政策特集拡張する介護領域 vol.3

認知症とともに歩む!オレンジイノベーション・プロジェクトが目指す共生社会とは

国内の認知症患者は2025年、700万人に達するとされている。65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症を発症する計算となる。2024年1月には、認知症の人たちと共に人格、個性を尊重し合う「共生社会」の実現を目指して、「認知症基本法」が施行された。

「認知症の人が住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けるために、必要なものは何か」

そんな問題意識から、認知症の人たちのニーズを正確に捉えた製品・サービスをつくり出そうと経済産業省が展開しているのが、「オレンジイノベーション・プロジェクト」だ。

「認知症がごく当たり前の社会」を生きている今、企業の製品・サービス開発の新たなスタンダードをつくり出せるか。キーワードは「当事者参画型開発」だ。

「当事者参画型開発」で認知症当事者と企業がタッグ

当事者参画型開発とは何か――。オレンジイノベーション・プロジェクトを推進する日本認知症官民協議会のワーキンググループが2023年3月に公表した「当事者参画型開発の手引き」では、「認知症の人が企業の開発プロセスに『参画』し、企業と『共創』を行う」ことだと説明している。

企業による一方的な意見聴取や観察ではなく、認知症の人が、協力する意思を持って製品・サービスの開発プロセスに「参画」することが重要になる。これにより、企業側からすれば、製品・サービスに対するフィードバックやアイデアを直接得ることができ、開発プロセスを迅速化できるなどの社内的な効果とともに、企業イメージの向上や投資家からの評価といった対外的な効果も期待できる。一方、認知症当事者にとっても、社会参画の機会が得られ、欲しい製品・サービスが手に入れやすくなる。

経済産業省ヘルスケア産業課の小栁勇太課長補佐は、「認知症当事者にとって、欲しい製品・サービスが手に入りやすくなるのはもちろんですが、当事者が社会と関わり、貢献することでポジティブになれる可能性がある。そこがポイントだと思います。企業にとっては、単なる社会貢献ではなく、ビジネスとして継続していけることが重要です」と語る。

2023年度は、公募により17の企業・団体を実践企業に採択。福岡市と連携して取り組む3社とともに計20の企業・団体が、当事者参画型開発に取り組み、そこから得られた経験・ノウハウを共有した。2024年度には更に参加企業・団体数を増やして、実践例を積み上げていくという。

認知症の人が使いやすい集音器。当事者の声集め更に改良

実践企業からは、成果が生まれ始めている。

音響機器メーカー「ユニバーサル・サウンドデザイン」が開発・発売した、難聴者用の次世代型集音器「コミューンポケット」もその一つだ。

開発にあたったのは、創業者で聴脳科学総合研究所の中石真一路所長。レコード会社出身の中石所長は、父親と祖母が難聴だったことから、難聴者が使いやすいスピーカーシステムの研究に携わってきた。

国立長寿医療研究センターの調査によると、難聴を患う人は65歳から急激に増え始め、75~79歳では男性71.4%、女性67.3%、80歳以上では男性84.3%、女性73.3%に上る。認知症の人は、半数が難聴を発症しているとも言われ、様々な行動の異変が認知機能の低下によるものか、難聴によるものか判断が難しく、難聴の影響は軽視されているという。

コミューンポケットはこうした現状を踏まえ、長年の研究の成果として誕生した。比較的高額で使用までに3か月程度の調整が必要な場合もある補聴器と比べ、割安で調整の必要がなく、認知症の人にも使いやすいという。

ユニバーサル・サウンドデザインはさらに、東京都内の施設などで利用者やその家族からヒアリングを実施。「今まで聞こえなかったいろいろな音が聞こえた」「他の人とコミュニケーションがとれるようになった」といった評価の声があった一方、「操作が難しい」「文字が小さすぎる」などの改善点の指摘もあった。軽度認知症の男性の家族からは、「集会で普段飲まないお酒を飲むなどコミュニケーションに変化があった。ただ、本人がうまく装着できずイヤホンが外れやすかった」といった声が届いた。こうした声を反映させるべく、更に改良を進めていくという。

中石所長は「自身の経験として『聞こえにくさ』は、家族間のコミュニケーションに大きく影響します。私たちの開発したシステムが少しでも患者さんと家族のより良い暮らしに寄与できればと思います。そのためにも、認知症当事者の声を聞いて、共に取り組んでいきたい」と話している。

認知症の人にも使いやすい「コミューンポケット」

歯みがきに必要な動きを徹底分析。お口のケアで認知症当事者の健康守る

大手生活用品メーカー「ライオン」は、お口のケアを通じて社会や環境課題に向き合っていく活動「インクルーシブ・オーラルケア」に取り組んでいる。その一環として進めているのが「認知症フレンドリーな製品・サービスの開発」だ。

実は、歯みがきには高度な認知機能が求められる。ハミガキをハブラシに付けるには、ハブラシの前後左右、ハミガキを持つ高さを認識する必要がある。さらにハミガキを出すといった動作が加わる。認知症の当事者宅で開催したワークショップでは、ハブラシの持ち方が正しくない、くるくる回してしまう、戻すときに逆さに差してしまうといった行動が確認されたという。

認知症の当事者宅で開催されたワークショップの様子

現在、「認知症世界の歩き方」の著者でデザイナーの筧裕介さんと共同で、認知症の人が使いやすいハブラシの開発を進めている。

ライオン・オーラルケア事業部の小西真梨さんは「認知症の症状は100人いれば100通り。暮らしの中での困りごとはたくさんありますが、私たちは歯みがき行動の困りごとに対して役立つ製品・サービスを、当事者に寄り添い考えていきたい」と語る。

ライオン提供

有望市場を開拓せよ。ビジネスで創造するスタンダード

この他にも、認知症の人にも使いやすく安全なガスコンロ、かかと、左右前後がなく履きやすい靴下など多様な製品やサービスが生まれている。こうした動きを更に加速させようと、経済産業省としては、当事者参画型開発を通じて発売された良質な製品・サービスや、開発に携わった個人やチームなどを表彰する「オレンジイノベーション・アワード(仮称)」の実施なども検討している。

「当事者参画型開発」は新たなスタンダードになっていくのか――。小栁課長補佐は、こう強調した。

「現在、算定中ですが、認知症の方々にユーザーフレンドリーな製品・サービスの市場は相当規模の大きさになります。企業にとっては、その市場でビジネスできるということです。社会貢献の枠組みではなく、この市場で企業がビジネスとして競い合うことが、『共生社会』の実現につながる。そういう世界を作り上げていきたいと思っています」