培養肉の時代は来るのか?細胞農業研究機構の吉富愛望アビガイル氏に聞く
肉や牛乳、卵が食べられなくなる――。人類が「タンパク質危機」を迎える可能性がささやかれている。
世界的には人口増加が当面続くとともに、発展途上国で生活水準が向上するにつれ、肉類の消費は伸びると見込まれている。一方、家畜の飼育には膨大な飼料と水、そして、広大な土地を必要とする。家畜からはメタンなどの温室効果ガスも大量に発生する。環境面への制約から畜産業の拡大は難しく、肉類への需要に供給がやがて追い付かなくなるというのである。
そこで、動物の細胞を培養して作る「培養肉」への注目が世界的に高まっている。大豆や小麦などを原料とする「植物肉」などと並ぶ「代替肉」の一つとして、開発が加速している。
日本では培養肉を「知っている」とする人は2割弱にとどまるとの調査[1]もあり、認知度はまだ低い。しかし、2022年12月には日本での培養肉の可能性や社会実装に向けた戦略を考えようと、一般社団法人「細胞農業研究機構」が設立された。代表理事を務める吉富愛望(めぐみ)アビガイル氏によると、培養肉は日本にとって大きなチャンスとなるが、克服しなければならない課題も多くあるという。
[1]公益財団法人「伊藤記念財団」による「代替肉・培養肉、SGDsに関するアンケート調査」より
本物の肉に味わい近く。本格的な拡大には技術革新が必須
――培養肉とはそもそも何でしょうか。
吉富:動物から採った細胞に直接栄養を与えることで増やし、食品にしたものです。大豆ミートなどの植物肉より化学的に肉に近いですが、実際には、植物肉と混ぜて提供されることもあります。細胞農業研究機構では、消費者へのわかりやすさという観点から、こうしたものも含めて「細胞性食品」と呼び方を“推し”ています。細胞性食品を作る技術を「細胞農業」と位置づけています。
――細胞性食品の開発状況は。
吉富:私はこれまで、6種類を試食しました。中でも、イスラエルの「SuperMeat」のチキンはとても再現度が高かったです。肉の強い味がして、言われなければ、本物の肉と区別できない気がしました。イスラエルの「Steakholder Foods」とシンガポールの「Umami Meats」(現Umami Bioworks) が共同開発した白身魚のハタは、3Dプリンターを使って成形しています。魚の層がほぐれるような食感を楽しめました。
私は食べたことがありませんが、日本では、スタートアップのインテグリカルチャーが培養フォアグラの開発に成功しています。大阪大学や島津製作所などが中心となり今年3月、培養肉製造に向けたコンソーシアム設立を発表しました。
――技術としてはどのようなレベルにあるのでしょうか。
吉富:細胞性食品のアイデア自体は古く、英首相だったウィンストン・チャーチルが1930年代に「我々は胸肉や手羽先を食べるために丸鶏を育てるという不条理から、これらの部位を適切な培地の下で別々に育てることによって、細胞を増やして食べればいい」と言ったそうです。細胞を培養する技術はこれまで、主に再生医療の世界で使われてきました。
ただ、食品と医療ではコストに関して全く別の考え方を求められます。また、医療で研究してきた対象の多くは人間の細胞であり、動物ではありません。ですから、細胞性食品を広げていくには、これから先、相当な技術革新が不可欠です。
食糧安全保障の観点でも重要に。海外では投資が先行
――細胞性食品がなぜ注目されるようになったのでしょうか。
吉富:人口が増え、発展途上国での肉への消費量が拡大していく中で、今までの生産方法では、肉の需要に供給が追い付かなくなるという危機感が背景にあります。また、環境問題やアニマルウェルフェア(家畜福祉)の観点からも重要性が指摘されています。
それに加えて私が強調したいのは、食糧安全保障の観点です。日本は飼料の7割超を輸入に頼っていることを考慮すると、肉の自給率は実質1割弱です[2]。細胞性食品の拡大は、自給率の引き上げにつながります。
――細胞性食品の見通しは。
吉富:見方は大きく割れています。将来的に全世界で年80兆円規模の市場になるという試算もあれば、2040年でも数千億円程度という予想もあります。国内市場についてはまだ検証のしようがなく、期待を持って注視しているという感じです。
ただ、海外では、新しい技術に対してどんどんお金が入っています。2016~2022年までの細胞農業への分野の累計投資額は、日本では約25億円ですが、米国では約2300億円、イスラエルでは約900億円に達しています[3]。
[2] 農林水産省「食料自給率のお話」
