政策特集知財で挑むESG経営 vol.4

「知財を活躍させる企業統治」とは。プロが明かす重要ポイント【前編】

荒木充氏(ブリヂストン 知的財産部門 部門長) 原田雅子氏(スリーダムアライアンス 執行役員) ▽加賀谷哲之氏(一橋大学 商学部 教授)

「知財部門が主体となり新素材のライセンス事業を開始」(ソニーグループ)
「知財部門、研究開発部門、事業部門が三位一体となった活動を推進」(横河電機)
「M&Aの検討過程では知財デューデリジェンスを求める」(ユーグレナ)

特許庁が今年5月に公表した「企業価値向上に資する知的財産活用事例集」。これをひもとくと、知財・無形資産が企業統治(ガバナンス)の中心課題となっていることが印象づけられる。

一方で、経営者を始めとするビジネスパーソンの間では、知財にどのように向き合っていけばよいか分からないという人は少なくない。そこで、知財戦略を積極的に活用している企業として知られる大手タイヤメーカー「ブリヂストン」と、次世代電池を開発するスタートアップ「スリーダムアライアンス」の知財担当者、さらに専門家に集まっていただき、知財経営に向けたヒントを伺った。

前編の今回は、知財の特徴を考えていく。

参加者は次の方
▽荒木充氏(ブリヂストン 知的財産部門 部門長)
▽原田雅子氏(スリーダムアライアンス 執行役員)
▽加賀谷哲之氏(一橋大学 商学部 教授)

知財は価値を生む「ウナギ屋秘伝のタレ」。大切なナレッジに戦略的投資を

―――  知財・無形資産をどう捉えていますか。

荒木 知財のことを特許だと思っている人は多いです。重要な部分ではありますが、それだけではないという認識をまずもっていただきたいです。ブリヂストンは1988年に発泡ゴムを使ったスタッドレスタイヤを製品化しました。関連する特許権(※)はとっくに切れていますが、他社にマネされません。性能を安定させ、商売になるコストで生産するためには、特許の周りにあるノウハウやナレッジが欠かせないのです。知財は、注ぎ足しながら使っていくウナギ屋の秘伝のタレのようなものと言えます。

価値を生んでいるのは、知財なのです。しかし、明確には見えないので、管理が難しい。うまく使える企業と、そうでない企業とでは、大きな差が出ることになります。

※特許権・・・存続期間は出願日から原則20年間とされている

ブリヂストン 荒木充 知財 特許

ブリヂストンの荒木充氏「知財をうまく使える企業とそうでない企業とでは、大きな差が出ることになります」

原田 スリーダムアライアンスのトップは、「お金はないけどアイデアはある」という言い方をよくするのですが、そのアイデアを形にしていくのが知財です。スタートアップは多くの場合、十分に信頼を得られていません。ですが、「知財を登録している」と言えれば、相手の出方が変わってきて、ビジネスのスタートラインにつけることがあります。

ノウハウもとても大事です。これはたいてい人に付随しています。ですから、「この人に頼めば大丈夫」という人をそろえておくことが肝心です。

加賀谷 現在では、生産設備などの有形資産で競合他社と差別化するのが難しくなりました。資金の調達方法が多様化するなどして、有形資産は購入しやすくなったからです。そこで、お2人が「秘伝のタレ」や「アイデア」とおっしゃったような知財あるいは無形資産のプレゼンスが、相対的に上昇しているのだと理解しています。

日本企業は無形資産への投資が極めて低水準です。回収できるかどうかその不確実性が高く、経済が長く低迷する中、赤字になるのを避けるため、お金を十分に振り向けられなかったからでしょう。また、無形資産が価値に結び付くプロセスが複雑で、どのように戦略的に投資すべきなのか、分かりづらくなっていることも影響しているでしょう。

例えば、日本企業は欧米の企業と比べてマークアップ率が低くなっています。この背景として研究開発部門が投資をしてマークアップ率の高い製品を作ろうとしても、営業部門が売れるわけがないと考え、値引きして売ってしまうことも起きています。価値創造のためには社内の意識統一も求められます。

