政策特集半導体の現在地 vol.4

“伝説”ジム・ケラー氏が半導体の未来を語る。ラピダスと提携の真意は?

半導体業界で「伝説のエンジニア」と称される天才がいる。ジム・ケラー氏である。

アップルやAMD、テスラ、インテルなどで最先端の半導体開発をリードし、圧倒的な実績を残してきた。現在は、AI用の半導体を開発するスタートアップ「テンストレント」(Tenstorrent、本社・米国テキサス州)の最高経営責任者(CEO)を務めている。

テンストレントは、世界最先端の2nm世代の半導体を量産するとして発足したラピダスとの提携を発表した。きっかけは、2023年に来日したケラー氏に、経済産業省の職員が相談を持ちかけたことだったという。

▶私が出会ったジム・ケラーさん…経済産業省情報産業課・齋藤尚史課長補佐

世界が大注目するケラー氏が、提携先としてラピダスを選んだのはなぜか?そして、半導体業界はこの先、どこに向かおうとしているのか?ケラー氏がメールでのインタビューに応じ、戦略を明らかにした。

伝説のエンジニアとして知られるテンストレントのジム・ケラー氏。半導体の将来、ラピダスとの提携の狙いを明かした

伝説と呼ばれる理由。半導体とコンピューターの開発を同時進行

―― 様々な革新的な半導体の開発により、あなたのことを「伝説のエンジニア」と呼ぶ人もいます。半導体にどのように興味をもち、なぜ成功を収めることができたのでしょうか。

ケラー 私が半導体の研究を始めたのは、(米国)ペンシルベニア州立大学での指導教官が小さな半導体研究室を運営していて、半導体物理学の講義をすべて受講したからです。研究室で面白かったのが、トランジスタそのものを作れたことです。電気工学を学ぶだけでなく、実際に電子機器を組み立てられたのは、とても素晴らしかったです。

デジタル・イクイップメントの半導体部門に入社したときは、コンピューター・アーキテクトでしたが、アーキテクチャー(設計構造)とともに半導体のファブ(製造設備)とプロセス(製造工程)を共同設計しました。アーキテクチャーの実装には、ファブとプロセスが密接に関係し、製造側の制約を大きく受ける場合もあれば、ある時はその利点を使い、より高機能・高速な技術を実装できる場合もあるという二律背反の関係に強い関心を抱きました。

それからずっと、コンピューター設計をしながら半導体のプロセス開発に携わるというプロジェクトに数多く参画してきました。だから、コンピューターを作るときでも、何に基づいて作るのかを常に頭に入れなければならないことが何度もありました。基本的にはこうしたことを40年以上も続けてきたのです。

※デジタル・イクイップメント…略称のDECでも知られる。1957年創業のアメリカ企業で、ミニコンピューター「VAX」シリーズで一世を風靡したが、1998年にコンパックに買収された。

目標はAIの大幅なコスト減。もっと多くの製品に組み込まれる

―― 半導体はこれまでも社会を大きく変えてきました。現在、あなたは、AI向け半導体の開発をしていますが、それは社会にどのような変革をもたらすものでしょうか。

ケラー AIの技術は急速な発展カーブを描いています。現在のハイエンドのAIに関しては、人々が非常に高価であると議論していたり、企業が何億ドル、何十億ドルもの資金を調達したりしているというニュースを目にします。つまり、AIは大きなことをするためのものになっていて、誰かの大規模なコンピューター上で動いている場合でしか、ユーザーは使えていないのです。

テンストレントは、AIに関するコストを大幅に削減し、より多くの企業が自社の製品にAIを組み込めるようにしたいと考えています。そのため、私たちは格段に効率的で低コストのテクノロジーを選ぶことに注力してきましたし、ライセンス契約や提携により、多くの企業が自社製品にAIを導入できるようになりました。ごく普通の製品開発や利用において、AIはより大きな部分を占めることになるでしょう。

半導体のトップエンジニアであるテンストレントのジムケラー氏(左端)は2024年2月にも来日し、経済産業省の野原諭商務情報政策局長(右から2人目)らと意見交換

ジム・ケラー氏(左端)は2024年2月にも来日し、経済産業省の野原諭商務情報政策局長(右から2人目)らと意見交換した

日本は今も半導体技術開発のリーダー。「未来は明るい」

――日本は、1980年代までは世界の半導体業界をリードしていました。現状についての認識と、今後の可能性について見解を教えてください。

ケラー 日本が半導体の技術開発のリーダーでなくなったとは思っていません。あらゆる工場に設備を提供していますし、半導体で使われる素材に関しても、日本は世界のリーダーです。(ソニーの)プレイステーションや任天堂をはじめとして、多くのトップゲームメーカー、ゲーム用コンピューター、製品開発が日本で行われていますし、日本はHPCのリーダーであり続けています。世界トップのコンピューター・デザイナーには、日本出身者や日本の大学の卒業生がいて、テンストレントで働いている者もいます。

大きな可能性が開かれています。私たちが日本に拠点を置いて活動する理由のひとつは、日本政府や多くの日本企業が次のイノベーションの大きな波に非常に興味を持っているからで、未来は明るいと考えています。

