地域で輝く企業

【和歌山発】理美容師から選ばれ続ける専用はさみ 地域の「ものづくり」をけん引

和歌山県和歌山市 菊井鋏製作所

さびることなく、良い切れ味が長く続くキクイシザースの「コバルトシリーズ」

国内外の数多くの理容師や美容師のプロの仕事を支え、ハリウッド俳優のヘアアーティストにも選ばれている、専用はさみがある。希少金属コバルトを多く含む鋼材から、職人の繊細な技術で作り上げられるはさみは、絶対にさびることがなく良い切れ味が長く続く、と理美容業界から高い支持を得ている。この「キクイシザース」を50年、作り続けている“町の小さなはさみ屋さん”が「菊井鋏製作所」だ。キクイシザースは完全なオーダーメード。注文した理容師、美容師の手の大きさに合わせるのはもちろん、刃の長さや、握り具合などの様々な要望を、LINEのやり取りなどを通じて細やかに応える体制を取っている。

会社を率いるのは3代目の菊井健一社長(36)。特定の職業の人にしか使われない製品の技術の高さを、どうすれば多くの人に知ってもらえるのか――。入社以来、続けてきた数々のチャレンジは、自社にとどまらず地域全体の「ものづくり」を盛り上げる活動にもつながっている。若き経営者の心意気に迫った。

「コバルト基合金の加工技術は他社には難しく、わが社の誇りです」と話す菊井健一社長

扱いにくいコバルト製、他社の追随許さない加工技術

菊井鋏製作所は、健一氏の祖父で、刃物を研ぐのが得意だった菊井喜代次さんが戦後、東京の理美容はさみ職人に弟子入りし、修業を経て、1953年に創業した。

理美容用のはさみが日々使われるのは、水気が多く、シャンプーやパーマ液が付くなど、金属には過酷な環境だ。一般的なステンレス製ではさびが発生し、次第に切れ味が悪くなる。プロが使う道具として、長く使えるはさみにふさわしい材質を探求した結果、たどり着いたのが、ドリルなど切削工具にも使われている「コバルト基合金」だった。希少金属コバルトが70%含まれており、酸や腐蝕に強く、耐磨耗性にも優れていた。「菊井鋏製作所」は1973年からコバルト基合金製のはさみを「コバルトシリーズ」として製造、販売。そのシンプルなデザインは50年間、ほぼ変わらず、全国の理美容師から愛されている。

菊井氏は学生時代を京都で過ごした。伝統工芸品が暮らしの中に取り入れられている様子に触れ、ものづくりの面白さを実感し、家業を継ぐことを決めた。大学を卒業した2010年に入社、最初は職人たちから製造工程を教わるところから始まった。

コバルト基合金は削りにくく折れやすいなど、加工が難しく、同業他社ではほとんど扱っていない。それを加工できる熟練した技が菊井鋏製作所の強みだ。中でも最も調整が難しいのは刃の湾曲を加工する「たたき」で、この道40年の辻内利勝工場長(61)が担当している。製造工程を学ぶうちに、自社の職人の技術力や、製品の品質の高さを確信するようになった。

「たたき」で熟練の技を見せる辻内利勝工場長。台の木材は和歌山県の木ウバメガシ

「自分たちの仕事だ」と言えない悔しさ…海外進出に道を求める

菊井鋏製作所はコバルトシリーズを製造・販売する一方で、OEM(相手先ブランドによる生産)の受注も多く引き受けてきた。「これだけ良いものを作っているのに、自分たちがこの仕事をしていることを外に言えないことが悔しかった」と当時を振り返る。知名度アップを図ろうと、2015年、「グッドデザイン賞」に応募した。すると、その機能美などが評価され、受賞することができた。これがきっかけとなり、ブランディング化に舵を切った。

