地域で輝く企業

【北海道発】なぜ「松尾ジンギスカン」は愛される?伝統のタレだけではない人気の秘密

マツオ 北海道滝川市

北海道の名物料理と言えば、ジンギスカンを思い浮かべる人は多いだろう。観光客にとっては定番の人気グルメだが、北海道民にとっては、仲間が集まると一緒に鍋を囲んで食べたくなるというまさにソウルフードである。

ジンギスカンの歴史は、大正時代にさかのぼる。第一次世界大戦をきっかけに、日本で羊毛の輸入が難しくなり、北海道で羊の本格的な飼育が始まった。毛を刈り終えた後の羊をどうしたらおいしく食べられるかを考えた結果、ジンギスカンが誕生したという説が有力である。

1956年創業のマツオは、ジンギスカンが北海道に普及するうえでのキープレイヤーであった。ジンギスカンを提供するレストランを積極的に展開するとともに、スーパーマーケットなどを通じて羊肉を販売し、家庭の中にもジンギスカンを定着させた。

「松尾ジンギスカン」として運営する直営レストランは、現在は14店と、意外なほどに絞り込まれている。しかし、その姿は、決して衰退ではない。伝統の味を磨きながら、持続可能な企業へと変貌している。

マツオが運営する松尾ジンギスカンの看板メニュー。肉は焼き、野菜は煮るのがポイントで、「じゅうじゅうぐつぐつ」をキャッチコピーにしている

味付きジンギスカン発祥の滝川で創業。秘伝のタレは完成に10年

ジンギスカンには、羊肉を味の付いたタレに漬け込んでから焼く方式と、羊肉を焼いた後にタレをつけて食べる方式がある。道内の羊の一大生産地であった滝川と札幌・月寒にそれぞれ由来をもつ。滝川で創業したマツオは、前者の流れをくんでいる。

家畜商を営んでいた創業者の松尾政治氏は、羊の生産者組合に振る舞われたジンギスカンに感激し、「これは商売になる」と思いついた。地元の名産品であるタマネギやリンゴに、ショウガやしょうゆなどを加えたタレを10年間かけて完成させた。タマネギとリンゴは作り置きせず、ジュースにして仕込むのがポイント。70年近くすぎた今も、レシピは変わらない。漬け込んだ羊肉を量り売りする店として、マツオはスタートした。

創業した当時の松尾ジンギスカン

北海道の花見シーズンである5月になり、あるアイデアで浮上の糸口をつかんだ。公園にいる花見客のもとへ、羊肉と一緒に、羊肉を焼く七輪と鍋を貸し出すサービスを始めたのである。園内で立ちこめるジンギスカンの香りが、注文を次々と引き寄せた。

高度成長期にレストラン網を拡大。キダ・タロー氏のCMソングが道民に浸透

高度経済成長の波に乗り、レストランの店舗網を道内各地に広げた。その過程で、オリジナルのジンギスカン鍋の開発にも乗り出した。高く盛り上がっている中央部に対し、羊肉からあふれ出る肉汁をためられるように周辺部に溝を設けたのである。この溝で、もやしやタマネギ、にんじん、ピーマンなどの野菜、あるいはうどんや餅などを煮込んで食べる。これが人気を決定づけた。

滝川は交通の要所で、各店舗に羊肉を輸送しやすかったことが味方し、店舗数はピーク時には300近くに及んだ。キダ・タロー氏に作曲を依頼したテレビCMも評判を呼び、「松尾ジンギスカン」は北海道民にとって、ごくごく身近な存在となった。

▶キダ・タロー氏が作曲した「松尾ジンギスカンの歌2016年ver」(YouTube 松尾ジンギスカン公式)

幹線道路沿いには、数百席規模のドライブインを開いた。飲食だけでなく、北海道名物の「木彫りの熊」に代表される土産物が勢いよく売れていった。

ブランド再構築に着手。「思い出づくりに貢献」をビジョンに

マツオでは現在、政治氏の孫にあたる松尾吉洋氏が2014年から社長を務めている。父の急逝を受け、大学を卒業したばかりの松尾社長が入社したのは1999年。マツオは当時、重大な岐路に立っていた。

マツオで4代目となる松尾吉洋社長。北海道に根ざしながら、ジンギスカンを世界に発信することを目指す

各地のレストランは、親戚らへの「のれん分け」という緩い形で展開されたこともあり、メニューやサービスなどで統一性に欠けていた。直営店でも「松尾ジンギスカン」と「まつじん」という店舗名が混在する状況。消費者への高い認知度を業績に取り込めずにいた。

松尾社長は、社長就任前からブランドの再構築に力を入れた。社内外でアンケートを実施したり、マーケティングの専門家に支援を仰いだりした。

北海道では、花見や野球大会、清掃活動、農作業を終えた後、工事が完了した際など、ことあるごとに、人々がジンギスカン鍋を囲む。ジンギスカンは、人々の幸せや笑顔とともにあることに思いが至った。