※HPC…High-Performance Computingの略。スーパーコンピューターなどを活用し、一般的なパソコンやサーバーと比べ、極めて高速に大量のデータを処理する。

ラピダスとスピード重視で一致。ファウンドリーのパートナーに

―― なぜラピダスと提携を決めたのでしょうか。

ケラー ラピダスは多くの点で興味深いです。
まず何よりも、新しいことをしようとしたら、新しいプレイヤーと一緒にする必要があります。これは本当に重要です。第二に、経営者とそのチームは非常に経験豊富で、多くの技術開発を行ってきました。第三に、ラピダスがスピードに集中すると言っている点です。スピードにはファブ建設のスピード、チップを作る時間のスピード、2nmに到達するスピードなどがあります。これが、とにかく重要であり、ラピダスと会ったときにとても良い会話ができて、一緒に仕事ができると思ったのです。

私が成し遂げたいのは、コンピューターをより速く作りたいということです。同じ考えに立つファウンドリーのパートナーを持つことは、きわめて重要なのです。

AI用半導体の開発で提携したテンストレントとラピダスの署名式。ジム・ケラーCEO(左)とラピダスの小池淳義社長(2023年11月)。2024年2月には製造で協業することを決めた

AI用半導体の開発で提携したテンストレントとラピダスの署名式。ジム・ケラーCEO(左)とラピダスの小池淳義社長(2023年11月)。2024年2月には製造で協業することを決めた

人材育成では基礎の習得が大事。学生インターンを効果的に活用

――半導体産業に優秀な人材を集めていくことが課題とされています。どのような点が重要でしょうか。

ケラー コンピューター設計や半導体、チップの設計のキャリアは長い道のりになります。高校から優秀な学生を集め、数学、物理学、化学などの基礎を教える大学を作る必要があります。 プログラミングやコンピューターアーキテクチャーなどでは、本当にしっかり身につけるべき基礎もあります。新しく革新的なことをやっている企業でインターンとして働けるような道や、価値のあるキャリアを築ける場所も求められます。どれか一つでも欠けてはいけません。

私たちは毎年何十人ものインターンを採用しています。彼らは何度も戻ってきて、テンストレントでキャリアをスタートさせることがよくあります。インターンシップやパートナーシップを通じて大学レベルに関与しているから、可能なのです。

日本の若者へ伝えたい。「新しい友人と新しいことを始めよう」

――日本の若者へのメッセージをください。

ケラー 私はテクノロジーの楽観主義者です。私たちは、人生を本質的により面白くするコンピューターやツールを作っていて、これからもデザインをするチャンスは大いにあります。 新しい人たちと新しいことをやっている会社や場所を見つけましょう。企業は大成功を収めると、自分たちのやり方に凝り固まってしまう。どの世代も、新しい領域を定めて、新しいことを始め、新しいパートナーシップを築き、新しい友人を作る必要があるのです。

テンストレントCEO ジム・ケラー Jim Keller 半導体の天才エンジニア

【プロフィール】
ジム・ケラー /  Jim Keller
テンストレントのCEOであり、最高峰のハードウェアエンジニアとして活躍している。テンストレント入社以前は、インテルのシリコンエンジニアリンググループの上級副社長を2年間務めた。テスラのオートパイロットおよび低電圧ハードウェア担当副社長、AMDのコーポレートバイスプレジデント兼チーフコアアーキテクト、アップルに買収されたP.A.Semiのエンジニアリング担当副社長兼チーフアーキテクトを歴任。 DEC AlphaプロセッサーからAMD K7/K8/K12、HyperTransport、AMD Zenファミリー、Apple A4/A5プロセッサー、テスラの自動運転車用チップに至るまで、数十年にわたり、多くのプロセッサー設計を成功に導いた。
ジム・ケラー  Xアカウント
テンストレント(公式サイト

私が出会ったジム・ケラーさん…経済産業省情報産業課・齋藤尚史課長補佐

2023年6月、東京で「RISC-V DAYS TOKYO」というコンピューター関係者の集まるシンポジウムがありました。前もって当日のプログラムを確認していたところ、講演者の中にジム・ケラーさんのお名前を見つけました。私は、経済産業省に2021年に入省するまで、民間企業で約10年間半導体エンジニアとして働いていましたので、ジム・ケラーさんのご経歴をよく知っていました。日本の動向を紹介して連携について相談する良い機会だと考え、主催者に意見交換の場を設定するようにお願いしたのです。

私からはジム・ケラーさんに、日本の半導体政策や私自身が今後の課題と思っていることについて説明しました。驚いたのは、そこからのジム・ケラーさんの決断の早さです。その場で様々な連携の可能性についてプランを提示していただき、11月にはラピダスとの提携が決まるなど、怒濤の勢いで話が進みました。

私は現在、経済産業省で半導体の技術開発政策を担当しています。日本の半導体産業の復活に向け、足下のことだけでなく将来のあるべき姿を見据え、スピード感を持って取り組んでいきます。

【関連情報】
▶Rapidus、エッジAIアクセラレータの開発・製造をテンストレントと推進(ラピダス)
▶半導体・デジタル産業戦略検討会議(経済産業省)
▶半導体・デジタル産業戦略(経済産業省)