政策特集知財で挑むESG経営 vol.3

投資家も注目する知財戦略。カギを握る「企業の情報開示」

旭化成 知財 投資家 説明会 工藤幸四郎 社長

旭化成は初めて知財に関する投資家向けの説明会を開いた(右は工藤幸四郎社長)

企業の知財・無形財産には、投資家からの関心も高まっている。企業の競争力を左右する存在であるという認識が広まってきたうえに、2021年6月のコーポレートガバナンス・コード改訂により、上場企業は知財戦略の開示を要請されたことが背景にある。

ただ、知財を巡る事情は企業ごとにまちまちだ。機密性の高い情報が含まれることがあり、扱いには慎重さも求められる。

知財戦略をどのように伝えていけばよいのか。戸惑いながら、企業の模索が始まっている。

競争力に不可欠なESG対応。「非財務情報」が投資判断に影響

「保有する知財がどのように競争力や収益力につながるのですか」「進出する事業分野ではどんな知財を持っているのですか」

国内外の5000社以上に投資している大手資産運用会社「三井住友トラスト・アセットマネジメント」。年間で1500回近く重ねている投資先企業とのミーティングでも、知財戦略が話題になる機会が増えている。IR部門と別に、企業の知財部門担当者に面会し、方向性を確認することもある。

資産運用の世界では長年、売上高や利益などの財務情報を主に分析して、投資先を決めてきた。ところが近年は、ESGへの対応がより重要になる企業の中長期的な成長を見極めるには、それだけでは不十分だとして、「非財務情報」を重視する傾向が強まっている。

三井住友トラスト・アセットマネジメントは2015年、非財務情報を評価するための独自システム「MBIS」を導入した。対象となる企業の経営(Management)、事業基盤(Business Franchise)、市場動向(Industry)、事業戦略(Strategy)の4分野について各5段階、合計20ポイント満点で採点する。財務情報から企業価値が高いと判定されても、MBISのスコアが低ければ、投資判断ではその分マイナスに働く。

MBISでの具体的なチェック項目に「知財」という言葉は明記されていない。しかし、知財が企業の成長性につながるという認識は共有されていて、その扱いは採点に響く。例えば、経営の分野では知的財産をマネジメントするための体制づくりや人事制度は関心事項となる。事業基盤では競合との差別化を築くための特許ポートフォリオの構築、事業戦略では経営戦略と知財戦略の整合性などを意識するという。

企業と投資家に求められる「知財戦略のコミュニケーション」

改訂されたコーポレートガバナンス・コードには、人的資本と並べる形で知的財産について、「自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつ、分かりやすく具体的に開示・提供すべきである」とする補充原則が設けられた。ただ、企業に浸透したとは言い切れない。

東京証券取引所の今年7月時点の集計では、プライム市場に上場する企業が遵守(コンプライ)を表明した割合は62%と、すべての原則の中で最も低い。知財に関する専門家で作る「知財ガバナンス研究会」が今春、「JPX日経インデックス400」を構成する企業で詳しく調べたところ、遵守を表明した割合は87%あったが、知財戦略の具体的な開示があったのはそのうち6割弱で、約3割は記載がなかった。開示の実態は、みかけの数字を下回っている恐れがある

企業が開示で迷うのは、ある意味もっともかもしれない。財務情報は基本的には数字で示され、様々な開示方法が定式化されている。それに対し、知財などの非財務情報は定性的な内容が多く、工夫が必要になる。数字で表れるものとして、例えば、特許の数を公開しても、役に立っていない特許が含まれているかもしれないし、競争力の源は、特許に登録していない知財であるケースも珍しくない。的確に示すのは至難の業だ。

方法が定式化されていないという点では、評価する立場の投資家も似た状況に置かれている。企業の知財戦略を正確に伝えるには、一方的な開示だけでは難しく、投資家との双方向のやり取りが大切になってくる。

知財戦略の「独自のアイデンティティ」、企業価値の向上に直結

こうした中で、注目される動きがあった。
旭化成は今年7月、知財戦略にテーマを絞った投資家向けの説明会を初めて開いた。
中期経営計画で掲げた「無形資産の最大活用」という方針について、理解を深めてもらおうという試みだ。

知財戦略説明会 投資家 旭化成 中村栄

旭化成の中村栄氏は知財戦略説明会でIPランドスケープを積極的に活用していることを強調した

「特許の出願が伸びてくる兆しのある領域を抽出して、当社保有の技術とマッチングさせて、共同開発の提案を行うことができた」。経営企画担当役員の直下の組織として新設された知財インテリジェンス室でシニアフェローを務める中村栄氏が、米国の自動車内装材メーカー「セージ社」との提携戦略の進め方を紹介した。

旭化成が積極的に用いているのが 、IPランドスケープだ。「知財(IP)」に景観や風景を意味する「Landscape」を組み合わせた用語で、知財情報とともに技術開発や市場のトレンド、他社の動きなどを分析し、ビジネス戦略を構築する手法として注目されている。セージ社との協業でも重要な役割を果たした。

旭化成が米国・セージ社と共同開発している自動車内装部品(左)と、利用した知財情報の俯瞰図

旭化成が米国・セージ社と共同開発している自動車内装材料(左)と、利用した知財情報の俯瞰図

中村氏はIPランドスケープを徹底活用していく方針も示した。次の成長を牽引する10の領域において、ビジネス上イニシアティブを取っていくための具体的なビジネス戦略の構築でも、IPランドスケープが中核を担うという。

投資家からは、知財を把握し、経営戦略の方向性に沿って活用していることが理解できたといったコメントがあった。一方で、企業価値の向上と知財・無形資産の結びつきをより明確にしてほしいという要望も出た。企業と投資家が知財についての意見を交換し合う貴重な機会となった。

三井住友トラスト・アセットマネジメントスチュワードシップ推進部の澤嶋裕希氏は「知財戦略の開示では横並びではなく、自社の事情に即した独自のあり方をそれぞれに追求していただきたい。そうすることによって、機関投資家との対話がより建設的になり、企業価値の向上につなげていくことができる」と話した。

三井住友トラスト・アセットマネジメントの澤嶋裕希氏

機関投資家と企業間の対話の重要性を指摘する三井住友トラスト・アセットマネジメントの澤嶋裕希氏