[3] GFI State of Industry Report 2022より。1ドル=146円で換算
日本のブランド力を生かせる。「細胞ホルダー」であることが強みに
――日本にとって細胞性食品は重要な産業になるでしょうか。
吉富:私は、日本にはポテンシャルが大いにあると考えています。理由の一つが、メイド・イン・ジャパンというブランド力です。細胞性食品で大切になる安心感を与えられます。また、牛肉の世界では、和牛(Wagyu)は世界的に高い人気があります。細胞性食品の世界では、ブランド食材の「細胞ホルダー」であることは、有利に働くでしょう。
技術面では現在は遅れているかもしれません。しかし、再生医療でのiPS細胞に見られるようにバイオに関しては高いレベルにあり、各国と比べてひけを取ることはないはずです。
官民連携した対応方針の整備を。生産者の理解、そして、おいしさが大事
――日本で細胞性食品を広げていくためにはどうすべきでしょうか。
吉富:日本では今、産業界側は行政側が対応方針を明らかにしていないので、本格的な投資に踏み切れずにいます。一方で、行政側は産業界が製品を作らないので、国としての対応方針を決められません。お互いが「両すくみ」になっている現状を打破しないといけません。このままでは、外国の技術に頼り、外国が作ったルールに基づいて、国際市場で戦うことになってしまいます。
行政は多くの課題を抱え、細胞性食品の優先順位を高くするのは難しいことは理解します。そこで、細胞農業研究機構はアカデミアを交え、細胞性食品を巡る業界としてのガイドラインの策定に乗り出しています。ただ、企業秘密の関係などもあり、民間側での議論には限界があります。官民が連携して対応方針を定め、必要に応じてルール整備をしていくことが求められるのです。
――普及のうえで前提となる安全性の確保についてはどう考えていますか。
吉富:従来の食品では、食べた経験が豊富にあり、知見がもともとかなりあったうえで、HACCP[4]のような安全性を担保するための仕組みがあります。これに対し、細胞性食品では、国内での開発に基づく知見の蓄積が進まない現状では、これをすればOKというような基準を作るのは簡単ではありません。
食品衛生法は、健康を損なう恐れがない旨の確証がないものについては、食品として販売を禁止するように定めています。細胞性食品はこれに該当するのかどうかなど、土俵となる考え方を整理するところから考えなければいけません。
食品としての輸入も現在は難しいうえに、国内での試食に関する対応方針も未整備です。海外の情報に頼ることは必要ですが、日本でも並行して環境づくりを行っていくべきです。細胞農業の技術と食品安全という異なる分野の双方を理解する人材が不足しており、そうした人材を育成していくことが大きな課題になります。
――国民の理解はどう得ていきますか。
吉富:細胞性食品が広まったときに、生産者に何も還元されない事態は避けなければなりません。生産者がこれまで培ってきたブランドをフリーライドされることを回避するためのルールは設けるべきです。
消費者に対して、頭ごなしにサステナビリティだ、食糧安全保障だ、動物愛護だといっても、消費が伸びることはないでしょう。結局はおいしいかどうかがとても大事です。おいしく、なおかつ、環境などについても気になるという人にとっての選択肢になればいいと思います。
もちろん、消費者には選ぶ自由があります。細胞性食品であることが分かるようにすることも重要です。
[4] HACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point、ハサップ)。食に関わる全ての事業者が順守を求められている衛生管理の手法
吉富愛望アビガイル 細胞農業研究機構代表理事
(よしとみ・めぐみ・あびがいる)日本人の父とイスラエル人の母の間に生まれる。早稲田大学と東京大学大学院(中退)では物理学を専攻。ブロックチェーン関連のスタートアップ企業での勤務を通じて、有望な技術やアイデアの社会実装のためには、良いルールの設計が必要であることを実感したという。細胞農業研究機構の前身となる「細胞農業研究会」での活動が評価され、2020年にはForbesジャパン「世界を変える30歳未満の30人」(法と政策部門)を受賞した。農林水産省のフードテック官民協議会細胞農業WT事務局長や、経済産業省の産業構造審議会に設置されているバイオものづくり革命推進WG委員も務める。
【関連情報】
・一般社団法人「細胞農業研究機構」
※本特集はこれで終わりです。次回は「デザインで織りなす経済と文化」を特集します。