政策特集標準と経営が恋をする vol.2

世界シェア90%のスイッチはなぜ生まれたのか? IDECを押し上げた「標準」の力

「標準化」によって地獄と天国の両方を味わった企業がある。大阪市に本社を置く制御機器メーカー「IDEC(アイデック)」。上席執行役員・技術経営担当の藤田俊弘氏は、会社の中心にあって、国際標準の怖さと可能性について身をもって経験した人物だ。

藤田氏は自らの経験を糧に、30年近く日本発の国際標準化や国際ルールづくりを第一線で牽引。その功績から2022年度の「産業標準化事業表彰」内閣総理大臣表彰を受賞した。

企業の経営戦略における標準化の重要性とは。日本発の標準化にはどんな課題が横たわっており、何が必要なのか――。藤田氏とIDECの物語からは、日本のものづくりにとって必要な様々なヒントが見えてくる。

ある日突然、国際規格から除外。主力製品の売り上げが激減

いったい何が起こっているのか――。IDEC社内に衝撃が走ったのは1990年代初めのことだった。主力製品の産業用押しボタンスイッチの売り上げが、突然落ち始めたのだ。原因を調べると一つの事実が浮かび上がった。

スイッチを使うには、パネルの取り付け穴にはめ込む必要がある。それまで、穴のサイズは米国では30㎜、日本では25㎜、欧州では22㎜が主流となっていた。ところが、その年の国際電気標準会議(IEC)で30㎜と22㎜のみが、国際規格として採用され、25㎜は除外されてしまった。理由は明確。日本がこの規格について議論する会議に参加していなかったからだ。このため提案された米国、欧州案のみを審議し、ルールがつくられたわけだ。

「私の父親は技術者出身でIDECの創業者の一人です。国際規格から除外された製品は私が子どもの頃、家で図面を書いていたものです。『絶対に25㎜でいくんだ』と言っていたのも覚えています。それが国際規格にならずに、米国と欧州のものだけだった。ひとえに、標準化といわれる会議に日本からだれも参加せず、発信していなかったからです。これは私にとって大変悔しい経験でした」

アジアを中心に普及していた25㎜は売り上げを減らし、国際市場でのシェアを落としていった。結果的に日本工業規格=現日本産業規格=(JIS)からも外れてしまった。

「それまでエンジニアは知的財産や特許には関心を持っていましたが、標準については発行済みの規格を『使う』だけでした。標準を『使う』だけではなく『つくる』側にならないと、ずっと後追いのままで世界には勝てないと、勉強する機会をもらえた経験でした」

30年近く標準化活動に携わってきた藤田俊弘氏。左手で押している黄色のスイッチが、IDECが国際標準を勝ち取った3ポジションイネーブルスイッチ

「たったこれだけの人数で決めていたのか」――。日本不在の恐ろしさ体感

1997年、IDECは産業用ロボットを操作するための画期的なスイッチを開発した。「3ポジションイネーブルスイッチ」と呼ばれるもので、それまで押せば動く、離せば止まる2段階だったものを、さらに強く押し込むことでも止まるよう3段階に設計した。ロボットと衝突しそうになった場面を想定し、とっさにスイッチから手を離しても、逆に強く押し込んでも、ロボットの動きがストップするようにしたのだ。人間工学に基づいた、これまでより格段に安全性の高いスイッチだった。

「3ポジションイネーブルスイッチをつくった時点で、自分たちでルールが作れるとは思っていませんでした。そんな時、当時経済産業省の官僚だった藤田昌宏さん(現・石油資源開発社長)の本を読んだら、『ルールは民間企業が自分でつくれ』と書いてある。目からうろこが落ちる思いで、それから標準化にトライしたわけです。ただ、そのプロセスは投票あり事前調整ありで、大変面倒なものです。経産省や日本規格協会(JSA)に支援や指導をしてもらって、本格的に取り組みました」

IDECは2003年にIECに規格づくりを提案、2006年に国際標準を勝ち取った。同年発行された国際標準化機構(ISO)のロボット安全規格にも3ポジションイネーブルスイッチの必要性が盛り込まれた。以後、3ポジションイネーブルスイッチの売り上げは伸び続け、2022年度末時点で累積171億円に達し、世界市場でのシェアは90%を占めている。

国際標準化は売り上げ増の大きなきっかけとなった(IDEC提供)

 藤田氏は3ポジションイネーブルスイッチの標準化に取り組んで痛感したことがあった。

「驚いたのは、国際ルールをこんな少人数で決めていたのかということです。私たちが参加するまで、そこに日本人はいなかった。これは参加していかなければいけないと、すぐに気づきました。だからこそ、ずっと標準化に関わっているんです」

