地域で輝く企業 【地域未来牽引企業】

【地域未来牽引企業】業務用車両に個性施す

車体架装の三友ボディー 取引先との信頼でノウハウ継承


三友ボディーは自動車メーカーが生産したシャーシーに、目的や用途に応じて荷台や装備を取り付ける車体架装を手がける。小型車両の架装で創業し、時代の変化とともにノウハウを蓄積していった。後継者不足など中小企業が頭を悩ませる課題を乗り越え、次の一歩を踏み出すまでに一体、どんな道を歩んできたのだろうか。

ボトルカーで実績

街中で見かける、飲料メーカーのロゴマークが目立つ車両「ボトルカー」。三友ボディーの受注は、清涼飲料水を運ぶ専用トラック「ボトルカー」が約半数を占める。竹平元彦社長は「外から見れば同じ車両に見えるかもしれないが、一つひとつを見るとさまざまな所に工夫や個性が見えてくる」と奥深さを語る。

例えば、缶やペットボトルを収納する内部のレイアウト、ドアの形や取り付け位置、四輪台車の収納スペースなど細かな違いが個性となって表れる。同社は車幅や積載量などさまざまな条件を基に、設計から部品加工、塗装、組み立てまで一貫した体制を構築し、納入先のニーズに応えている。

三友ボディーの起源は1959年に福岡市で創業した「小西ボディー」にさかのぼる。当初は救急車や福祉車両など小型車向けの架装が主体。その後、飲料の自動販売機の普及に伴ってボトルカーの受注が増加。九州を中心に実績を重ねてきた。

小規模ながら着実に歩みを進める中で、のしかかったのが後継者問題。小西ボディー当時の社長が廃業も視野に入れながら譲渡先を探していたところ、ある話が持ち上がった。ボトルカーの納入先である飲料メーカーから飲料製造設備で長年、取引があった三友機器(福岡市中央区)に「小西ボディーを譲り受けてくれないか」と声がかかった。

三友機器にとっては、新規に事業領域を拡大できること、加えて地域の架装メーカーが培ってきたノウハウが地域から失われることへの危機感もあり、受け入れを決断。2012年に小西ボディーは三友機器の子会社となる。14年には新工場を建設、15年に大型車両の架装を得意とする太陽ボデー(福岡県須恵町)と合併し、「三友ボディー」へ社名変更する急展開を見せた。

企業文化の違い乗り越えて

急激な環境変化に対し、文化の異なる企業がどのように融合を進めてきたのか。「それぞれの会社がこれまでに培ってきたいいところを伸ばしながら新しい文化を築く」(竹平社長)ため、二つの取り組みを軸としている。

一つは業務内容の効率化。社内で選抜されたメンバーによって定期的に開く「業務改革会議」は、得手、不得手の洗い出し、部署間での認識の違いが原因となるクレームの撲滅などをテーマに議論を重ねている。その結果、現場では納品前チェックの強化や業務内容のローテーションなど、合併前にはできなかった取り組みを進められるようになった。

一方でこれまでの企業文化を継承する動きも進む。同社は最高で79歳を筆頭に65歳以上のメンバーが顧問として在籍。週3―5日出勤し、ノウハウを伝える役割を担う。竹平社長は「生きた辞書となる方々が数多くいることが今の会社にとって貴重な財産」と語る。

竹平元彦社長

新たな広がり

受注の幅にも広がりを見せる。三友機器がプラント設計で築いた畜産現場とのネットワークを生かし、家畜運搬車の架装にも注力する。運搬効率を高めるためエレベーター付きの2階建て運搬車両を開発するなど、人手不足の深刻さが増す運送業界のニーズに応える動きも進める。

三友ボディーは小西ボディーと太陽ボデーの廃業の危機から一転。畜産業界や飲料業界において取引先との信頼関係を築いていたことが思いがけない出会いをもたらし、今日につながった。「新規開拓とさらなる業務改善で前進する」と力を込める竹平社長。次の時代に向けて企業としての新たな個性を育み続ける。

【企業情報】
▽所在地=福岡県糟屋郡久山町大字猪野878の24▽社長=竹平元彦氏▽設立=1959年1月▽売上高=11億4000万円(17年12月期)