秘密保持、競合分析、費用…。「知財のミッション」ここがポイント

―――  知財・無形資産で注意すべき点は。

原田 秘密保持に気を使っています。経営層は自社の良い点なのでどうしても外部に話したがりますが、特許の出願前ですと、登録できなくなることがあります。

経営層には大まかなところだけを伝えるにとどめたり、あらかじめ対外的に話す内容を決めておいたりするなどしておくべきです。また、スタートアップは人の入れ替えが激しいので、退社時などは適切な契約で縛ることは必須です。

費用も大きな問題です。特に、外国出願はすごく高いですが、海外での事業展開を考えると避けて通れません。そこで、私たちのグループでは出願費用の補助金(※)を受けています。

※出願費用の補助金・・・特許庁は中小企業やスタートアップに対し、外国出願の費用を一部補助している。中小企業等海外出願・侵害対策支援事業費補助金(中小企業等外国出願支援事業)スタートアップ設立に向けた外国出願支援事業などがある

スリーダムアライアンス 原田雅子 スタートアップ 知財

スリーダムアライアンスの原田雅子氏「スタートアップも『知財を登録している』と言えれば、ビジネスのスタートラインにつけることがあります」

荒木 競合他社が知財で固めているのに、自社の知財が弱いと、途端に窮地に陥ることがあります。普段から、業界内での立ち位置をよく見極めておかなければいけません。ただ、知財の強さというのは、分かりにくいもので、特許の数だけでは計れません。参入障壁が築けている場合には、「スター特許」の存在が効いていることもあります。そうしたメカニズムを分析しておくことが、知財部門の一番のミッションです。

知財が企業価値を裏付ける「5つの原則・7つのアクション」

―――  加賀谷先生が検討会の座長を務め、今年1月に知財・無形資産ガバナンスガイドラインが公表されました。

加賀谷 ガイドラインができた背景はこのようなことです。日本では2015年にコーポレートガバナンス・コードが導入され、より利益率を高める経営が求められるようになりました。実際にROE(自己資本利益率)などの指標は向上しましたが、市場の評価は必ずしも高まりませんでした。利益率向上の理由や持続性への信頼が得られなかったためです。一方、産業構造の変化で、従来のビジネスのやり方だけでは今後は立ちゆかなくなる可能性が高まっています。こうした事態にも対応する力という点でも、利益率を支える基盤が必要とされています。

この基盤になりえるのが知財です。企業は知財を持っているのか。あるいは、今はなくても将来は作ろうとしているのか。説明責任が問われているのです。

知財・無形資産ガバナンスガイドラインの概要

知財・無形資産ガバナンスガイドラインの概要

ガイドラインでは、企業の知財・無形資産についての原則として、▽価格決定力をもちゲームチェンジにつなげる▽投資は費用ではなく資産の形成と捉える▽投資がどのように価値を生むのかについてのロジックやストーリーを開示・発信する▽進捗の確認や連携強化のためのガバナンスを構築する―――  という4つを掲げています。同時に、投資家・金融機関の原則として、▽中長期的な観点から評価・支援する―――  を含めた5つの原則を盛り込んでいます。
そのうえで、企業がとるべき7つのアクションを示しています。

一橋大学の加賀谷哲之氏「企業は知財を持っているのか。今はなくても将来は作ろうとしているのか。説明責任が問われています」

荒木 日本企業が変わる契機になります。もっとブランド価値を上げられるはずだし、マージンも取れるはずです。私もぜひ社内でガイドラインを定着させていきたいです。

原田 私たちの世界観を達成するには、スタートアップ1社ではできません。ガイドラインが浸透すれば、アライアンスが組みやすくなると期待しています。

<後編はこちら

【関連情報】

「企業価値向上に資する知的財産活用事例集-無形資産を活用した経営戦略の実践に向けて-」について(2022年5月特許庁)

知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインVer1.0の策定(2022年1月首相官邸)