翻訳家・松岡和子さんがズバリ!シェイクスピアが現代人に刺さる理由
翻訳家 松岡和子さん
2023年5月、広島で「G7広島サミット」が開催された。各国首脳は広島の原爆資料館を訪問。その際にイギリスのスナク首相は、シェイクスピアのセリフを引用した言葉を記帳した。少し長くなるが全文を紹介しよう。
「シェイクスピアは『悲しみは言葉に出せ』と説いている。しかし、原爆の閃光に照らされ、言葉は通じない。広島と長崎の人々の恐怖と苦しみは、どんな言葉を用いても言い表すことができない。私たちが、心と魂を込めて言えることは、繰り返さないということだ」。
シェイクスピアが残した数々の戯曲には、人々の心をつかむ力があり、世界の多くのリーダーたちが繰り返しそのセリフを引用している。そして死後400年以上もたっているのに、今も日本では、シェイクスピアの作品が上演されない年がないほど。そのシェイクスピアの全戯曲37作を完訳するという偉業を成し遂げたのが松岡和子さんだ。松岡さんに、シェイクスピア作品の魅力、そして今もそれと格闘し続ける毎日について話を聞いた。
始まりは1993年の「夏の夜の夢」。今も人々の心をつかむ言葉と出会う
――― イギリスのスナク首相が広島・原爆資料館に残した言葉で、シェイクスピアの4大悲劇の一つである『マクベス』の一節を引用したことがとても印象的でした。
シェイクスピアの言葉がすごいのは、戯曲のストーリーとか時代、場面といったくくりを外しても、現代の広島という場所にぴったりとはまることができる、ということ。
私が東京医科歯科大学で英語を教えていたころ、アメリカの雑誌『タイム』の1ページをコピーして学生に配り、訳させる、ということをしました。ニュース雑誌の『タイム』は政治や経済、国際問題などの記事がたくさんありますが、シェイクスピアを引用した記事が必ず一つはありました。それほどシェイクスピアの言葉は、アメリカやイギリスでは一般的な教養として根付いているのだと実感しました。
ハムレットは、現代人の苦悩が描かれている、とよく言われますが、作品が書かれたのは1601年ごろ。関ヶ原の戦いが行われたころにできたものなんです。それが現代の日本でもたびたび上演されている。ほんとうにすごいことだと思います。
――― 松岡さんがシェイクスピアの戯曲翻訳を手掛けられたのは、1993年からですね。
東京女子大に在学していたころから、シェイクスピアは難しくて、苦手にしていて、なるべく避けるようにしてきたのですが、なぜか追いかけられるように、シェイクスピアとのご縁ができてしまって…。
1993年に演出家でシアターコクーンの芸術監督を務めていた串田和美さんから、『夏の夜の夢』の新訳を頼まれたのが始まりです。同じころに東京グローブ座からも『間違いの喜劇』の新訳を依頼され、こちらの方が、上演予定が早かったために先に翻訳しました。そして蜷川幸雄さんが芸術監督として、彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピアの全戯曲を上演することになり(蜷川の死去により、2017年以降は吉田鋼太郎が演出を務めた)、その新訳を蜷川さんから頼まれたのです。
手書きで原文を書き写し、主語と述語を整える…。一つひとつの文章と格闘するように
――― 松岡さんは、小説や評論、現代劇の戯曲などの翻訳も手掛けられていますが、それらとシェイクスピア作品とは何か違いがあるのでしょうか。
小説にしても評論にしても、単語や文章にさまざまな意味が込められたり、韻を踏んでいたり、一定のリズムがあったりします。でもそこに多層的なイメージはありません。演劇の場合、ギリシャ悲劇からフランス演劇につながる正統的な演劇の系譜では、「三一致の法則」ということが貫かれています。つまり同じ時間、せいぜい24時間以内の、ある決まった一つの場所で、筋が一つの物語が展開する、というものです。
ところが、シェイクスピアには、そんな法則はあてはまりません。劇中で進行する時間は何年にも渡ることがあり、場所も転々、いくつもの筋がからまっている。また、シェイクスピアのセリフは多様な意味の層、イメージの層、韻や弱強のリズムなどの音韻の層がまるでバウムクーヘンのように重なっています。だからそのすべてを盛り込んだ日本語に置き換えるのは不可能です。どれか二つか三つを選び、他をあきらめなくてはいけないのです。
――― どのようにしてシェイクスピアのセリフを日本語に置き換えているのか、具体的に教えてください。
シェイクスピアの戯曲には、編注者の解釈によって差異のあるさまざまな版があります。翻訳の底本にしたのはアーデン・シェイクスピア版ですが、まずそれ以外の手に入る限りの原文のテキストをそろえて参照します。そしてシェイクスピア本人よりも多く、原文を紙に書き写します。そのとき使うのは、シャープペンシル。4B、0.9ミリの柔らかい芯を使って書いています。
