ブランクを経て働くということ
薄井シンシアさん「学び続ける姿勢が問われている」
「人生100年時代」―。それは誰もが人生の局面に応じて、主体的に働き方を選択し、能力を発揮できる社会を意味するはずだ。今年1月。日本コカ・コーラの2020年東京五輪のホスピタリティ責任者に就任した薄井シンシアさん。過去にビッグイベントに携わってきたわけでも、飲料メーカー出身者でもない。専業主婦一筋だった彼女が日本で仕事に本格復帰したのは、52歳の時。17年のブランクを経て築き上げてきたキャリアの軌跡は、本気で働くことを望むならば、年齢や経験に関わらず、チャンスをつかみ取ることができることを体現している。
50代主婦が抜け落ちている
日本では、団塊世代が後期高齢者となる2025年にかけて毎年100万人規模が労働市場から消えていく。構造的な人手不足に直面する中、多様な人材の活躍は社会にとって喫緊の課題。しかし子育てに一区切り付いた50代主婦は、政府が旗を振る「1億総活躍社会」や「女性活躍推進」といった施策の「蚊帳の外」にあるとシンシアさんは憤る。
「国は若い子育て世代には共働きを奨励してきました。ここへきて人手不足の解決策として外国人労働者の受け入れ拡大も表明しました。一方で、労働市場を畑に例えれば、50代以上の専業主婦が占める一角は『耕作放棄地』同然に放置されているのが現状です」
サービス産業を中心に、主婦を即戦力と積極活用する動きは広がっている。だが、その多くは代替可能な安価な労働力と捉えているのが実情だ。
「『社会人の学び直し』を推奨するなら、ブランクのある主婦層のスキルアップに、もっと目をむけるべきです」
政府は、宿泊や介護など5分野を対象に、外国人材の新たな在留資格を創設する方針だ。シンシアさんは「その影響を真っ向から受けるのが、現在、パートや派遣で働く主婦層」と危惧する。
「だからこそ人材流動を促す上で、実践的なスキルを高めるトレーニングの重要性が増しているのです。レストランでの接客ならプロとしての正しいサービスを教え、ファミリーレストランから将来は三つ星レストランにステップアップできる形で可能性を提示する。ホテルなら、スタートこそ清掃であっても予約業務などへ仕事の幅を広げる選択肢があっていい。本人の努力次第であることは言うまでもありませんが、同じ仕事に固定化されたままでは、主婦パートは、より若く安い労働力に代替される構図から脱却できません」
教育に二つの視点
国も「キャリア・リターン応援制度」をはじめ育児や介護などを理由に仕事を辞めた主婦らの再就職を後押している。ただ、パソコンスキルや面接対策だけでは長期的なキャリア形成には限界がある。
「ブランクを経て仕事に復帰する上で、トレーニングには二つの観点が必要です。一つ目は、レストランやホテルを例に述べたように、キャリアアップにつながる実践的なスキルの習得。人手不足で繁忙を極め人材教育の余力がない企業に代わり、自治体や大学、あるいは人材サービス企業などと連携する仕組みが現実的でしょう。もう一点は、組織で働く上での基本的な姿勢や人生は自ら舵取りしてくものだといった心構えを示すプログラム。甘えと決別し、本気で仕事に臨む『マインドセット』が狙いです」
自身は、常に「新しいスキル」を意識的に習得してきた。外交官の夫を支え、ナイジェリア、オーストリア、米国など5カ国で過ごし、日本に帰国後、就職活動を始めた時は50代を迎えていた。タイ駐在時代に、一人娘が通うインターナショナルスクールのカフェテリアのマネージャーとして働き始めたのが仕事復帰の第一歩となったものの、とりわけ日本では年齢とブランクが大きな壁として立ちはだかった。どうにかつかんだのは会員制クラブの電話受付のパートだった。
「私が職探しを始めた当時と比べ、現在は格段に雇用情勢が好転しています。ところが、過去の知識やスキルにこだわるあまり、仕事をえり好みする人があまりに多い。『専門はマーケティングです』と言ったところで、ビジネス環境がめまぐるしく変化する中、企業側はブランクがある人を雇うでしょうか。マーケティングに携わりたいなら、いきなりその仕事を目指すのではく、組織を経験することから始めるのが復職の第一歩です。私自身は、与えられた仕事を完璧にこなすことに加え、プラスアルファの業務を率先して引き受けることを自身に課してきました。常に次のキャリアを意識していたからです」
その後、転職したANAインターコンチネンタルホテル東京では営業開発担当副支配人、さらにシャングリ・ラ・ホテル東京のディレクターを経て現職に。
「振り返れば、自分から職探しをしたのは、最初の一歩を踏み出した時だけ。その後は仕事を通じて得た人脈が、新たな活躍の場をもたらしてくれました。日本コカ・コーラで東京五輪のホスピタリティを担当するに至ったのも、ホテル勤務時代に率先したロビーに立ってお客さまを案内していたことがきっかけです。『自分の業務領域はここまで』と限定するのでなく、好奇心を持って外に飛び出すことが、チャンスにつながると確信します」
専業主婦時代も長い人生の中におけるキャリア形成期と位置づけ、自己管理を徹底してきたシンシアさん。現在の社会的な立場は、語学力や運が味方したとの評価にはこう反論する。
「要は気持ちの持ちよう。何を学ぶかではなく、学び続ける姿勢が問われていると考えています。いまの私の仕事はオリンピックを前に、世界中から訪れる関係者をもてなすことですが、自社商品や流通構造についても勉強中です」
「ママはどう思う?」
経験を重ね人間的にも成熟した女性が、若い世代にとってのロールモデルになりえないのが日本の現実だとしたら、「1億総活躍」も「女性活躍」もまだまだ道半ば。
「ママはどう思う?」―。米国で弁護士として活躍する娘から、社会のありようや生き方について問われる瞬間に、喜びを感じるというシンシアさん。母親としての視点ではなく、自立した「個」としての視点が求められているからだ。それは新しいことを吸収し、自身がアップグレードしている「証」である。
経済産業省はこの夏、シンシアさんの知見を借りつつ女性の復職を支援するプロジェクトを始動する予定だ。
【取材後記】
シンシアさんに常に新たな活躍の場をもたらしてきたのは、人脈だった。異なる世界の人と触れ合い社会との接点を深めることで、新たな可能性を開花させたり、胸の奥底に秘めていた「本当にやりたいこと」が呼び覚まされることがある。次回は組織や立場を超えたつながりで、社会に変化をもたらしたいと活動するNPO法人「二枚目の名刺」代表の廣優樹さんが登場します。