日本経済を読み解くカギは産業立地の歴史にあり チャンスを生かすには?
高度経済成長期にかけて、日本の産業立地政策は、国が適正と考える「産業の地理的配置」に企業・産業を誘導してきた。1990年代後半以降は重要産業の国内立地を通じて地域経済を活性化させ、地域の自律的な発展を図る政策へと変遷を遂げてきた。
時代に合わせて変化する産業立地政策は、今、どんなグランドデザインを描こうとしているのか。
国主導の均衡ある発展 地方への工場移転・分散
日本で産業立地が政策として明確に意識されたのは、高度経済成長期に入った1950年代からだ。1960年代にかけて「太平洋ベルト」と呼ばれた地域に重化学工業を集中立地させることで、高度経済成長を果たした。その一方で、大都市周辺と農山村部の地域間格差が発生。‘国土の均衡ある発展’を目指し、1962年に「全国総合開発計画」が策定され、経済産業省の前身である通商産業省の産業立地政策にも大きく影響する。
代表的な政策が1972年の「工業再配置促進法」だ。過度に工場が集積している地域から工場移転を促し、全国各地で産業が発展した。例えば、福島県いわき市は、内陸型工業団地として、「いわき好間中核工業団地」(現・いわき市好間工業団地)を造成。産業集積が進み、発展を遂げた。高速道路のICに隣接するなど交通の利便性も高く、現在、立地企業は約70社に上る。
‘国土の均衡ある発展’の思想を色濃く反映した1970年代までの産業立地政策は、国が具体的に地域を指定する手法で、都市部から‘地方への工場移転・分散’の視点が強かった。
各地での産業の発展に伴い、産業基盤の整備も進んだ。地下水の過剰汲み上げによる地盤沈下などが深刻な社会問題となり、工業で使う地下水の取水制限を目的とした「工業用水法」が1956年に制定されるとともに、工業用水道の布設がなされていった。また、産業立地政策の基盤となる総合的な工場立地条件について、国が全国規模の調査を行うため、1959年に「工場立地の調査等に関する法律」(現在の工場立地法)が制定された。
地域の主体性の萌芽 地方における知識集約化産業の拠点開発
1970年代の2度にわたるオイルショックは、石油を大量に消費し製品を生産していた重化学工業に打撃を与えた。1980年代から日本の工業の中心が重厚長大産業から、電気機械をはじめとする軽薄短小産業に移り、臨海部だけでなく内陸部にも工場が立地されるようになった。さらに、東京一極集中是正、経済のソフト化への対応を求められ、経済産業省の産業立地政策にも‘地方における知識集約化産業の拠点開発’の視点が加わった。
その代表例は1983年の「テクノポリス法」だ。地域の文化や自然などの資源を生かしつつ、先端技術産業の活力を導入し、「産・学・住」が調和したまちづくりの実現を目指した。当時、まちづくりや学術機関なども考慮した地域開発手法は海外でも注目を集めた。自治体側の熱意もあり、1987年までにテクノポリス地域として、静岡県浜松地域、山口県宇部地域、熊本県熊本地域、岩手県北上川流域など、全国で26地域が指定された。
1980年代~90年代前半までの産業立地政策は、国が指定した条件に合う地域を選定し支援する形で、地域が主体となる側面も出始めていた。これらの政策は、その後の産業集積へ向けた地域ポテンシャルの向上につながっていく。
地域の稼ぐ力を強めて 地域での自発的な産業集積の形成支援
1990年代後半、産業立地政策は‘地域の自立の促進’に移行した。バブル崩壊による企業立地の低迷、円高の進行などにより国内工場の海外移転が相次ぎ、国内産業の空洞化が懸念されていた。大都市も含めたそれぞれの地域が主体的に独自の将来ビジョンを掲げ、既存の産業集積の活性化や新事業創出の促進に向けて取り組むことを目指し、1997年に「地域産業集積活性化法」、1999年に「新事業創出促進法」が制定された。国内の高付加価値産業の創出が待ったなしの状況となっていたためだ。
2001年には、各地域の経済産業局などを中心に「産業クラスター計画」が開始された。地域の産学官連携やネットワーク構築によって、地域の産業発展を目指す政策だ。関西バイオクラスターや九州シリコン・クラスターなど、現在の産業集積につながっている取り組みも多い。
2007年に制定された「企業立地促進法」の系譜をひく、2017年の「地域未来投資促進法」は、業種を制約せず、地域の特性を生かして地域経済をけん引する事業を促進している。製造業のみならず、観光やスポーツなどの産業分野にも着目。地域の稼ぐ力を強めて国内の産業を強化し、付加価値の高い事業創出を掲げている。
近年は、新型コロナウイルスの感染拡大や国際情勢の変化に伴い、サプライチェーン強靱化や経済安全保障に関する国内投資も支援している。
時代の変化と産業構造転換 地域に現れる「変化」の兆し
このような産業構造の転換に伴い、果たす役割を大きく変えようとしている地域もある。戦後の日本の経済成長をけん引した京浜工業地帯。この一角にあるJFEスチール 東日本製鉄所京浜地区(神奈川県川崎市)は2023年9月、高炉の操業を休止し、かつての象徴だった高炉による鉄の生産を終了した。現在、広大な跡地はGXを目指す日本の政策と歩調を合わせて、水素の供給拠点などとして開発する計画が動き出している。
水素やアンモニアは燃やしても二酸化炭素(CO2)を排出しないことから、化石燃料に替わるエネルギー源として期待されている。経済産業省や自治体の産業立地政策の変遷に詳しい一般財団法人日本立地センターの高野泰匡・参与は「産業構造が変化し、再び石油化学コンビナートに光が当たっている。京浜工業地帯のような臨海部のポテンシャルは依然として高い。港湾機能を生かした新しいエネルギー供給の拠点になるはずだ」と注目する。
産業立地に押し寄せる大きな波 好機を生かすには?
高野氏は「国の大きな役割は、自治体が個別企業を誘致する前の段階にある。産業をどのように創出・育成するか、グランドデザインを描くことだ。例えば、九州は半導体関連など、地域ブロックごとに強みを生かして新たな産業配置を考えてもよいのではないか。また、コンビナートなどの跡地や老朽化した工業団地などの産業基盤についても、どのようにリノベーションして活用していくかを考えても良いのでは」と提案する。
日本立地センターに寄せられた産業用地に関する相談件数も近年3割近く増加した。高野氏は「地政学的リスクの顕在化や円安の影響もあり、国内の産業立地自体はバブル期以来、30数年ぶりの勢いがある。産業立地に新たな大きな波が押し寄せている。この波に乗り切れるかどうかが今後の日本経済の行方を決するといっても過言ではない」と言葉に力を込める。
現在、各地で盛り上がる産業立地。その裏側には過去の政策によって発展した産業基盤や産業集積が今も息づいている。これまでの政策の蓄積を生かしながら、経済産業省では‘好機を逃さない産業立地政策’に取り組んでいく。