シェイクスピアの文章は、「弱強」のリズムで構成され、韻が踏まれ、さまざまに修飾する言葉で飾られ、ときには主語と述語が倒置されています。だから普通の言葉の流れとは語順が違う場合もあります。まず原文を書き、次に主語と述語を整えて書き、それから修飾している言葉を取り除いていきます。そうして何回も書いているうちに「骨」の部分だけ残ります。ややこしい文章もこの方法なら単純化できます。
もともとシェイクスピアは羽ペンを使って手で書いていたはず。だからこうして手を使って書いているうちに、シェイクスピアの思考が頭に伝わってくるような気がしています。一つひとつの文章にそうやって、まるで格闘するように取り組んできました。それで気が付いたら28年もたっていました。
観客に届いて初めて完成――。俳優の読みの深さに感銘することも
――― 松岡さんはよく、戯曲は翻訳しただけでは完成ではない、とお話しされていますね。
はい。戯曲というものはただ文章を目で追って読むものではなく、演出家の注文があり、俳優が言葉として発し、観客に届いて初めて完成するものです。演出家や俳優の皆さんとともに作り上げていく、という感覚です。だからその上演前の稽古場には必ず通っています。
戯曲の翻訳は良くて当たり前。いわば建物の土台です。「良い家ですね」「このデザインは良いですね」とか言われることはあっても、誰も土台をほめたりしません。
――― 俳優から指摘されて印象に残っていることは何かありますか。
『ハムレット』で、恋人のオフィーリアが、父の言いつけに従って、ハムレットから贈られた物を返しながら語る場面があるのですが、そこが何かしっくりとしない感じがしていました。
1998年、蜷川さん演出の『ハムレット』ロンドン公演に、私もご一緒させていただきました。そのとき、オフィーリア役の松たか子さんにこの場面のセリフについて意見を聞いてみたのです。すると松さんは「私、それ、親に言わされていると思ってやっています」と言ったのです。思わず、ハッとしました。
すぐに原文を確認すると、そこのセリフだけ、父親のポローニアスのセリフとそっくり同じ文体だったのです。言葉の選び方、韻の踏み方、リズムがすべて父のセリフそのままでした。それはショックでしたね。私は十数人の登場人物がいたら、その十数人になって訳しているのですが、一つの役になりきる俳優の読みの深さにはかなわないなと思いました。
今も更新し続ける日々。「完成はない」「納得できているのは2行だけ」
――― 全戯曲の翻訳を完結したことは大変な労力だったと察します。翻訳を終えた達成感のようなものはありますか。
「次に何をやるのですか」とよく聞かれますが、次なんてありません。今も、シェイクスピアに取り組んでいる毎日です。これまでの自分の訳で納得できているのは2行だけです。
一つは『夏の夜の夢』の、ボトムという男のセリフ。「底なしの夢だからな」と訳したのですが、カットされてしまった。「ボトム」は男の名前であり、単語としては「底」「基底」といった意味が込められています。串田さん演出の舞台で千秋楽(最終日)になって突然、「ボトムなし、ぼーっとむなしい」という言葉が思い浮かびました。それで再演のときに入れてもらいました。
もう一つは『ハムレット』。父王の死後、おじである父の弟クローディアスが、ハムレットの母と結婚し、新しい王位につきます。義父となったクローディアスについてハムレットは「近親関係は濃くなったが、親近感は薄まった」と語ります。原文では「kin」「kind」となっている言葉について「近親」「親近」を思いついたのがつい先日のことです。『ハムレット』を訳したのは1995年ですから20年以上もたってようやく思いつきました。セリフの疑問点は常に頭のどこかで考えています。そんな風に、シェイクスピアの翻訳は常に更新中。これで完成ということがありません。
60歳で乗馬、78歳からはテニス。「さらに良いものに」と強い思い
――― 今年で82歳ですが、背筋が伸びて大変お元気ですね。健康維持のために何かやっていますか。
60歳で乗馬を始めました。乗馬は体幹が鍛えられます。馬を趣味にして友達ができましたし、先日亡くなりましたが、そばにいてくれた猫たちも乗馬クラブからもらってきました。乗馬は私の人生にいろんな彩りを添えてくれています。
そして78歳でテニスを始めました。ある人から「78歳でテニスを続けている人は何人かいるけど、78歳から始めた人は松岡さんが初めて」とも言われました。シェイクスピアをさらに良いものにしていくには、倒れるわけにはいきません。体を丈夫にしておかなくては、と思っています。
【プロフィール】
松岡 和子(まつおか・かずこ)
翻訳家、演劇評論家、東京医科歯科大学名誉教授
1942年生まれ。東京女子大学文理学部卒業。東京大学大学院修士課程修了。大学卒業後、劇団「雲」の文芸部研究生を経て、大学院へ。小説や戯曲の翻訳家となる。1993年に『間違いの喜劇』を訳したのを最初に、シェイクスピア全戯曲の新訳に取り組むようになり、2021年に完結させた。個人でのシェイクスピア全戯曲完訳は、坪内逍遥、小田島雄志に続いて3人目。2020年、文化庁長官表彰。21年、菊池寛賞受賞。同年、毎日出版文化賞受賞。2022年、朝日賞受賞。