地域で輝く企業

【群馬発】高級ホテルも採用!作務衣を復権させた中小企業に就職希望の若者が続々

群馬県桐生市 伊田繊維

群馬県桐生市は、かつては「西の西陣、東の桐生」とも称された日本の織物の代表的産地である。

もっとも、呉服産業には逆風が吹き続けてきた。着物離れの加速に加え、コロナ禍では成人式や結婚式などのイベントが中止・縮小され、1980年頃には約1兆8000億円あった市場規模は、足元では2000億円ほどにまで落ち込んでいる(※)。桐生でも、事業継続に苦しむ中小企業は少なくない。

そんな中にあって、創業60年目を迎えて、ますます活気にあふれているのが、「伊田繊維」だ。伝統的なものづくりの強みを生かす一方、僧侶の作業着である作務衣のイメージを刷新し、国内外に販路を広げた。工場を新設し、アパレル業界に関心のある若者たちを県内外から引き寄せている。

そんな伊田繊維の秘策に迫った。

高品質な作務衣に特化し、確固たるブランドを構築

もともとは羽織の裏地を手がけていたという伊田繊維。しかし、呉服市場の縮小とともに、僧侶の作業着である「作務衣」を主力商品として方向転換を図った。その流れを受け継ぎ、加速させたのが、創業者の孫にあたる伊田将晴専務だ。大学卒業後はコンサルティング会社に勤めていたが、今から14年前、家業を継ぐべく桐生に帰郷した。

「縮小一途の呉服のさらに脇役商品では、商売にならないと大きな危機感を覚えました。一方、作務衣は脇役ではなく単体として成立する最終製品であり、しかも作業着なので呉服を買わない層へもアプローチできる。問屋を介さずインターネットを通じて直接顧客を掴むこともできるので、はるかに可能性を感じました」

インターネット通販事業を開始したのが2009年。すでにファストファッションが市場を席巻していた。

「90年代にはアパレル市場の50%を国産が占めていたものが、いまや98%が海外製。これは大ピンチですが、相対的に国産の価値が高まるチャンスでもあります。特に作務衣や甚平などのカジュアルな和服は、手軽な分、品質にこだわったものが少なく、技術を生かしてしっかりとしたものを作れば、差別化が図れると考えました」

たとえば、和服の大きな特徴である“衿”。衿にはステッチがのらないように「落としミシン」という高度な技術を用いている。また、一反の反物から仕立て、和装古来の美しいシルエットにするために、肩で縫い合わせない、背縫いの作りにもこだわった。一方、海外製の商品などの中には、和装本来の仕立てでなかったり、仕立てが甘いものもあるという。

「高品質な作務衣に特化したことで、『作務衣は国産がいい。それも桐生の伊田繊維が一番』と徐々にブランドが浸透していきました。また、作務衣は着物や浴衣に比べて用途が多彩。くつろぎ着にも作業着にもなり、着脱が容易で着崩れしないので、和服入門として海外の方にも最適なんです」

ホームページには外国人モデルを起用し、メディアや展示会へ精力的に露出。映画やドラマに衣装提供も行い、作務衣の認知度を上げると同時に、「作務衣なら伊田繊維」というブランドを磨き続けた。その結果、今ではホテルニューオータニ東京など高級ホテル・旅館でも伊田繊維の作務衣が採用されるまでに至った。

浴衣に代わるくつろぎ着として採用する旅館も着々と増えているという

なぜ「衣食住」で「衣」だけ和の文化が消えかけているのか?

伊田専務は、作務衣ならではの価値をこう語る。

「作務衣は着物に比べて普段着に近く手軽ですが、衿があるので、背筋が伸びる呉服文化の香りもちゃんと残っています。また、きちんと作ろうとすると仕立てに高度な技術が必要なので、伝統的なものづくりの良さが生きる。そして何より流行に左右されないので、値崩れしにくい。弊社では1着3万円台がメインですが、5年、10年と着られるので、サステナブルでもあります」

こうした良さをさらに広めるべく、伊田繊維は作務衣を中心としたライフスタイルも提案。羽織や鞄など関連商品は100種類以上に上り、紳士靴で有名なリーガルコーポレーションとコラボして作務衣に合う靴も開発した。その裏には、伊田専務のこんな思いがある。

「衣食住において、食は和食、住は和室と、いまだに和の文化が親しまれているのに、衣だけが消えかけているのはおかしなことです。本来、衣服に和の文化がもっと親しまれていい。かといっていたずらにカジュアルにするのではなく、あくまで王道を丁寧に追求しました」

工場には直販店である「和粋庵」が併設。作務衣だけでなく、帽子や鞄、靴など豊富なアイテムが揃う

2棟目の自社工場建設中。社員の平均年齢は10年あまりで22歳も若返り。

自社工場を持たず、地域の職人との協業であった伊田繊維が、初の自社工場を建設したのは2017年のこと。

「ブランドが育ち、通販事業が軌道に乗りはしたものの、呉服は糸・染め・織り・裁断・縫製と工程が細分化されており、どこかが廃業してしまうとアウト。桐生でも職人の高齢化は著しく、必要に迫られて自社工場の建設に踏み切った側面もあります」(伊田専務)

工場を作ったものの、働く職人がいない――。職人不足が叫ばれる昨今、そんな最悪の事態も考えられたが、蓋を開けてみれば、県外からも多くの若者が集まった。伊田専務が入社した2009年には社員6人の平均年齢52歳だった伊田繊維は、2022年には社員40人の平均年齢30歳に若返った。

「もちろんリクルート活動や広報活動にも力を入れましたが、一番大きかったのは、アパレル志望の学生にとって、就職先が限られていたことです。海外製の衣服ばかりになってしまった今、服飾の学校を卒業しても、就職先は小売店の販売員がほとんど。ものづくりに携わりたい若者に、企画から製造、販売まで手がけられることが大きな魅力に感じてもらえたようです」

現在、社員の中心は20代。大阪から会社説明会に参加する若者も

地域の職人から若い社員たちへの技術の継承も進み、6年目を迎えた今年、満を持して2棟目が完成する。

「7月に完成する第二工場は、完全オーダーメイドに対応する予定です。安価な作務衣や甚平との差別化を図って築いたブランドを、さらに推し進めていきたい。ようやく第一工場の完成とともに入社した若い社員が一人前になってきました。彼らのアイデアやセンスを存分に発揮できる場としても、第二工場には期待しています。今、顧客の中心は国内の50代・60代ですが、職人と同様に顧客も年齢を重ねていくので、彼らの力を借りて、若い世代や海外といったターゲットを積極的に開拓していきたいですね」

“王道を丁寧に”という伝統を守りつつ、改革の手を緩めない伊田専務。若い力とともに、桐生から世界を見据える。

Uターンして家業に入った伊田専務。今は桐生に腰を据え、衣文化に和の伝統を残すために奮闘している

【企業情報】

▽公式サイト=https://idaseni.com/▽社長=伊田茂▽社員数=40人▽創業=1963年▽会社設立=1988年

※ 経済産業省製造産業局繊維課 和装振興研究会 事務局「和装振興研究会 報告書」
2015年6月掲載「矢野経済研究所『きもの年鑑』」より https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seizou/wasou_shinkou/pdf/report01_01_00.pdf