初めて、コバルトシリーズを紹介するホームページには、値段は掲載しなかった。「得意先から嫌われたらどうしよう」。長年、付き合いのある問屋から注文が入るという商品取引の流れが固定化しており、生産者が直接、価格を提示することがはばかられたためだ。

次に考えたのが海外進出。独立行政法人中小企業基盤整備機構(中小機構)の「海外ビジネス戦略推進支援事業」に応募し、採択された。2016年11月、同機構の担当者と米国ロサンゼルスを訪問し、市場調査を行った。この年、事業承継を行い、28歳で社長に就任している。 翌年、米国で開かれたはさみ業界のコンベンションに日本メーカーで唯一招待され、刃の研ぎ方や扱い方などを講演した。すると、米国の美容師から注文が入るようになり、中には、ハリウッドスター、ブラッド・ピットのヘアアーティストからのオーダーもあった。「海外進出に挑戦する和歌山のはさみメーカー」と、日本のメディアでも紹介されるようになり、国内の理美容師から直接、注文が入ることも増えてきた。

コロナ禍で知った「お客さんは理美容師の先にもいる」

だが、こうした流れはコロナ禍によって中断された。「できないことを嘆くのではなく、今だからできることを探そう」と、緊急事態宣言が解除されて間もない2020年6月、地域で活躍する4人の美容師と一緒に、「あおぞら美容室」をボランティアで開いた。家族連れなど約30人が久しぶりに髪をカットしてもらい、会場には笑顔が広がった。菊井社長はこのイベントで得た経験を興奮気味に語る。「僕らのお客さんは理容師・美容師さんだけじゃなくて、その先にいる人なんだとすごく感じました」

その後、マスコミに取り上げられる機会が増えると、知り合いの美容師から「サロンに来た客から菊井さんの話題が出て盛り上がった」という話を聞くようになった。「お客さんが美容師にキクイシザースを薦めてくれるようなつながりも広がっていけばいいな、と思っています」

緊急事態宣言の解除間もない2020年6月に開いた「あおぞら美容室」は、久しぶりに髪をカットしてもらう人たちで賑わった

優れた技術は隠さず、知ってもらう 職人の意識を改革

視野はさらに地域にも向けられた。社長就任後、県外の若者を採用しようとした際、親から「何を作っているかよく分からない和歌山の企業で子どもを働かせたくない」と断られた経験があった。「和歌山には木工、漆芸、金属加工などの地場産業があるが、『ものづくり』の町というイメージはない。燕三条(新潟)や東大阪で実施している工場を一般公開するようなイベントを地元でも実現したい」と思い立った。「職人は人に技術を見せたがらないものだが、それでは人々に技術の高さを理解してもらえない。子どもたちに、自分が住む町は世界に誇る技術を持つ企業があり、情熱を注ぐ職人がいることを知ってもらいたい」との願いを込めた。

県内のものづくり企業の若手経営者らでつくる「和歌山オープンファクトリー推進委員会」の会長として準備を進め、2022年11月、第1回「和歌山ものづくり文化祭」が開かれた。県内のものづくり企業が集う体験参加型イベントで、2023年には第2回も開催、今後、第3回も予定されている。「イベントをきっかけに地元の若者の採用や地域のブランド力の強化にもつなげたい」と意欲を見せる。

地域のものづくり企業の若手経営者らが集まった、第2回「和歌山ものづくり文化祭」での記念撮影

自社工場の職人たちの意識も変わった。以前は、取材や見学を避ける雰囲気があったが、最近は、見学者のスケジュールに合わせて、見てもらうものを事前に準備するなど、技術を分かりやすく伝える工夫をするようになったという。

これからも理美容師専用のはさみづくりにこだわるつもりだ。「人のつながり、異業種間のつながりを強めれば、キクイシザースの技術力もさらに知られるようになる。そのつながりを大事にしたい」と静かな決意を語った。

【企業情報】▽公式サイト=https://www.scissors.co.jp/▽社長=菊井健一▽社員数=10人▽創業=1953年