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衛星データを日常に生かす先駆者。教育から貧困対策まで、カギは「みんなの幸せ」

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授 神武直彦さん

地球の周りをまわっている人工衛星から得られるデータは近年、さまざまな分野で利用され、私たちの生活に変化をもたらしている。衛星データを使ったシステムやサービス構築の先駆者である慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の神武直彦さんは「宇宙は夢の対象ではなく日常のものになっている」という。宇宙航空研究開発機構(JAXA)から母校の慶應義塾大学に転じ、宇宙サービスイノベーションラボ事業協同組合の代表理事でもあり、昨年までは慶應義塾横浜初等部長(校長)も兼務で勤めてこられた神武さんに、自身の宇宙とのかかわりを語ってもらった。

――― 宇宙にかかわる仕事に興味を持ったきっかけを教えてください。

祖父が川崎重工業の航空機エンジニアで、日本初の国産ヘリコプターを開発したプロジェクトや、新規事業として着手したバイク製造の責任者などを勤めていたそうです。その開発当初に、安全性を関係者に示す意図があったのか、まだ子供だった父がそのヘリコプターに乗ったというような話を聞き、空の世界に興味を持ちました。また、初期の頃の南極観測隊員だった親戚からは、南極での様子を教えてもらい、「家族や親戚で誰も行ったことがない遠くに行ってみたい。宇宙に行きたい」と考えるようになりました。そして、中学生の時、父が仕事を通じて私のために持ち帰ってきた宇宙開発事業団(現JAXA)の会社案内のパンフレットを読んで、「ここに入れば必ず宇宙にかかわる仕事ができる」と思ったことが今につながっています。

人との出会いにも恵まれました。大学で理工学部のラグビー部に入部し、「OBでエンジニアとして宇宙開発事業団に就職したばかりの人がいる」と紹介されたのが、現宇宙飛行士の星出彰彦さんです。筑波宇宙センターに勤務されていた星出さんを何度も訪ねて宇宙開発の話を聞いたり一緒にラグビーの試合にも出場したりしました。そして、大学院を修了し、幸いにも宇宙開発事業団に入社する事ができたのですが、それから1年も経たずに星出さんが宇宙飛行士候補者に選ばれました。「兄のような存在の身近な先輩が、宇宙飛行士候補者になる」というニュースを目にして生まれて初めて手が震えたのを覚えています。

―――宇宙開発事業団(現JAXA)勤務時代で印象深い出来事は?

入社してすぐに国産大型ロケットのH-ⅡロケットやH-ⅡAロケットの研究開発や打ち上げなどに携わりました。1999年11月、電子搭載機器の開発メンバーとして関与していたH-Ⅱロケット8号機が打ち上げに失敗しました。打ち上げ作業に加わっていた鹿児島の種子島宇宙センターから東京の本社に戻ると、急遽役員室に呼ばれ、「船は強いか。船酔いはしないか」と聞かれました。「海釣りに行ったことがありますが、船酔いしたことはありません」と答えたところ、海底に落下したH-IIロケットのメインエンジンLE-7を失敗原因究明のために見つけ出して引き上げる調査隊に加わることになりました。

海洋科学技術センター(現JAMSTEC)の協力によって、同じ部署の先輩と2人で深海調査研究船「かいれい」に2週間ほど乗船し、幸いにもLE-7を見つける事ができました。その後、私は乗船しませんでしたが、2回の調査と回収作業によってLE-7を引き上げ、様々な専門家の方の協力を経て失敗原因究明をすることができました。新聞の一面に掲載されるような失敗と成功という、自分にとってとても厳しい状況と嬉しい状況を経験でき、自分の考えの軸となる考え方を持つことができました。学生時代の頃から宇宙に興味を持っていましたが、海の世界もとても面白く、また、様々な分野に面白い人がいるということがわかりました。この経験がそのおよそ10年後に私が慶應大学に新設された大学院システムデザイン・マネジメント研究科に転じる契機のひとつとなっています。

1999年H-II8号機打ち上げ前の種子島宇宙センターにて(右端が神武直彦・慶應大学教授)

――― 衛星データを使ってどんなことができますか?

スポーツでの活用では、例えば、ラグビー選手が米国のGPSや日本の準天頂衛星「みちびき」に代表されるGNSS(全球測位衛星システム)の受信機を装着してプレーをすると、運動量をはじめスピードやポジショニングなど各個人の運動の特性がわかります。選手個人の特性や状態をみて最も効果的なトレーニングメニューをつくることができます。それと同時に体の疲労がそのきっかけになりやすい肉離れなどのけがの発生を予測し、積極的に練習を休ませるなどの予防も可能になっています。

こうした取り組みを進めていたところ、「ラグビー以外でも使えるのではないか」と畜産農家の方や農学部の先生から連絡を頂き、放牧牛の飼育にも活用することになりました。放牧牛にGNSS受信機をつけて位置や運動量を把握し、地球観測衛星のデータから放牧地での牧草の様子を把握し、それらデータから個々の牛の体調や食事の量などの把握につなげます。常に放牧地に行かなくても、遠隔で牛の体調管理ができるようになります。また、データを蓄積し、分析することで、今までわからなかったことが見えてきたり、見えにくいものが良く見えるようになってきたりするので、未来の予測もしやすくなってきています。

――― 衛星データを活用したシステム構築で大切な視点は?

