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日本の漁場に異変。磯焼けで危機が迫る水産物のJAPANクオリティ

北三陸ファクトリー代表 下苧坪之典さん

青森県と岩手県の県境に位置する岩手県洋野町。“北三陸”と呼ばれるこの海岸線には、かつては豊かな海藻が生い茂り、ウニをはじめとする多くの海産物が水揚げされていた。だが、温暖化や環境の変化によって海藻が著しく減少する“磯焼け”などの影響で、徐々に漁獲量は減少。明治時代から続く水産業の家系に生まれた下苧坪之典さんの父も、1994年に廃業を決心した。

そんな転換期にある日本の水産業に、家業を継ぐのではなく、ゼロから始めることで、いま目の前で起こっている課題にダイレクトに向き合おう――そうした思いから下苧坪さんは、2010年にひろの屋を起業。2018年には「ウニ再生養殖」事業に取り組む北三陸ファクトリーを起ち上げ、オーストラリアなど海外への事業展開も進んでいる。

水産業を取り巻く課題を解決し、日本の海の豊かさを取り戻す「ウニ再生養殖」とはいかなるものなのか? 下苧坪さんに聞いた。

約15キロメートルの海岸に計178本存在する「増殖溝」。ウニ牧場はこの特殊な地形を活用している

ウニが海藻を食べ尽くす“磯焼け”。日本の「藻場」は30年で半減

――― 下苧坪さんは大学を卒業後、家業の水産業を継がずに保険や自動車のディーラーをしていたそうですね。それが一転、14年前に地元・洋野町に戻り、ゼロから起業された。その理由はなんですか?

今、日本の水産業が危機に瀕しているからです。その原因の一つが、“磯焼け”です。磯焼けとは、海藻が急激に減る現象を指しますが、海藻が生い茂る“藻場”はさまざまな海産物を育む土壌の役割を果たしているので、磯焼けの起こった海からは豊かさが失われていくことになります。北三陸をはじめ、日本各地でこの磯焼けの被害が深刻化しており、日本の藻場は過去30年で半減したとも言われています。

――― なぜ磯焼けが起こるのですか?

もっとも大きな要因は、ウニによる食害と言われています。温暖化によって、通常は食欲が減退するはずの冬場のウニが活性化し、海藻の新芽を食べ尽くしてしまうのです。

磯焼けの起こった海からは、豊かさが失われ、そこで育ったウニもやせ細って身が詰まっておらず、ほとんど廃棄物と同然のマイナスの価値しか生み出しません。この悪循環を放置していれば、日本の水産業はダメになってしまう。そんな思いから起業を決意しました。

種市漁港、旧江戸ヶ浜の“磯焼け”。ほとんどのウニがやせ細り、身が詰まっていない

マイナスをプラスに。水産業のイノベーション「ウニ再生養殖」

――― 磯焼けを生む厄介者であるウニの養殖。一見、矛盾しているようですが、どういったビジネスなのでしょうか?

ウニをそのまま放っておくと海藻を食い荒らすので、磯焼け海域にいるウニをカゴに入れて人工飼料によって育てる「ウニ再生養殖」という方法を北海道大学と共同で研究・開発しました。生育環境を管理することで食害を防ぎつつ、栄養価の高いエサを与えることで、身の詰まった高品質のウニを生産する。つまり、海の生態系の回復とウニ自体の商品価値の向上を同時に推し進められるのです。

――― まさにマイナスをプラスに転換するイノベーションと言える取り組みだと思いますが、起業からは順風満帆でしたか?

漁業は昔ながらのしきたりやしがらみが強いので、かなり苦労しました。まず漁師から海産物を買い取る「入札権」を得るまでが大変でした。私は家業を継ぐ形ではなく、ゼロからの起業として始めたのですが、新規参入には特に厳しい世界です。乱獲や環境管理ができなければ、その漁場全体の死活問題につながるので、信頼がなければ入り込めない。新規参入でウニの入札権を得た事業者は、私が16年ぶりだったそうです。

また、生のウニは足がはやいので、販路がなければ腐らせてしまう。その点でも、ゼロからのスタートだったので、築地市場や東京のレストランを歩いて回って飛び込みで開拓しました。この点に関しては起業するまで営業マンをやっていた経験が生きたと思います。

ウニ再生養殖にしても、磯焼けによる深刻な課題を受け止めている人が当時は少なく、一笑に付されて門前払いされることは当たり前。ようやく社会全体が気づき始めたといったところでしょうか。