そこで、松尾ジンギスカンとしてのビジョンを「家族や仲間との思い出づくりに貢献し続けること」などと制定。「漬け込み&煮るスタイル」「肉も野菜もうどんもおいしい」「にぎわいがうまれる」などが松尾ジンギスカンのバリューであると定めた。

経営改革次々と。店名統一、パッケージ変更、鍋も刷新

あるべき「松尾ジンギスカン」の姿に向かった改革が進んでいった。

レストランの店名は「松尾ジンギスカン」に統一した。新たなのれん分けは原則的に廃止し、直営店舗で均質なサービスが提供できる体制を整えた。屋号のロゴや、小売店で販売する羊肉を詰めた製品パッケージのデザインも一新した。時代の変化により観光の中心が団体客から個人客に移る中で、転換期を迎えていたドライブインの事業は売却した。

スーパーマーケットやネット通販などで販売している味付け肉。「松尾ジンギスカン」ブランドの再構築に伴い、パッケージデザインを一新した

2022年には、25年ぶりに鍋の形を刷新した。周辺部の溝の幅を2.5cm広げて6cmにした。もっとたくさんの野菜などを煮込めるようにすることを狙った。

松尾ジンギスカンで使用する鍋。現在の6代目(右)は5代目と比べ、溝の幅が広い

札幌、東京での出店を重視。自社生産の肉を使った羊料理専門店を構想

マツオは次の成長ステージに入ろうとしている。

レストランの出店では、人口の多い札幌や東京を重視している。2019年に東京の商業施設「渋谷パルコ」内にオープンした店舗は、利用客が自ら羊肉を焼くのではなく、厨房で調理した料理を提供する新業態にした。ビジネスパーソンや1人客など顧客層の拡大を狙っている。

滝川で唯一生産を担っていた羊の牧場を2016年に引き継ぎ、「松尾めん羊牧場」として運営している。飼育しているのは、肉質の高さで知られるサフォーク種。生産量は少ないが、牧草地の青草ではなく、屋内で穀物飼料をえさとして与えることで、臭みの少ないラム肉にして、通販などで販売している。

マツオが運営する「松尾めん羊牧場」(北海道滝川市)

滝川産の羊肉を使って、ジンギスカン以外の幅広い羊料理を提供する専門店を東京都内に開くことを計画していた。コロナ禍により、オープン目前で白紙に戻ったが、構想は継続中である。

M&Aで多角化推進。「伴走型支援事業」で新規プロジェクトの進め方を学ぶ

「マツオ」という企業を考えると、ジンギスカン頼りには危うさもある。羊肉は仕入れ先がオーストラリアとニュージーランドにほぼ限られ、調達のリスクが無視できない。

経営の多角化を図ろうと、M&Aによって、中華料理店などを展開する「点心札幌」と、カフェを運営する「山下館」を取得した。「ノウハウや人材など他社から吸収できる点は多い」(松尾社長)として、新たなM&Aにも前向きで、北海道外の企業や、外食産業以外の企業も含めて、対象を検討している。

2022年度には、経済産業省北海道経済産業局による「伴走型支援事業」に手を挙げた。マツオの幹部が官民合同の専門家チームと対話を重ねながら、経営課題の洗い出しから、成長に向けた解決策に至るまでをじっくりと議論した。具体的には、大豆ミートなどの代替肉をジンギスカンで活用する可能性を調べた。現実的にはハードルが高いことが分かったが、新規プロジェクトの進め方など多くの点を学んだ。

「地元に愛されてこそ」。小中学校やJ1札幌にジンギスカン食材を提供

かつてなく大きく羽ばたこうとしているが、マツオの視線の中心には、北海道がある。

滝川の羊牧場の運営を引き受けたのは、「地域の羊文化を守りたい」という思いが先行したものだった。2015年度からは、地元の小中学校にジンギスカンの食材の提供を始め、2023年度はその量は約1000kg分に達する。2023年にはサッカー・J1リーグの北海道コンサドーレ札幌とクラブパートナー契約を結び、食材提供などでも支援している。

松尾社長は、「レストランを東京に展開していますし、観光客も大切ですが、松尾ジンギスカンは地元の人間が行くところではないという状況になりたくありません。地元の方々に愛されてはじめて、マツオを次の世代につなげていくことができるのです」と語る。

北海道滝川市にある松尾ジンギスカン本店。ジンギスカンファンにとっては「聖地」である

【企業情報】▽公式サイト=https://corp.matsuo1956.jp ▽社長=松尾吉洋 ▽創業=1956年 ▽売上高=約25億円 ▽従業員数=約200人(パート含む)