着物姿の人々が行き交う風景は取り戻せるか。洋服の隣に着物がある日常を
経済産業大臣が指定した伝統的工芸品241品目の中で、織物、染色品など和服・和装に関連したものは57品目にのぼる。七五三、卒業式、結婚式など今も人生の節目の行事で、着る機会のある和服だが、生活様式が変化するとともに、日常生活の中では、極めて少数派となってしまったのが現実だ。
着付けが難しい、動きづらく不便、お金がかかる――といったイメージはその一因となっている。一方で、花火大会、お祭りとなれば、若者たちがそろって浴衣で見物に繰り出し、伝統的な街並みが残る観光地では、外国人観光客がレンタルの着物や羽織袴で街歩きを楽しむ姿も数多く見受けられる。
こうした動きを和服・和装の再評価につなげるためには何が必要なのか。現状と課題、魅力と可能性をさぐった。
生産量、生産者数は右肩下がりの一途。家庭での関連支出も激減
2024年2月21日、東京・霞が関の経済産業省では、着物で執務するイベントが開催された。シックな羽織姿やあでやかな着物姿の職員が行き交う中、本館1階のロビーでは、栃木県小山市と宇都宮大学が共同でブースを設け、小山市の名産品である「結城紬」のPR活動を展開した。
結城紬は、主に栃木、茨城県の鬼怒川流域で生産されている絹織物だ。1977年には国の伝統的工芸品に指定され、2010年には「結城紬」としてユネスコ無形文化遺産に登録された。製作工程の全てが手作業で行われ、特に「糸つむぎ」「絣(かすり)くくり」「地機 (じばた) 織り」の3工程は、国の重要無形文化財に指定されている。
生産量(検査点数)は1980年の3万1288点をピークに、2022年565点にまで減少。42年間でピーク時の1.8%まで落ち込んだことになる。生産者数も減少の一途をたどっており、最盛期の5%にも満たないのが現状だ。
衰退傾向は和服全体を見ても同様だ。経済産業省の調査によると、1世帯あたりの和服への支出金額は1975年に1万8378円だったのが、2020年には1083円と大幅に落ち込んだ。服や履物に占める割合も10.17%から1.17%に低下している。
結城紬の産地ではビジョン策定。「紬織士」の養成も
右肩下がりを何とか食い止めようと、小山市が2023年7月に取りまとめたのが「小山市本場結城紬未来継承ビジョン」だ。ビジョンの柱・目標として、「後継者の育成」「結城紬をつくり続ける」「結城紬の活用」を掲げ、人材育成や生産体制の強化、販路の開拓などに取り組む考えを示している。
経産省に設けられたブースで、訪れた人たちの対応にあたっていたのが、今泉亜季子さん(33)と澤田浩位(ひろえ)さん(28)。いずれも小山市工業振興課結城紬振興係に所属する市職員だ。二人の絹職種は「紬織士(つむぎおりし)」。2014年度に小山市が設けた職種で、結城紬の制作工程のすべての技術を習得し、ビジョンの中でも技術者育成に重要な役割を期待されている。
今泉さんは大学で染織を学び、採用された紬織士第1号。「結城紬の魅力は全ての工程を手作業で行う唯一の織物だということです。着ると、独特な柔らかさを感じてほっこりします」とその魅力を語る。澤田さんと二人で、技術の習得を進めると同時に、結城紬の魅力を発信するイベントやその技術を伝える講習会などで忙しい日々を送っている。
伝統的工芸品の灯を次世代につなぐための産地の模索は、これからが正念場となる。
人気エッセイスト・きくちいまさんが説く。着物の生活の素晴らしさとは
後継者の育成といった産地の努力と同時に、重要となるのは多くの人に和服の良さを再認識してもらい、和服のある日常をつくり出すことだ。経済産業省の和装振興協議会のメンバーで、エッセイスト・イラストレーターのきくちいまさんは、「生活になじみ、溶け込む着物」を目指して、日々着物で生活しながら、その素晴らしさを発信している。
「私にとって着物は楽なものです。夏の日に冷房が効きすぎていて寒いといった時、着物だと苦になりません。日常生活における気温差には洋装より着物のほうがうまく調整できると体感しています」
山形県出身のきくちさんは、母親が毎日着物を着ている姿を見ながら「大人になったら私も」と思いながら育ったという。東京で着物関係の広告・出版社に。入社当初こそスーツで通勤したが、5月29日の「呉服の日」に、着物で出社するイベントが実施されたのを機に、徐々に着物で行くようになり、結局、ほぼ毎日着物を着て出社するようになったという。
「着物は『着る漢方』とも言われています。骨盤より下を、どこも締め付けることなく温めることができるのです。私の場合、体調が悪い時でも着物を着ると元気になる。ちょっと腰が痛い日も帯を巻くと正しい姿勢になり、痛みも治まります」
ABCにグループ分けして装う。「まずは赤ちょうちんに行ってみて」
ただ、値段が張る、着付けが面倒などなど、日常生活の中で着物を愛用するには、いくつかハードルがあるのも確かだ。きくちさんは、時と場所、場面に応じて、ABCにグループ分けして、装うことを提唱している。
「Aグループは冠婚葬祭やお茶席で着るフォーマルな絹のいい物。Bグループはお出かけする時の紬(つむぎ)とか御召(おめし)とか小紋(こもん)とか。Cグループは洗濯機で洗える木綿とか麻など。一くくりに着物と考えるから大変そうだと思ってしまうのではないでしょうか」
「浴衣を着ることができれば、着物はもう1枚重ねるだけです。そんなに難しく考えなくてもいいと思います」
きくちさんは、着物を楽しむために、まずは着物を着て食事に行ってほしいという。
「女性には新作のケーキを食べに、男性なら焼鳥屋など赤ちょうちん的なお店へ行って欲しいですね。チョコレートケーキなら茶色っぽいコーディネート、イチゴショートなら白い帯に赤い帯締めと、考えて食べにいくだけで楽しみが広がります。男性は着物を着て行くともてますよ。高いオーダースーツ着ていっても誰もほめてくれませんが、お下がりの着物を着ていたら『ステキですねと声をかけられた』という話はよく聞きます」
洋服時々着物!おしゃれに着物という選択肢を
きくちさんは、着物を着ている人たちが参加するイベントや講演会で必ず、「着物を着たままスーパーに寄り道してください」と宿題を出すという。着物姿の人が当たり前のようにいる風景をつくりたいからだ。
「洋服時々着物というスタンスで、クローゼットの洋服の隣に着物がある生活をしてほしい。日常のおしゃれの中に着物という選択肢もあるということに気づいて欲しい」
日常生活の中に溶け込み、使われていく中で、伝統的工芸品は輝きを増す。
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