛ブランド「Shimmer(シマー)」。幻の酒とされる「粟盛」の再現に取り組む

続いて取り組んだのが、琉球王朝時代に造られていたとされる「粟盛」という幻の蒸留酒の再現。岩手県産の粟などを原料に、沖縄県内の泡盛メーカーと共同で開発し、昨年8月に数量限定で販売した。今年も8月に第2弾となる在来米を使った粟盛の販売を始めたばかり。「メーカーがやってみたいと思っていても、予算面などで難しかったことを後押しすることで、新しい酒造りの可能性を開拓することができた」と大岩社長は挑戦の意義を強調する。酒類卸として酒を消費する現場を知り尽くしており、そこで集めた情報を、酒造りの現場に反映させる。言わば、メーカーのコンサルティングのような役割も果たしている。

 

さらにプロジェクトは続く。沖縄県石垣市にある泡盛メーカーと共同で、沖縄で唯一日本酒の醸造を許可された泰石(たいこく)酒造(うるま市)から事業継承し、日本酒の醸造にも挑戦するという。石垣産米を使って醸造も石垣島で行い、2026年夏ごろまでに販売を始める予定。「日本最南端の酒蔵として、付加価値の高い日本酒を造ってきたい」と大岩社長は目を輝かせる。

泡盛を広く楽しんでもらおうと、「フェス」も開催

泡盛のファンを増やそうと今年4月に那覇市内で開いたイベント。「shimmer fes」と名付け、若者にアピールした

こうした商品開発に加え、若者を中心とした消費者の開拓にも力を入れる。今年4月、那覇市で泡盛の魅力を一般の人に知ってもらうため、泡盛メーカーなどを招いてイベントも開催。泡盛をソーダで割ったり、カクテルにしたりして提供し、消費者に合わせた泡盛の楽しみ方を提案した。「コアのファンから裾野を若者に拡げる試み」と大岩社長は話し、2日間で約1000人が会場を訪れる盛況ぶりだった。

経済産業省の「地域未来牽引企業」や沖縄県の「所得向上応援企業」などにも認定されている

利益の先に見えてくる、地域に貢献する新しい経営

「本格的な人口減少の時代に入り、お酒を飲む量がこれから増えることはないということを前提にしたビジネスを展開していかなければならない」と大岩社長。そうした価値観を共有するメーカーと高付加価値の商品開発を進め、新しいファンの開拓を試みる。そのターゲットは沖縄県にとどまらず、県外や海外も視野に入れる。枠にとどまらない経営の根底には、短期的な利益より、「沖縄の役に立ちたい」という、先代の社長から引き継いだ想いがある。社員の給与アップなど待遇改善にも熱心で、昨年は沖縄県から所得向上応援企業にも認証された。社員やその家族も沖縄社会の一部で、彼らが豊かで健やかに暮らせる環境を提供することも「沖縄の役に立つ」ということにつながるという確信がある。利益優先を超え、地元社会のために何ができるのか――。そこから発想した真摯な取り組みが、地方で企業が輝くためのヒントにもなっている。

南都酒販から北へ車で約20分行った中城城跡。そこから眺める東海岸も真っ青に染まっていた

【企業情報】▽公式企業サイト=https://nanto-shuhan.com/▽代表者=大岩健太郎社長▽社員数90人▽資本金4800万円▽創業=1979年▽「Double H」公式サイトhttps://www.double-h.okinawa/▽ECサイトhttps://shimmer.okinawa/