「日本がゴルフを一生懸命練習している時、欧州は自ら有利なコースを設計」

藤田氏は標準化をめぐる日本と特に欧州の対応をゴルフに例えて説明する。標準化はコース設計、プレーは製品づくり、バンカーは知的財産だ。

「日本は一生懸命練習するから、そこそこ上手くなります。ただ、日本が練習している間に欧州は自分たちが有利なようにゴルフコースを設計しているのです。ドローが得意であれば、ドローボールがいきるコースを欧州はつくってきます。バンカーは知財だと思います。相手が打ち込んできそうなところにバンカーをつくれば、まねされません」

※ドロー、ドローボール・・・ゴルフ用語。目標に対して真っすぐ、もしくは右側に打ち出されたボールが、空中で左にカーブし、目標付近に戻ってくるような弾道のこと。

2006年9月にドイツのベルリンで開催されたIECの会議。右端が藤田氏

「『軽井沢72ゴルフ』という名門ゴルフ場があります。全部で108ホールあります。ここに例えると、IDECが3ポジションイネーブルスイッチで成功したといっても、108のうちの一つを自分たちで設計しただけです。107はほとんど欧州がつくっているのです」

業界団体の設立に動く。「ファインバブル」で日本発の国際標準

日本主導で国際的な標準をつくるのは、一企業の努力だけでは難しい。このため、IDECと藤田氏は業界団体の設立にも積極的に関わってきた。その一つが2012年に発足した「ファインバブル産業会」(FBIA)だ。ファインバブルとは直径100μm(マイクロメートル、1μmは100万分の1m)未満の微細な気泡。特に直径100nm(ナノメートル、1nmは0.001μm)のウルトラファインバブルは、高い洗浄効果などが認められ、様々な製品や農業、水産業などへの応用が期待されている。約25社でスタートしたFBIAの参加企業は現在、約80社にのぼる。IDECはファインバブルの発生装置を製造している老舗メーカーでもある。

「ファインバブルは日本がリードして国際標準化に取り組んでいます。私たちの提案どおりにISO規格にすることもできました。例えば、ファインバブルを発生させるシャワーヘッドやお風呂が売れていますが、FBIAが認証して製品にはマークが添付されています。標準と認証は表裏一体。きちんと標準化や認証したことが技術の確かさの証明になって、多くの企業の売り上げにつながっているわけです」

「協調安全」を世界に。日本発の「新しい価値」を創造

そして今、力を入れているのが日本発の安全思想「協調安全」だ。

「人と機械の関係を考えた時、40年前の安全と今の安全、これからの安全はそれぞれ概念が変わってきています。40年前は人が機械とぶつからないように注意して働いていましたが、これでは重大事故が絶えません。そこで、IECやISOの規格によって人と機械を分離し、接点を持たせないようにしようというのが、ここ20年の動きでした。ただ、それでは生産性が上がらない。そこで、人と機械を情報通信技術(ICT)でつなぐ『協調安全』という考え方を提唱したのです」

藤田氏は2016年に一般社団法人セーフティグローバル推進機構を設立し、日本発の安全思想の旗を振ってきた。これが欧州発の労働災害をゼロにし、「安全・健康・ウェルビーイング」を目指す運動「ビジョンゼロ」と融合。2022年5月には、日本がホスト国となって、第2回「ビジョンゼロサミット」が開催された。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長や台湾のオードリー・タン氏らも参加したこの会合で、「協調安全」は大きなテーマの一つとなった。

「日本発で『新しい価値』をつくっていかなければ、国際競争を戦っていけないと思います。『協調安全』への取り組みは、気宇壮大であり、一見何をしているのか分かりづらいかもしれませんが、私としては国際標準化による日本発の市場創成を目指すマーケティングをしているつもりです」

ルールづくり=マーケティング。経営者は発想の転換を

これからの日本発の標準化を進めていくために、なにが必要なのか。強調したのは経営者と企業全体の意識改革だ。

IDEC役員・社員を対象にしたアンケート結果(IDEC提供)

IDECで、自社の標準化活動についてアンケートをしたところ、役員クラスは100%、管理職で9割以上、一般社員でも約5割が「知っている」と回答したという。実際、IDECでは、部署の壁を超えて、やる気のある社員が標準化活動に携わっているという。ただ、こうした企業は極めてまれだ。

「懸念するのは、国際標準化はマーケティング上のツールなのに、それを経営者やマーケティング部門、戦略部門が肌感覚でわかっていない企業が、日本ではほとんどだということです。欧米の経営者と話すと、『ルールは作ったもの勝ち』『ルールを作ることこそが事業を作る』という発想が染みこんでいる。日本よりも、むしろ中国のほうが貪欲です」

藤田氏は危機感を感じている。

「標準化活動には、長期的な目線と共に莫大なエネルギーと多くの時間が必要ですが、その果実は極めて大きいのです。この点をビジネスモデルとして見ることができる経営者が1人でも多く出てきて欲しい」