政策特集好機を逃さない産業立地政策 vol.2

「産業の血液」を確保せよ!産業立地政策を左右する工業用水。老朽化にどう向き合う

工業用水は、製造業などにおける企業の生産活動に必要不可欠であり、「産業の血液」とも呼ばれている。日本では、1950年代から高度経済成長期にかけて、工業用の水道施設が数多く建設され、豊富で安価な工業用水を供給し、産業の発展、地域経済の振興に大きな役割を果たしてきた。

一方で、工業用水道施設で毎年のように漏水などの事故が発生しており、老朽化が深刻な問題となっている。

近年、国内各地で半導体製造拠点の立地や増設計画が進んでいるが、そこには大量の良質な水が欠かせない。工業用水の確保は、国内投資の呼び込みという観点から、今後も産業立地政策を左右する。

今回は「水」から、産業立地政策の課題について考える。

愛知県豊田市で大規模漏水事故。耐用年数超え施設が急増

2022年、愛知県豊田市にある矢作川の取水施設「明治用水頭首工(とうしゅこう)」で、大規模な漏水事故が発生した。

5月17日、水が地中を通って下流に流れ出たことで、取水口よりも水位が低くなり、水を取り込むことができなくなった。このため、供給を受けている一部事業所で生産活動に影響があった。工業用水は19日に再開したものの、元の供給量に戻ったのは、3か月以上たった8月下旬だった。

「頭首工」とは、川の水を堰き止めることで水位を上げ、用水路やパイプラインに農業用水や工業用水を送るための施設だ。明治用水頭首工は1958年に完成、そこから取水した「西三河工業用水」は、トヨタ自動車など製造業が集積する9市3町の事業所、発電所などに供給され、地域の産業を支えてきた。

現在、漏水箇所の上に立つ堰柱などを撤去し、基礎から再構築する復旧工事が進められており、工事の完了は2025年度中になる見通しだ。

明治用水頭首工の全景(上流より、2024年5月8日撮影、東海農政局提供)2024年4月末までに、漏水が発生した左岸側の端にある堰柱などの撤去が完了。6月から9月の出水期に備え、治水上の観点から仮締切の撤去を行っている。10月から、撤去した堰柱を再構築するため復旧工事を再開する予定で、2025年度中の完了を目指している。

老朽化した工業用水道施設での漏水が、企業の操業に影響する事例は、ほぼ毎年、発生している。また、近年は大雨などで工業用水の施設が被災する事故も発生し、災害に備えた強靱化の重要性も増している。

工業用水道事業者の大部分は自治体だ。総務省のデータによると、2021年度で法定耐用年数(40年)を超えた工業用水の管路(導水管、送水管、配水管)は48.3%で、上水道(22.4%)の2倍を上回っている。さらに、それぞれの事業者が策定している計画に基づいて順調に更新・耐震化工事が行われたとしても、30年後には70%以上が法定耐用年数を超えると想定されている。

施設維持のために必要な「資金確保」と「ダウンサイジング」

過去10年間の工業用水道事業における年間平均投資額は約500億円だ。それに対し、現在から2050年度までに、更新のために必要となる年間平均投資額は、経産省の試算で約1000億円に上る。

一方で、産業構造の変化などにより、工業用水の需要は減少傾向にある。1997年度と比べて2022年度の平均実給水量は約18%減っており、今後もこの傾向は続くと見られている。全国の工業用水道施設の稼働率も1970年代の約70%をピークに減少し、2022年度では約50%まで低下している。

工業用水道事業者は、施設の更新や強靱化に向けた財源を確保しつつ、不必要なランニングコストを減らすため規模の適正化(ダウンサイジング)に取り組む必要に迫られているのが現状だ。

今こそ工業用水道事業者も経営健全化を 青学大・山口教授が提言

工業用水の持続的な事業経営には何が求められるのか。産業構造審議会(経産相の諮問機関)工業用水政策小委員会の委員を務める青山学院大学大学院会計プロフェッション研究科の山口直也教授に聞いた。