というのも、日本では「漁獲量も右肩下がりで、後継者もいない。水産業は先の見えない産業だ」とのイメージが根強くありますが、実は世界全体の漁獲量は1988年の1億トンから2020年に2億トンと倍増しており、水産業自体は成長産業として投資の対象にもなっています。そんななかで、日本の水産業だけが1980年代から一貫して右肩下がりを続けており、にもかかわらず「仕方ない」と諦める空気があり、イノベーションを阻害していました。

ですが、絶対にどこかで次世代につながる水産業として変わらなければいけない。それがいつになるかはわかりませんが、とにかく変えるための努力をすること、それでも変わらなければ“場所を変える”ことも大切だと感じています。

変わらなければ“場所を変える”

――― ウニ再生養殖で培った技術を生かし、オーストラリアで世界初のウニの陸上養殖に取り組む予定と伺いました。

東京ドーム2個分の養殖施設が2025年に開業予定です。オーストラリアも日本同様に磯焼けが深刻で、私たちが確立した技術を生かせると思いました。このように水産業にかかわる技術を海外に吸い上げられるのではなく、ビジネスとして日本の水産業に還元していくことも、これからの新しい水産業の形のひとつだと思います。オーストラリアだけでなくアラスカやノルウェーなど、磯焼けは世界規模の課題なので、海外での事業が軌道に乗れば、頑なな国内の水産業の意識も変わってくるかもしれません。中から変わらないのであれば、外から変えればいい。それが、“場所を変える”の意味でもあります。

このままでは、日本の食卓には安い魚しか並ばなくなる

――― 事業拡大にあたって、外部人材も積極的に活用しているそうですね。

もともと日本人材機構が手掛け、いまはみらいワークスが運営している地方創生に関する副業・転職支援のプラットフォームを介して、戦略や財務の専門家の方々に力添えをいただいています。やはり水産業は先の見えない産業ですから、私ひとりの力では、カバーしきれない部分がたくさんあります。特に、海外展開を目指すのであればなおさらです。

実はウニ再生養殖事業には、これまでお話してきた事柄よりもさらに大きなフレームでの課題解決が目標に組み込まれています。日本発の技術として国内の水産業の価値を高めるだけでなく、世界全体の環境保全という大きな目標です。

磯焼けによって消失しつつある藻場。この藻場を形成する海藻には、大気から海中に溶け込んだ二酸化炭素を吸収し、海底の土壌に蓄積する役割があるとされています。最近では「ブルーカーボン」と呼ばれており、温暖化を抑止する方法として注目されています。

つまり、北三陸ファクトリーの事業の先には、藻場の再生による環境保全という目標がある。そして、そこに共感して力を貸してくださる方々も増えてきました。

チャレンジ精神を取り戻して、豊かさを取り戻す挑戦を続けていきたいと語る下苧坪さん

――― それでは最後に、今後の抱負をお聞かせください。

いま、インバウンド向けの海産物の小売価格などがニュースに取り上げられていますが、実は外国産のものがほとんどで、市場での取引価格は年々下がる一方です。つまり、国内の生産者にはまったく還元されていません。このまま水産業全体が先細りになれば、質のよい海産物は海外で消費され、日本人は安い魚しか食べられなくなるでしょう。これは水産業にかかわらず、第一次産業全体に共通する課題だと思います。日本の食を守るには、まず生産者や技術を守っていくこと。それが次世代につながる産業の姿だと思いますし、そのためには積極的に海外へ進出するなど、私たち事業者自身が変わっていかなくてはいけません。

東日本大震災の翌年、私は祖父の家で一枚の曾祖父の写真を見つけました。それはインフラも何も整っていない貧しい時代に、身一つで香港に渡り、販路を開拓した当時の写真でした。いまは変わらずにいてもそれなりの豊かさを享受できる分、チャレンジ精神が失われてしまったような気がします。しかし、ひとたび海の中を直視すれば、そこにはすでに豊かさが失われた現実があります。胡坐をかいている暇はありません。

私たちがもう一度チャレンジ精神を取り戻して、変わっていくことで豊かさを取り戻す。そのための挑戦を続けていきます。

【プロフィール】
下苧坪之典(したうつぼ ゆきのり)
北三陸ファクトリー代表

自動車販売会社や生命保険会社で営業を経験した後、地元である岩手県・洋野町へUターン。2010年に「ひろの屋」、2018年に「北三陸ファクトリー」を設立。2022年、「ICC KYOTO 2022」において水産業の未来について語ったプレゼンで、クラフテッド・カタパルト部門で優勝。 北三陸ファクトリー