スタートアップ人材の道場「始動プロジェクト」。5年で1000人を海外派遣へ
日本から世界で躍動するイノベーターを生み出そうと、経済産業省は「始動 Next Innovator」と名付けた人材育成プロジェクトを進めている。起業家や専門家を交えた研修や、参加者同士の議論を通じて、新規事業の立ち上げについて実践的に学ぶ。それも、参加費は無料だ。国内研修で切磋琢磨し、事業計画を競うピッチコンテストで選ばれれば、米シリコンバレーに派遣され、現地のスタートアップのキーパーソンと交流を持つ機会が得られる。
2015年度の開始以来、始動にはこれまで約800人が参加した。2023年度から内容、規模とも大幅に拡充するとともに、新設するプログラムと合わせた海外への派遣者は今後5年間で計1000人に増える。
始動の“卒業生”たちからは、起業家が次々と頭角を現し、立ち上げたスタートアップの評価額は約700億円(2022年7月時点)になる。その中から、転倒したときの衝撃を吸収する床材「ころやわ」を開発・販売する「Magic Shields」(マジックシールズ)代表取締役CEOの下村明司氏と、試合観戦などを通じてスポーツチームと交流するアプリ「SpoLive」(スポライブ)を提供する「SpoLive Interactive」(スポライブインタラクティブ)代表取締役CEOの岩田裕平氏に、経済産業省で始動を担当する新規事業創造推進室係長の菊池春歌氏が話を聞いた。
両社は高い潜在力をもつとして、政府機関と民間企業が集中的に支援する「J-Startup」に選定されている。下村氏も岩田氏も始動への参加が大きな転機になったという。
下村明司マジックシールズCEO <左下写真>
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岩田裕平スポライブインタラクティブCEO
大企業を離れてなぜ起業?「発明からビジネスに」「社会に早く出したい」
菊池 おふたりはどのような経緯で起業したのですか?
下村 大学院では災害救助ロボットを研究していて、ヤマハ発動機に入社してからはエンジニアとしてバイクの研究開発をしていました。友人をバイクレースの事故で亡くしたこともあり、「人を守りたい」と考え、プライベートで発明をしてきました。乗ってもぬれないように雨を風で吹き飛ばして走るバイクとか、頭にかぶっても背部を感じられるようなスマートヘルメットとか。会社に持ち込んだものもありますが、商品化されませんでした。
いくら発明しても、お金が回るようにしなければ、費用もまかなえませんし、結局は人々を守れないことに気づいたのです。ビジネスを学ぼうと、グロービス経営大学院にMBAをとりにいきました。いろんなプロジェクトを試す中で、共同創業者となる理学療法士の杉浦太紀と出会い、高齢者の骨折という社会課題について話し合うようになり、転んでも大丈夫な床材をつくるというコンセプトができ、創業しました。
岩田 僕は学生時代、宇宙の成り立ちを研究していました。早く社会実装にたどり着けることをやりたいという思いが強くなり、NTTコミュニケーションズに就職しました。入社後は3Dの都市マップや人流を予測するAIなどの研究開発をしていました。
NTTはしっかりとした基礎研究をしていて、技術を作り、特許を取るというプロセスは整っていました。でも、実用化になかなか至らないのです。僕が考えていたことを1年後くらいにグーグルが新サービスとして出すということもあり、もどかしさを感じていました。
自分自身でイノベーションに貢献できるプロセスを知りたくなり、東京工業大学のアントレプレナー育成プログラムやデザインスクールに通うようになりました。始動への参加もその流れです。
僕は中学高校の6年間をほぼインターネットで過ごすひきこもり少年のような感じだったのですけれども、もともとエンターテインメント分野での貢献をしたいと考えていて、NTTグループとつながりの深いスポーツ団体の課題に気づく中で、スポライブの前身にたどり着きました。スポライブは、いわばスポーツに超特化しているソーシャルメディアで、スポーツ団体がデータドリブンにファンとコミュニケーションできるのが特徴です。
最初は社内ベンチャーとして立ち上げたのですが、よりスピーディーな成長をするために、「出向起業※」の制度を使って、スピンアウトしました。