工業用水道事業者の経営健全化に向けた、国の積極的な支援が必要と語る山口直也・青山学院大学大学院教授

――― 工業用水道施設の老朽化が進んでいます。これまで計画的な老朽化対策が十分に行われてこなかったのはなぜでしょうか。

山口 以前は施設の劣化が顕在化していなかったため、「ライフサイクルマネジメント」の重要性がそれほど認識されてこなかったこと、老朽化対策よりも新規整備や規模拡大の方が、優先順位が高かったことが挙げられます。さらに、ICT、IoT、ビッグデータ、AI、RPA(ロボットによる業務自動化)、クラウドといったデジタル技術が未発達だったことにより、計画保全や効率的な改築・更新に資する技術がそれほど開発されてこなかったことが理由と考えられます。

――― 事業者を対象にしたアンケートでは工業用水の強靱化に向けた最大の課題は「財源不足」となっています。なぜ多くの事業者が財源不足に陥ったのでしょうか。

山口 最大の問題として、工業用水道事業者が、更新時に想定される投資額を踏まえた費用を料金に盛り込めておらず、長期間にわたって料金単価が低く設定されてしまったことがあります。

多くの工業用水道事業者が、過去の資産取得原価に基づいた費用(減価償却費)を組み込んだ料金の算定を行っています。しかしながら、この方法では物価水準が大幅に上昇するといったコストの変動に対応できず、改築や更新に必要な資金を手当てすることができません。今後は、更新時に想定される投資額の見込みなどをある程度、総括原価の算定に組み入れて、効果的な投資を行う財源を確保できるようにする必要があります。

2013年には、経済産業省により、工業用水道事業者の算定する料金について、将来にわたり必要な規模で事業を維持できるよう、関連する施設の建設、改良などに充てる「資産維持費」を計上することが認められました。ただ、資産維持費の導入は義務ではなく、各事業者の判断となっています。受水事業者との関係上、料金改定(値上げ)ができない、すなわち資産維持費を導入することができないために必要な財源を確保できない工業用水道事業者が多く、この状況は続くものと思われます。

「ウォーターPPP」で民間の先端技術、ノウハウ活用と効果的な計画が不可欠

――― 山口先生は、水道関連事業の官民連携を進める「ウォーターPPP(Public Private Partnership)」の積極的な活用を呼びかけています。どのような利点があるのでしょうか。

山口 「ウォーターPPP」とは上水道、工業用水道、下水道を対象とした官民連携方式です。「コンセッション方式(自治体が公共インフラの所有権を保有したまま、運営権を一定期間民間企業に売却すること)」と、コンセッション方式へ段階的に移行するための「管理・更新一体マネジメント方式」を合わせたものであり、「長期契約」「性能発注」「維持管理と更新の一体マネジメント」「プロフィットシェア」という4つの要件を定めています。

民間事業者に委ねることで、長期的な視点から、適正な修繕や改築・更新のタイミングを設定することが可能となります。また、必要な性能や業務の水準のみを発注側から提示する「性能発注」で、民間事業者の裁量を拡張するとともに、契約時に見積もった費用が企業努力や新技術導入で削減された場合に、その削減分を官民で配分する「プロフィットシェア」により金銭的インセンティブを高めることによって、民間事業者が有するデジタルなどの先端技術やノウハウを効果的に活用することが可能となります。これにより、運転管理の効率化だけでなく、より効率的かつ効果的な長期的改築更新計画の策定と実行が期待されます。

――― 工業用水道事業者の経営の効率化・合理化や収益確保に向けて、国はどのような支援や取り組みのインセンティブとなるような制度を設けていく必要があるでしょうか。

山口 工業用水道の基盤維持のためには、適正な料金設定と工業用水道事業者による経営努力が不可欠です。

適正な料金設定については、一層の経営努力と効率的かつ効果的な長期的改築更新計画の作成を前提として、適正な「資産維持費」を設定し、工業用水道事業者が必要な財源を確保できるようにする必要があるでしょう。
工業用水道事業者による経営努力については、まずはキャパシティの最適化や収益力の向上に向け、効果的な計画を策定することが不可欠です。そのために国は、策定にあたってのガイドラインや、アドバイザリー支援、計画の評価に基づく国庫補助の傾斜配分といったインセンティブを付与することが考えられます。

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経済産業省は 、工業用水道事業者に新たな実効性のある計画策定を促すため、需要動向に見合った施設の規模縮小や、価格改定などについて盛り込んだ「工業用水道施設 更新・耐震・アセットマネジメント指針」の改訂を予定している。同時に、将来にわたる工業用水道事業のサステナビリティ確保に向けた今後の方策について検討を行い、年内をめどに結論を得る方針だ。