【岐阜発】「鵜飼」伝統食を世界へ。職人魂とチャレンジ精神で目指す食品版「下町ロケット」
岐阜県岐阜市 鵜舞屋
小舟に掲げられたかがり火が川面を照らし、鵜匠たちが巧みな手さばきで鵜を操る。清流長良川では毎年5月から10月にかけて鵜飼が催される。1300年の歴史を誇るこの伝統漁法は、多くの見物客をたちまち幽玄の世界へ誘う。
岐阜県岐阜市に本社を構える鵜舞屋(うまいや)は、鵜飼見物に訪れた観光客に土産品を製造・販売する店として明治時代に創業した。長良川の鮎や飛騨牛を使った加工品や佃煮は地元の味として定着。さらに近年は全国、海外へと販路を開拓してきた。
伝統を守りながら、新たなニーズや時代の流れに常にアンテナを張る。ローカルであることを大切にしながら、グローバルに展開する。老舗企業の原動力を探った。
87歳・終身名誉職人の教え、新工場にも脈々と
鵜舞屋の基本は丁寧な手仕事だ。主力商品の一つ「鮎昆布巻」作りを見てみよう。
1匹ごと水洗いをし、ぬめりを取り除き、鮮度を確認しながら釜に均等にならべ、秘伝のたれでゆっくりと熱を加え、下味をつける。それから、職人が1匹ずつ昆布を巻き、灰汁をとったら、醤油、砂糖、みりんに秘伝のタレを加えじっくりと炊きあげる――。煮炊きだけとっても、昆布を巻く前の「芯炊き」、灰汁を取る「水炊き」そして「本炊き」と3回の工程を経ることになり、1本に6時間以上の手間と時間をかけている。
「老舗の苦労を聞かれることが多くありますが、何が苦労で何が喜びかは、正直今は分かりません。私自身が引退する時に感じるのか……」
高森幹啓社長(47)はこんな言葉で老舗企業の暖簾を預かる気持ちをたんたんと語る。ただ一つ「絶対守らなければならないこと」と強調するのが、終身名誉職人(元工場長)である本山忠夫さん(87)の教えだ。
「おいしいものを作るためには絶対妥協しない」「数値だけにたよらず五感で感じることを怠らない」「門外不出のタレを徹底管理する」――。本山さんは、17歳で岐阜市内の食品会社に就職して鮎の加工に携わって以来、その味を追求してきた。三つの教えは、会社全体に息づいている。
鵜舞屋は2022年に本社南工場を新設した。その際に製造工程の要である煮炊きする釜については、175㍑というこれまでと同じ大きさにとどめた。「設備を大きくすれば作業効率はあがります。しかし、そこは効率よりも、これまで守ってきたこだわりを優先しました」と高森社長。「本山は今も週1回程度、工場にやって来ては、『釜の磨きが悪い。顔が映るくらいでないとだめだ』などと指摘してくれます」と笑みを浮かべる。
海外見学で感じた危機感。「守るためには変わらねば」
「伝統の味を守る」ということが鵜舞屋を支える両輪の一つとするならば、もう一つは新しいことに取り組むチャレンジ精神だろう。本社南工場新設の際には、苦労しながらFSSC22000(食品安全システム認証)を取得した。FSSC22000は、国際規格のISOに衛生管理の具体的な手法を追加した食品の安全を守るための世界共通の仕組みだ。
認証取得に取り組むきっかけとなったのは、高森社長がマレーシアの食品工場を見学し、最新の設備と安全管理体制に驚かされた体験だった。
「食品衛生については、中国や東南アジアなどより日本のほうが進んでいるという漠然とした思い込みが日本人にはあると思います。マレーシアの工場を見て、今のままであぐらをかいていたら『後退国』になってしまうという強い危機感を感じました。今まで特段の問題がなかったら、そのままでよいのか。守り続けるためには、変えていかなければならないこともあると思います」
「家業から企業へ」。創業家以外から初の社長就任
鵜舞屋の歴史は1877年(明治10)に前身の「加納食品」が、長良川の鵜飼見物客に佃煮などの土産物を製造・販売したのに遡る。1970年(昭和45)に5代目社長の加野皜(あきら)氏が会社設立。1985年(昭和60)に鵜舞屋に社名変更した。おいしいの「うまい」と長良川鵜飼の「鵜が舞うように成長する姿」をイメージして命名された。岐阜の食文化である鮎、飛騨牛を加工し、観光土産品として販売し、さらに大手スーパーマーケットでのお中元・お歳暮へと販路を広げてきた。
現在の高森社長は大手チェーンストア勤務を経て、2000年(平成12)に鵜舞屋に入社。経営が厳しい状況にあった2016年(平成28)に営業部長から社長に就任した。創業家以外からの社長就任は初めてだった。以来、「家業から企業へ」を掲げ、経営を立て直し、新工場建設、国際規格の取得と新しい鵜舞屋を牽引してきた。2020年(令和2)には経済産業省「地域未来牽引企業」にも選定されている。
「ハラル認証」5食品。地元高校とは郷土料理でコラボ
イスラム法に則って生産された食品であることを認めるハラル認証の取得も、新しい鵜舞屋のチャレンジの一つだ。シンガポールのパートナーから国や宗教の違いを超えて一緒に食事を楽しめる「食のバリアフリー化」について話を聞いたことをきっかけに、これまでに5つの食品で認証を得ている。「今は勉強している最中。まだまだこれから」(高森社長)という取り組みだが、コロナ禍の影響が一段落し、ヒトとモノの動きが国境を超えて活発化する中、世界の4分の1にあたる市場への期待感は大きい。
一方で地元への貢献についても更に力を入れている。地元の高校などとのコラボレーションにも継続的に取り組んでおり、岐阜県立東濃実業高校と共同開発した郷土料理「サヨリ飯」の缶詰は人気商品の一つだ。
「まずは地域の中で愛されることが大前提です。その上で地域の食文化、日本の食文化のすばらしさを伝える中でグローバル展開も実現させたい」と高森社長は強調する。
大手にはできないチャレンジで「存在価値のある会社に」
鵜舞屋はこれからどこに向かうのか。高森社長の答えは明確だ。
「大きな会社を目指すのではなく、存在価値のある会社を目指します。そのためには大手企業ではできないことにチャレンジしていく必要があります。私たちが目指すのは、食品版『下町ロケット』です」
【企業情報】
▽公式サイト=https://www.umaiya.co.jp/▽社長=高森幹啓▽社員数=60人▽創業=1877年▽会社設立=1970年