※出向起業…大企業などに在職中の社員が退職せずに、自ら起業した会社に出向して、経営にあたる
始動ならではの刺激がある!スタートアップのネットワークが国内外に
菊池 実際に始動に参加してみて、いかがでしたか。
岩田 参加者全員が大阪に泊まって、街中でインタビューして拾った課題からサービスを考えるというデザインシンキングのプログラムが特徴的でした。
シリコンバレーに行く人を決めるピッチは、高野さん(フォーブズジャパン高野真ファウンダー)、出井さん(ソニー出井伸之・元会長)、伊佐山さん(ベンチャーキャピタル「WiL」伊佐山元・共同創業者CEO)の前で話をするので、ものすごく緊張しましたが、良い経験になりました。
下村 私の代は、コロナ禍で、国内活動は完全オンラインでした。参加者間でパッションの共有のしにくさはありましたが、海外在住者も含めてオンラインで自由に集まっては、議論しました。MBAと比べると始動には、企業の中でキャリアを積んでいこうという人より、新規事業に真剣に取り組もうという人が多く、刺激がありました。私は始動に入ったのは、独立した1年後くらいでしたが、起業している人にたくさん会えるというのは、起業してない人にとってすごく価値があることだと思います。
印象深いのは、やっぱりシリコンバレーへの派遣です。現地の建材店や高齢者施設を回りましたし、外を散歩しているおじいちゃん、ウーバーの運転手に製品のサンプルを見せて、意見を聞きました。大勢が集まるイベントだと話を聞いてもらえないことがあるので、街中でも転んで、製品を使ってみせるパフォーマンスをしたこともあります。
顧客を開拓する機会にもなりましたし、その後出資していただくベンチャーキャピタルとつながるきっかけも得ました。
岩田 僕は稚拙さが際立つかもしれませんが、当時は法人化して事業を営んでいたわけでもなかったので、まだまだ甘かったですね。起業に参加した時点では絶対に起業するんだという考えでもなく、興味本位みたいなところがありました。フェイスブック本社で、VR系のエンジニアと話せる機会があったのに、あまり積極的になれませんでした。それでも、ソーシャルメディアでつながったので、今になってネットワークをいかせるようになってきました。
下村 始動が縁となり、マジックシールズに転職してきてくれた人もいます。顧客になるような病院を紹介してもらったこともあります。
岩田 創業者のチームにジョインして、そのままCOOになったケースも知っています。起業家だけでなく、大企業の中で新規事業をしている人とのネットワークもあり、とってもありがたいコミュニティです。
菊池 始動自体が一つのスタートアップエコシステムになっていますね。
始動の拡充に加え、女性や学生向けプログラム新設も
菊池 始動を大幅に拡充するとともに、女性や学生向け、あるいは、インパクトスタートアップ※を対象にしたプログラムも創設する予定です。起業家だけでなく、起業家を支えるベンチャーキャピタリストの育成も視野に入れています。
海外に派遣する人数全体を今後5年間で1000人に増やし、派遣先を米国のシリコンバレーだけでなく、ニューヨークやボストン、さらにはシンガポールやイスラエル、フランス、英国、北欧などに広げます。
※インパクトスタートアップ…「社会課題の解決」と「持続可能な成長」の両立を目指す企業
下村 新しいことを生むには、大きな覚悟やある種の運命が必要であることを想像する人が多いのですが、そんなことは全然ないとお伝えしたいです。とにかく、いろんな人たちと出会い、そして動いてみるうちに、自分の興味が向かうところとか、自分の強みが分かってきます。
私も会社の外に出たら、たくさんの方から応援をいただきました。世界に行けば、どんどんチャンスは広がります。始動はそうしたきっかけになります。
岩田 スポライブが関係するスポーツの分野でも、楽しみ方が国々でまるで違うなど、現地に行って初めて気づくことはたくさんあります。政府のこうした支援は、事業を始める人にとっては、とても力になります。
これだけ間口が広がるのですから、ぜひ活用してもらいたいです。僕自身としても皆さんのチャレンジでお手伝いできることがあれば、ぜひ貢献していきたいです。
※本特集はこれで終わりです。次回は「今、使える中小企業支援策」を特集します。