衛星データは手段のひとつに過ぎません。多くの取り組みの目的は、そこに関係される方々が幸せになることです。「誰のために」「なぜ」「何のために」ということを突き詰めて考えることが重要だと思います。

一例ですが、私たちはカンボジアやインドで、銀行口座を持たない農家の方々が銀行からお金を借りることができるようにする取り組みを行っています。銀行の立場からは、「お金を貸したくても、銀行口座を持っていないのであればお金を返せる能力がわからないから貸すことができない」というわけです。衛星データを活用することで対象とする農家が耕作している農地の状況を把握する事ができ、過去に取得した衛星データによってその農地で生じた洪水の規模や頻度も把握できるので、通常時の収穫量や洪水が生じた時のリスクなどを予測することができますから、それらを踏まえて農地のパフォーマンスを評価します。

また、彼らの多くが所持するようになってきたスマートフォンのアプリで農家の方の農業に関わるデータを取得することで、家族構成やマーケットに行く頻度などの行動パターンを把握することができます。これらのデータを組み合わせることで金融機関がリスク管理を行うために必要な情報を銀行口座のお金の出し入れに替わるデータ、つまりオルタナティブデータ(代替データ)によって農家の方々も信用を得てお金を借りたり保険に入ったりすることができるようになります。また、データに基づいてアドバイスをすることで、農家の方々が自らの農業をより効果的かつ効率的なものにしていくことができるようになっています。

宇宙は夢ではなく日常に 誰もが衛星データを使うことができる時代

――― 宇宙と私たちの生活とのかかわりはこれからどのように変わるのでしょうか?

衛星データを取得できる手段が増え、誰もが衛星データを使うことができる「共創の時代」に入っています。宇宙は「夢の対象ではなく日常のもの」になりつつあります。衛星データを使うことで、空間的、また、時間的な広がりを理解しやすく、いろいろなもののつながりがわかりやすくなります。

皆さんのまわりでのローカルな出来事は、グローバルな出来事にもつながっています。グローカルといった造語も耳にします。” Think Globally, Act Locally” (地球規模で考え、身のまわりから行動しよう)ということを言ったりもしますが、衛星データを活用することで、” Think Locally, Act Globally”(身のまわりのことを考え、地球規模で行動しよう)を実践することができます。

それによって新しいビジネスやイノベーションが起きる可能性も高くなります。衛星データでは地球上どこに関する情報も得られますから、日本で可能な衛星データを利用した取り組みは、大抵は海外にも展開できます。衛星データとそれ以外のデータを組み合わせると面白いことが生まれます。データの組み合わせによってどのような化学変化が起きるかを常に考えておくことが重要です。私は常にものごとを俯瞰的に見ることを大切にしています。

「身のまわりのことを考え、地球規模で行動しよう」と語る神武直彦・慶應大学教授

――― 宇宙にかかわる仕事の面白さを教えてください。

すでにお話しした通り、宇宙データには、どこでも、いつでも活用できるという空間的、また、時間的な拡張性があります。例えば、すでにお話ししたラグビー選手などにGNSS受信機を装着することと同じ手法で、横浜市のある公立小学校の小学生の運動データを取得し、分析することで、過去の自分の運動データと比較する教育プログラムを行ってきました。特に小学生は、同じ学年でも生まれ月の違いで運動能力に差が大きく出ます。そのため、他人とではなく、過去の自分と比較することで成長を実感でき、自己肯定感を高めることにもつながります。こうした教育プログラムにいくつか関わっているのですが、神武は小学生に関わることが好き、と思われたのか、慶應義塾の一貫教育校のひとつの小学校の校長着任を仰せつかりました。校長在任中は、ものごとを自分の目線で見ることだけではなく、宇宙からの目線でみることの面白さなどを伝えました。色々感じてくれたのか、夏休みの自由創作の課題では、宇宙に関する創作がとても増えました。今の時代の子どもたちの目線で衛星データの活用を考えていくと、もっと面白いことができると感じています。

宇宙にかかわる仕事をしていると、通常から知っていることや地域を「普段、見たことのない視点」で見ることができ、空間と時間をダイナミックに捉えられることの凄さを体感します。衛星を介して地球を見ていると、「小さなことにこだわらなくていい」と思えるようにもなってきます。衛星データは、いろいろな国、文化、世代と連携することで、データが生み出す価値が高まることも面白さの一つです。僕にとっては、いろいろな人に興味を持ってもらうことができる世界共通の出会いのツールでもあります。

「子供目線で衛星データの活用を考えるのも面白い」と語る神武直彦・慶應大学教授(慶應義塾横浜初等部にて撮影)

【プロフィール】
神武  直彦(こうたけ・なおひこ)
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、宇宙開発事業団入社。H-IIロケットやH-IIAロケットの研究開発と打上げに従事。欧州宇宙機関(ESA)研究員を経て、宇宙航空研究開発機構主任開発員。国際宇宙ステーションや人工衛星に搭載するソフトウェアの独立検証・有効性確認の統括および宇宙機搭載ソフトウェアに関するアメリカ航空宇宙局(NASA)、ESAとの国際連携に従事。2009年より慶應義塾大学へ。Asia Institute of Technology, Adjunct Professor、日本スポーツ振興センターハイパフォーマンス戦略部アドバイザー、慶應義塾横浜初等部長などを歴任。Multi-GNSS Asia 運営委員。米国PMI PMP。宇宙サービスイノベーションラボ事業協同組合代表理事。博士(政策・メディア)。専門分野は、街づくりから宇宙システムまでを対象とした自然科学と社会科学を融合させたシステムズエンジニアリングに基づく社会技術システムのデザイン。スマートフォンや人工衛星といったIoTなどのテクノロジーデータと社会調査や対話といった人を介したソーシャルデータを組み合わせることで、現状や未来の可能性や課題を明らかにしてデザインする方法論を創出。著書に『いちばんやさしい衛星データビジネスの教本』(インプレス社)など。